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1 兄、現る

 昔から何度も同じ夢を見る。


 私の目の前にいるのはいつも同じ、優しそうな顔立ちをした青年だ。十代後半くらいの真っ赤な服に身を包んだ彼はいつも苦しげに、けれど嬉しそうに私に向かって何かを告げる。



「―――」



 しかしその声が聞こえたことは一度もない。彼はいつもそうして何かを言って、泣き笑いのような微笑みを浮かべるのだ。

 そして、意識が浮上する。











「……また」



 瞼を押し上げると現実が広がる。耳元に聞こえてくるのは騒がしい目覚ましの騒音で、私――凪野一葉なぎのいちははそれを止めながら小さく溜息を吐いた。この夢を見るといつも消化不良で、もやもやとした気持ちが残るのだ。

 何を言っているのか、何故そんな顔をしているのか……そもそも誰なのか。分からないことが多すぎて、それが気になって仕方がない。

 昔から何度も何度も繰り返し見て来たというのに、一向に何も変わらない。そして気が付けば私は夢の中の青年と同じくらいの年になってしまった。


 そしてそんな彼は――私の初恋のその人だ。



 ぼんやりと碌に頭が覚醒しないまま着替えを始める。朝練に行かなければいけないのでまだ朝早く、私は大きく欠伸をしながら高校の制服に着替えた。その頃にはある程度意識ははっきりとしていて、私はいつも通り部屋を出て階段を降りた。


 いつもと同じ夢、いつもと同じ行動。そんな私の日常が崩壊を始めたのは次の瞬間だった。



「一葉おはよう」

「今日も朝練か?」

「うん。……え?」



 リビングでいつも通り朝食を食べる家族。新聞を読んでいる父、テレビで天気予報を見ている母。そして――



「おはよう」



 ありふれた日常の中にごく普通にその異物は紛れていた。



「一葉、なにぼうっとしてるの?」



 母が不思議そうに扉の前で立ち尽くしている私に首を傾げる。しかしその行動こそ可笑しかった。

 私の家は三人家族だ。両親と私。それ以外は誰もいない。それなのに――。

 それなのに、私の定位置の隣でごく普通に朝食を食べている誰かが、そこにはいたのだ。



「……どうしたんだ?」



 にこり、とそれは優しげに笑いながら私を見た。昨日までそこに居なかった彼に、しかし両親は何の違和感も持たずにごく普通に日常を続けている。


 しかし可笑しいのはそれだけではない。何より可笑しくて堪らないのはその彼の顔だったのだ。優しげなその顔立ちは、私がつい先ほどまで夢の中で見ていた人と似て……いや、そっくりだった。

 夢の中の彼が現実に現れてしまったのだ。



「……だ、誰!?」



 驚きで頭が混乱する中、私は何とかそれだけを口にした。



「誰って、何を言ってるんだ一葉?」

「お兄ちゃんのこと忘れるくらい寝ぼけてるの? また夜更かしした?」

「は――」



 お兄ちゃん?

 母の当然のような発言に思わず謎の人物を凝視する。彼は何も言うこともなく穏やかな表情を浮かべるだけで、否定も肯定もしない。

 もう一度言うが、うちは三人家族だ。勿論私に兄なんている訳がない。



「お兄ちゃんって……」

「ご馳走様でした」



 私の言葉を遮って“兄”が立ち上がる。彼はそのまま私の目の前に来ると、優しげな表情はそのままにおもむろに私の手首を掴んだ。



「い、痛っ!」

「母さん、少し早いけどもう行ってくる」



 凄まじい力で掴まれた手首が悲鳴を上げるが、彼は母にそう言って有無を言わせずに私を玄関へと引っ張っていく。「朝ごはんはいいのー?」と声が聞こえるが、手を引く力が強すぎて全く抵抗できなかった。



「ちょ、ちょっと何なの!?」

「……」



 引っ張られたまま何とか鞄だけを掴んで家を出る。前を歩く彼は無言で歩き続けるだけで私の声など全く届いていないかのようだ。

 私は引き摺られながら再度男の顔を見上げる。しかしやっぱり何度見ても今朝夢の中で見たあの人とそっくりだった。

 ……私、未来予知でもしていたのだろうか。



「おい」

「わっ」



 と、急に道を逸れて狭い路地へと引っ張られる。次の瞬間彼は私の後ろに回り込み、掴んでいた手を捻り上げるように後ろに回したのだ。



「痛い!」

「静かにしろ」



 先ほど聞いた穏やかな声とはかけ離れた威圧たっぷりの低い声が聞こえたかと思うと、私の後頭部に何か固いものが押し付けられた。



「……答えろ、お前は何者だ」

「は? 何言って……だから痛いって!」

「質問に対する答え以外はしゃべるな。追手か? いや、それにしては行動が間抜けすぎる……」



 背後で訳の分からないことを言われながらひたすら腕を捻り上げられて痛い。



「あーもうっ! 何なのよ!」

「な」



 状況が理解できずに混乱していたが、だんだん腹が立ってきた。いくら夢の人に顔がそっくりでもこんな無茶苦茶なことをされたら――おまけに間抜けなんて言われて――たまったものではない。

 私は後ろにある足を思い切り踏みつけると、振り返って男を強く睨みつけようとして――。

 すぐ目の前にあった銃口を見て固まった。



「え、なにこれ、銃!?」

「突きつけられてたものも分かってなかったのか……」



 本物!? と動揺している私を呆れたように見た男は、力が抜けたように銃を下ろして手を掴んでいた力を緩めた。

 すぐに彼から離れて手首を見ると真っ赤な痣になっていて、それを見たら余計に痛みが増した気がした。



「……本当にお前は何なんだ」

「それ、どう考えても私の台詞なんだけど! いきなり何食わぬ顔でうちの中に居座って朝ごはん食べて! ホントに誰なの!?」

「騒がしい女だ。俺は――」



 煩わしそうに目を細めた男は、怒る私を見ながら至極冷静に衝撃的な言葉を口にした。



「俺はライ。別世界から来た工作員……スパイだ」













 世界はひとつではない。無数の次元が広がり、この世界もそのひとつにすぎない。

 ライと名乗ったこの男はそのうちの一つの異世界の住人であり、敵対する他の世界の情報を探るスパイだという。しかし情報を得て自世界に戻る直前にライの正体がばれてしまった。攻撃されながら逃亡した彼は追手を撒く為に色んな世界を回り、そしてここでしばらく潜伏することにしたのだという。

 それらを聞き終えた私は、いつの間にか目の前の彼を可哀想なものを見るような目で見てしまっていた。



「……あの、大丈夫? 精神病院連れて行ってあげようか?」

「……」



 無言で再び銃を額に突きつけられ、私は飛び上がるように両手を上げた。



「ごめんなさいごめんなさい! 何でもないです!」

「気が強いのか弱いのか分からんやつだな……」



 勢いが強いだけのただの小物なので撃たないで下さい!



「それで……何で私に」

「潜伏するに当たって周囲の人間にばれないように暗示を使った。お前の両親も全く疑うことなく俺を凪野雷なぎのらい……お前の兄だと認識した」

「暗示って……そんな魔法みたいなこと」

「魔法なんかじゃない、ただの科学技術だ。とはいえ技術レベルが低いこの世界では魔法のようなものだろうが」



 はっ、と馬鹿にしたように鼻で笑った男――ライに少々腹が立った。こいつ絶対に性格悪い。

 だけどお母さんもお父さんも、本当に目の前の男のことを当たり前のように家族として扱っていた。可笑しいと思ったのは、私だけだったのだ。



「だがお前には何故かその暗示が効いていない。答えろ、何をした?」

「何をしたって、そんなこと言われても」



 勿論何もしていない。ただ朝起きて家族に紛れ込んでいた可笑しな人物を見つけただけだ。

 問い詰められても答えられない私を見たライは、眉を顰めて「不可解だ」と苦々しく呟いた。



「とにかく俺は正体がばれる訳にはいかない。ほとぼりが冷めるまでここに潜伏することは決まってる」

「そんな理不尽な」

「他の人間に余計なことをしゃべったら殺す。いや、むしろばれないように協力してもらおうか。暗示も絶対じゃない、綻びが生じると違和感を持つ人間も現れるだろうからな。ちょうどいい、お前フォローしろ」

「……さっきから黙って聞いていれば!」



 意味の分からない話ばかりを聞かされた挙句、それに協力しろとは……。私が怒りのままに声を上げると、ライは突きつけていた銃で額をぐりぐりと攻撃してきた。地味に痛い。



「拒否権はない。自分の命が大事なら俺に従え。悪いようにはしない」



 今現在悪いようにされているんですが!

 そう言いたくても言えずに口をぱくぱくさせていると、ライは「間抜けな顔」とどうでもよさそうに口にした後に、酷く凶悪な笑みを浮かべた。

 そして彼は私の額から銃口を離す。一体何だと思っていると、彼はおもむろに銃口を下に向けてそのまま引き金に掛かった指を引いたのだ。

 バンッ! と銃声が一つ。それと同時に私の足元のアスファルトに穴が開いた。



「協力しないというのなら仕方がない、俺が凪野家の唯一の子供になってしまうな。……という訳で死ね」

「わか、分かった! 分かりました! 協力します!」

「物分かりがいい妹で何よりだ」



 再度銃口を向けられそうになって慌てて返事をした。若干疑っていたもののやっぱり本物だったのか……。

 ようやく銃が仕舞われて命の危機から脱する。私は、ライから距離と取りながら負け惜しみのように軽く彼を睨み付けた。



「それじゃあしばらくの間世話になる。一葉、くれぐれもよろしく頼むぞ?」

「……よろしく、お兄ちゃん」



 皮肉交じりにそう返すと、彼は今朝初めて会った時のように優しげな“兄”の顔を作って笑ってみせた。

 その表情が夢の中の彼とダブって見えて、今まで脅されていたというのに僅かに絆されそうになってしまった。



三日に一度更新予定です

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