『三言目。ささやきシークレット。』
陽芽が去った後の教室は先程の空気と比べると多少マシにはなった気がする。
だけどそれはきっと原因がいないからマシになったというだけで問題そのものは何も解決していない。
それどころかもしかしたら教室内が中途半端に仲良くなる方が問題が起きるかもしれない。
「多賀根くん、大丈夫だった?明科さん酷いよね。」
何人かの女生徒が話しかけてくる。どうやら会話が可能になる程度の空気にはもうなったらしい。だけど、やはりその内容が問題だった。
このままだと明科陽芽はそう遠くないうちに孤立する。
現に入学初日から既にクラスメイトからの印象は最悪に近いだろう。
もっとも本人としては全く気にしていないかもしれないしむしろ進んで孤立しようとしている可能性もある。
(だけどそれがもしも彼女の本意で無かったとしたら。)
あくまで可能性の一つ。もしも、自分の意志とは無関係にこんな状況になっているならそれはきっとよくないことだ。
「あ、多賀根くん。よかったら一緒にご飯食べない?もっとお話とかしてみたいし。」
昼休みは約1時間とそこそこの時間がある。これだけの時間があれば学校内のどこにだっていくことができるだろう。しかし、明科陽芽は新入生で学校の構造には詳しくない。となれば場所はある程度限られてくるはずだ。
しかし、彼女の行き先を探すにあたって一つ問題があった。
(俺もこの学校の構造をよく知らないんだよな。)
一応、生徒手帳の中には構内の見取り図がある。しかし、いくら見取り図があるとはいえ行ったこともない場所の様子が分かるはずもない。早い話が彼女がどこに行ったかを推測するための材料には全くならないということだ。既に彼女の姿は見失っている。せめて何かしらの手がかりが無くては探しようがない。
廊下には多くの人影。辺りに満ちるのはザワザワとしたやや興奮した喧騒。
実は全くの手がかりも無い訳では無い。だがしかし、この状況ではその手がかりを生かすことは出来ない。
(何か他の手がかりを探さないと。)
考えろ。思い出せ。見たもの、知っているもの。経験、感情、常識の全てを総動員して答えを導き出せ。
会話の一つ一つ。行動の一つ一つを順序立てて思い返していく。
「あっ!」
そしてあることを思い出した。確か彼女は教室から出ていったとき何も持っていなかった。
生徒手帳を取り出すと見取り図に視線を落とす。確かあの場所がどこかに記載されていたはず。ほどなくして校舎の端のほうに目的の場所を見つける。
「あった。学食と購買部。」
昼休みだったというのに手ぶらだったということは今日の昼食を持ってきていなかったということ。それなら何かしらの食べ物が手に入る場所にいる可能性が高いはずだ。
幸いここから遠いものの二つの場所は比較的近い。
これなら両方行くのにも不都合は無いかもしれない。
だが、このとき咲良は少し油断していた。あるいは予測していなかった。
端的に言うと、
都会の人口を舐めていた。
購買まで行けばすぐに陽芽を見つけられると思っていた時期が佐倉にもあった。だが、現在その考えがいかに甘かったかということをまざまざと思い知らされている。原因は彼の眼前に広がる人の群れだ。かつて『見ろ、人がゴミのようだ』と言った人がいたらしいが今ならその気持ちがよく分かる。佃煮にできそうなくらい沢山の人、人、人。
この中から目的の一人を見つけ出すのは至難の技だろう。
(参ったなあ。これは本当にしらみ潰しにしないと見つからないかもしれないなあ。)
そんなことを考えていると背中から誰かにぶつかられる。
よくよく考えたらこんな人の多いところで考え事をしていたら邪魔か。せめて、もう少し人の少ないところに移動した方がいい。
(って、こんなに人がいる中で人がいないところを探すって難しすぎないか?)
それにさっきからずっと探してばかりな気がする。
「あれ?もしかして多賀根くん?」
キョロキョロしていると正面から声をかけられる。だが、声の主は見当たらない。
「下だよ、下。」
その声に視線を落とすと見覚えのない女生徒がこちらを見上げていた。前髪を切り揃えたショートカットでパッと見和風の人形のような風貌だ。
「えっと、確かに多賀根だけど君は?もしかして同じクラス?」
「やっぱりまだ覚えて貰えてなかったんだね。まあ、多賀根くんは後から来たし仕方ないか。」
彼女は付いてきて、というと咲良の服の袖を掴み人波をくくり抜けていく。やがて学食の端のテーブルへと辿り着く。
「大きめの机をキープしておいてよかった。ここならゆっくり出来るでしょ?よかったら一緒にご飯食べない?」
これが都会人特有の『一緒に食べよう』というやつか。そういえばさっきも別の人が誘ってくれていた。でも、今は陽芽を探す予定だし……。
「悪いけど今からやらなくちゃいけないことがあるんだ。また今度でもいいかな?」
今はとりあえずあの孤立しかけのクラスメイトを何とかしないといけない。せっかく誘ってくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいだがこればかりはしょうがない。
そう言うと彼女はクスッと小さく笑い、小指を伸ばしてくる。
「仕方ないなあ。絶対だよ?嘘ついたら針千本だからね?」
「ああ、約束だ。」
その小指に自分の小指を絡める。
ふと、何か記憶の奥の方にノイズが走ったような気がした。
以前にも確かこんなことがあったような気がする。
だけど、この子とは初対面のはずだ。
混線する思考を頭を振るうことで追いやる。今は考えるよりも動くべきだ。
「それじゃあ、俺はもう行くから。」
僅かに後ろ髪を引かれるような感覚を無理矢理胸の奥に押さえ込んで再び人波に潜る。
波に揉まれ、流されながら一つ聞きそびれていたことに気がついた。
(あの子の名前、何だったんだろう。)
「あーあ。振られちゃったか。」
咲良が去った後、彼女はポツリと呟く。
「もう少し躊躇ってくれてもいいと思うんだけどなあ。」
今回あまり話すことが出来なかったのは確かに残念だったがこれからきっといくらでも機会は得られるだろう。一番大きな収穫は噂通り、彼がこの学校に入学していたことを自分の目で確認できたことだった。そしてもう一つ。
「多賀根、咲良くん。かっこよかったなぁ。」
平静を保つのは得意な方だからきっとバレていなかったと思うが顔が赤くならないようにするのに苦労した。
「もっと仲良くなれたら嬉しいな。」
『紗彩。どこにいるの?』
そのとき彼女の耳に聞き慣れた囁き声が届いた。気を抜けば周りの雑音に掻き消されてしまいそうなほど微かな声だが長年の付き合いでもう慣れた。
「陽芽、ここだよ!」
喧騒に負けない大きな声を出すのに合わせて小さな体をめいいっぱい伸ばして両手を挙げる。
やがて、待ち人はこちらに気がつくと小走りで駆け寄ってくる。
『お待たせ。待たせてごめんね?』
「いいよいいよ。待っている間に少しいいこともあったし。」
彼女ー紗彩の言葉に陽芽は『いいこと?』と首を傾げてみせる
。計算でも狙ってでもなく天然でこういう可愛らしい仕草をしてしまうあたり昔から本当に羨ましい。それだけに今の彼女の空回りっぷりが残念に思えるのだが。
そんな内心を隠しながら紗彩は笑う。
「あのね、幼馴染に会ったの。」
『そうなの?高校で幼馴染に会うなんてなんだか運命的ね。アニメやドラマの展開みたいよ。』
それは確かに紗彩も思った。運命的だと。だけど、それに関しては一つだけ不満なことがある。
「まあ、問題は相手の方が全く私のことを覚えてなかったってことなんだけどね。」
不本意ではあるけど紗彩は昔とそんなに変わったところが無い。敢えてどこが変わってないか、というより成長していないのかは自分でもあまり認めたくないので言葉にはしたくない。だけど、これだけ昔のままなら思い出してもいいようなものなのに。
(全く。本当に仕方ないんだから。)
腹が立つと同時に「あぁ、彼らしいな」と思ってしまうのは少し身内贔屓が過ぎるだろうか。気付いてもらえなかったのも思い出してもらえなかったのも残念ではあるけど気付いてないということがある意味彼も昔とあまり変わっていないということを表しているような気がして少し嬉しい。
(でも、やっぱり気が付いてくれないのは少しムカつくかも。)
自覚はあるけど女の子の心は複雑なのである。
変わりたいと思うし、変わりたくないと思うし。
変わってほしいと思うし、変わって欲しくないと思う。
紗彩は変わらなかった。彼も変わらなかった。
そして、目の前に座ってニコニコした笑顔でサンドイッチを頬張る彼女は、
『どうしたの?私の顔になにか付いてた?』
「目と鼻と口がついてるわよ。それにしても私が言うのもなんだけどあなた本当にその路線でいくつもりなの?」
確かに陽芽は可愛い。贔屓目に見ても多分この学校のトップクラスの可愛さだと思う。昔から可愛かったが高校デビューで更に可愛くなった。
だけど、適材適所、人には向き不向きというものがあると思う。
『一応はそのつもりだけど………。』
「陽芽、私はあなたのそういう頑張り屋なところも少し無理してから回っちゃうところも全部可愛いと思っているわ。でもね。」
これを言うのは長年の友達である自分の役割だ。
「正直『カッコ可愛くなりたい』っていうあなたの望みは向いているとはとても思えないんだけど。」
『で、でも、頑張ってるし。今日の自己紹介でもかっこよく見えるようにクールにしたし……。』
後の方がどんどん弱くなっているのは陽芽自身も向いていなかったり正直今日の自己紹介は絶対失敗だったという自覚があるからである。
「頑張りの方向性が間違ってるんじゃないの?だって陽芽がかっこいい女の子のモデルにしているのって男の子向け漫画に出てくるような毒舌キャラでしょ?」
『うぅっ……!?』
グサリと心を串刺しにしたような音が聞こえてくるような気がしたが敢えて更に続ける。
「中学生までは教室の隅で大人しく本を読んでいる超地味な文系タイプだったのにいきなり真逆の方向性で高校デビューしようとするし。」
『うぅっ……!?うぅっ……!?』
「何よりも致命的なのが。」
『まだ続けるの!?しかも最後に致命的なの持ってくるの!?私のライフはもうとっくにゼロだよ!?オーバーキルだよ!?』
小声のまま叫ぶというある意味器用な芸当を披露する彼女に心の中で謝りながら止めの一言を突きつける。
「あなた、ものすごい人見知りじゃない。普通に話そうとしたらテンパって本心とは真逆のことをつい口走る、スーパーコミュニケーション音痴じゃない。」
『もうやめてよ……。そんなの自分でも自覚しているんだから……。』
力尽きたように彼女は倒れ伏す。そんな様子を眺めながら彼女に友達ができることを願う紗彩だった。