『二言目。綺麗な薔薇には。』
亀更新です。
とりあえず週1更新くらいをとりあえず目安として最終的には1日1話くらいのスピードにしたいです。
(えっと、確か俺の教室は1-Bだったはず。)
入学式前に確認しておいた自分のクラスを思い返しながら足早に目的地に向かう。真新しい上履きが廊下と擦れてキュッキュッと音が鳴る。あんまり速度を上げるとうるさくなってしまう。それを煩わしく思いながらも今は仕方が無いと割り切り歩を進める。
1-Bは保健室のある本校の隣の第二校舎の1階にある。距離そのものはそこまで無いから仮にうるさくなったとしてもそれはきっと僅かな時間だ。
そのくらいなら許してくれるんじゃないかな、と考えながら教室の前までやってくる。
中からは同級生達の話し声が聞こえてくる。どうやら出遅れてしまったらしい。
扉の前で乱れた息を整える。そして、扉に手を掛けてガラガラと開けた。
生徒達は一斉に来訪者に視線を向けるが咲良はそれに気付かないように教壇へと向かう。そこには20歳前半くらいだろうか。おそらく見た目的に新任と思われる女教師の姿があった。
「すいません。保健室へ生徒を運んでいて遅れました。」
この理由ならさほど注意を受けることもないだろう。
そこでようやく彼は自分に突き刺さる視線に気がついた。
もしかしたら何かおかしなことでも言ったのだろうか?はたまた教室に入ってくるタイミングがものすごく悪かったのかもしれない。
「え、えっと、何かまずいことしましたか?」
その視線にたじろぎながらもなんとか答える。その瞬間に確かに聞こえた。
ざわざわとした音のさざ波の中から確かに聞こえた。
『お姫様だっこ』と。
(もしかしてそれが原因?)
確かにあの女生徒を運ぶときに楽だからという理由でお姫様抱っこをしてしまった。そういえばあの場には新入生が全員いた。そんな場所であんなに目立つ行動をとれば見られていても。むしろ、覚えられていてもおかしくない。
(あれ?もしかしてだけど俺の高校生活、開始直後からいきなり躓いた?)
だが、次の瞬間音のさざ波が津波に変わる。なにかが破発したかのような爆音が体を包み込んでいた。なぜか、彼を迎え入れたのは万雷の拍手だった。咲良はわけも分からないままとりあえず教室へ入る。
「多賀根咲良くんですね。私は担任の綴といいます。他のみんなはもう自己紹介を終えているので貴方もお願いしますね。」
見た目的には生徒達と大して変わらないように見えるのに随分と落ち着いていて大人っぽい。
「はい、分かりました。」
促されて教壇に立つ。そこであることを思い出してクラスメイトに背を向けると黒板に名前を書きつける。いつか見た自己紹介では確かこういう風にしていたはずだ。
「初めまして。日下中出身の多賀根咲良です。好きなことは買い物と散歩。好きな食べ物はグラタン。ずっと田舎の方で暮らしていたせいで今時の流行とか色々疎いですけど仲良くしてくれたら嬉しいです、」
そこまで一気に言うと頭を下げる。
こういう自己紹介を実際にしたことは一度もなかったため。全く自信が無い。教室内もシンとしている。もしかしたら今度こそなにかまずいことをしたのかもしれない。
パンパン。
乾いた音が静まり返った教室に響く。視線だけを向けてみると教壇の真ん前―最前列中央の生徒が拍手をしていた。
それに続いて他の生徒達からもパラパラと拍手が上がる。
どうやら想像していたより都会は人に優しかったらしい。
人の暖かさに感動を覚えていた最中。
―ガラガラガラ。
何の脈絡もなく再び教室の扉が開かれる。
(一番遅く来たのは俺だと思ったんだけど。)
保健室に寄っていた咲良よりも遅く来るような理由はそうそうあるようには思えない。
サッと教室中の視線が扉の方に向けられる。
(あぁ、さっきの俺もこんな風に思われながら見られてたんだなぁ。)
そんな益体のないことを思いながら彼も他の生徒達に倣って視線を動かす。
「遅れてすいません。具合が悪くて保健室で休んでいました。もう大丈夫なのでご心配はいりません。」
そう言って頭を下げる少女には見覚えがあった。白金のような淡い色合いの長い髪。背丈は頭一つ分ところか二つ分くらい低いがその背の低さを感じさせないほど強気な目。髪の色が白金ならこちらは琥珀だ。キラキラとした金色の瞳。だが、見た目よりなにより印象的だったのは…。
「では、明科さん。自己紹介をお願いします。」
「はい、分かりました。」
先生の声で思考が中断される。そして、ようやく陽芽が自分の目の前に立っていることに気がついた。
至近距離で視線が交錯する。さっき会ったときはお互い座っていたから分かりづらかったがこういう風に立っているとやっぱり小さいということを感じる。
「多賀根くん、明科さんの自己紹介が始まるからどいてあげてくれる?」
綴先生のその言葉でようやく自分がまだ教壇に立ったまま呆けているのだということに気がついた。
(あ、しまった!完全に上の空だった!)
教壇の段差に躓きそうになりながらも大慌てで彼女に場所を譲る。そのとき、小さく鈴の鳴るような声が聞こえてきた。
『ありがとう。』
小さな声だったからもしかしたら気のせいだったかもしれない。だけど、陽芽とすれ違った瞬間確かにそう聞こえた気がした。
そんな咲良の内心とは無関係に彼女の自己紹介が始まる。
「御影中出身の明科陽芽です。」
始まりは極めて穏やかだった。だけど、嵐の前は静かなもの。静かさや平穏はやがて来る騒乱の前触れだ。
「好きなものは特になし。嫌いなものは特になし。」
淡々と自己紹介を続ける彼女の違和感に気がついたのは最初は数人だった。
「スポーツにも芸術にも興味はありません。多分部活は帰宅部になります。」
(……………ん?)
ここで咲良もなんとなく違和感を感じた。なんというかつっけんどんなのだ。普通自己紹介はフレンドリーに明るく行う印象がある。人間の印象は初対面で8割くらい決定すると言われているくらいだ。しかも、もしも最初に悪印象を抱かれてしまったら顔を合わせる度に印象が悪くなっていくという話まで聞く。だから、普通はできるかぎり相手にいい印象を持ってもらうように努める。しかし、彼女の自己紹介はどこまでも事務的でしかも内容に至っては情報がほとんど無い。感情がまるで感じられないくらい淡々としたその口調からは拒絶の意思すら感じられる。
「あと、」
そして、彼女は最後に致命的な一言を付け加えた。
「できるかぎり私に話しかけないでください。」
ピシッと教室内の空気が凍りつくのを感じた。最初は誰もが彼女が何を言っているのか理解出来なかった、が徐々に理解が追いついてくる。
「私からは以上です。」
そんな周りの反応には一切気を止めず最後にそれだけ告げると彼女は自分の席―窓際の一番後ろの席に座る。
「え、えーっと、はい。なかなか独創的な自己紹介でしたね。みなさん、拍手をお願いします。」
先生がなんとか取りなそうとするが空気が元に戻る気配はなく、まばらな拍手が聞こえてくるだけだった。
さすがに空気を読むのがあまり得意なほうではない咲良でも気がついた。
彼女―明科陽芽はどうしようもないくらい口が悪い。
空気が重い。空気が暗い。
通常人間が普通に生きているうえで空気の質量を感じることも空気の暗さを感じることもまずありえないだろうがこのときばかりはこれらの言葉が相応しい。
(それもこれも……。)
咲良は後ろに座っているこの空気の原因をチラリと盗み見る。
そこに座る彼女は咲良に気がつくことなく視線を教科書に落としたままノートにひたすらメモを取り続けている。
そこには丁寧な小さな文字が山のように書き込まれていた。
今は授業が始まったおかげでその冷たい空気も多少は和らいだものの休み時間になったらこれより更に悪化するだろう。
(にしてもいくらなんでもあの自己紹介はないよな。)
先程の彼女の自己紹介を思い出して内心で苦笑する。あんな風に言われたら誰だっていい気はしないだろうになんでわざわざ反感を買うような真似をしたのか。
手にしたシャーペンをカチカチとノックしながら思想に耽る。
(わざわざ入学初日から敵を作ろうとしているとも思えないし、本当にかけられたくないだけとか?それか単なる人見知りだとか、……って人見知りならいきなりあんな啖呵切ったりしないよな。)
どうも明科陽芽という人物の印象がチグハグだ。強がりかと思えば素直。繊細かと思えば傍若無人。
いまいち人物像が掴めない。
キンコンカンコン。
そんなことを考えているうちに授業が終わる。と、同時に再び教室内が微妙な空気に包まれる。
高校生活1日目というだけでも話しづらいのにそれに加えてあの自己紹介だ。それは微妙な空気にもなるだろう。
だが、もう少し彼女の態度が軟化すればこの空気も和らぐはずだ。
(そして、彼女に話しかけられるだけの理由を持ってるのは多分俺だけだ。)
「えっと、明科さん?もう具合は大丈夫なのかな?」
引き攣っていると自覚している笑みを浮かべながら後ろの彼女に問いかける。陽芽は既にノートも教科書も片付け終えており頬杖を付いたまま窓の外に視線を向けていた。だが、咲良の視線に気が付くと何とも言えない微妙な表情になってこちらに顔を向ける。
「俺は多賀根咲良。さっき、隣に座っていたんだけど覚えているかな?」
保健室へ連れていった手前具合がどうか気になるというのは話しかける理由としてはきっと比較的まともな方だろう。
だが。
「あぁ、あのお節介ね。」
陽芽は再び視線を外へ向けるとつまらなそうに呟く。
「お、お節介って……。」
「お節介はお節介よ。別に頼んだ覚えもないし感謝もしてないしそもそも顔もろくに覚えていなかったわ。あと、話しかけないでって言ったのもう忘れてるの?」
まさに雨のような罵詈雑言だった。とりつくしまもない。
空気を緩和させるために話しかけたのが完全に裏目に出て、余計空気を悪くしてしまっていた。
「気分が悪くなったわ。」
陽芽は一言だけ独り言のように呟くとこちらと一切視線を合わせることなく教室から出ていく。
残ったのは凍りつくほど空気が冷えきった教室だけだった。