『一言目。出会いは唐突に。』
処女作です。駄文です。
「明科陽芽といいます。可能であるならできるかぎり私に話しかけないでください。」
高校一年生の春。入学式直後のホームルームにて。彼女―明科陽芽はそう言い放った。
四月三日。世間一般では入学式である。
多くの人間はここで初めて受験という難問に直面し、あるものは笑い、またあるものは泣いたことであろう。少年もその一人であった。
「ふぁ~……。」
緊張というよりは遠足を前にした幼稚園児のようなテンションでいたため昨夜はよく眠れなかった。正直なところ結構眠い。
そんな少年の内心とは関係なく人々は少年を見てこそこそと耳打ちをし始める。
だが、その少年当人はそれに全く気が付いていないようでのんびりと校舎へと歩いていく。
(さすがに高校にもなると随分人が多いな。地元と違って何クラスもあるっていうらしいし。)
「誰あれ!?」
「すごいかっこいいよね!?」
そんな声がようやく彼の耳に届く。だが、彼はその視線が、賞賛が、羨望が、嫉妬が自分に向けられているとは欠片も思っていない。せいぜい、都会にはやっぱりかっこいい人がいるらしいんだなといった程度だ。彼の頭の中は現在全く別のことで占められていた。
(友達、たくさんできるといいなぁ。)
変わらなきゃ。変わらなきゃ。変わらなきゃ。変わらなきゃ。
少女は呟く。
鏡の前には見慣れない自分の姿。
喋り方も見た目も全部今までとは何もかもが全く違う。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
何度も何度も自分に言い聞かせる。
(高校デビュー、絶対成功させる……!)
「―――であるからして、諸君にはわが校の生徒の自覚をもって日々を過ごしてほしいと思っている。以上で私の話を終える。清聴のほど感謝する。」
年のせいか少し髪の毛の少なくなった教頭先生の長い話が終わる。高校の入学式を経験するのは彼にとって当然初めてのことであったがこういうときには校長先生が挨拶をするものだと思っていたため少し意外だった。もしかしたら、この後に校長先生の挨拶が控えているのかもしれない。座りっぱなしで少し崩れかけた姿勢を立て直す。こういうとき、後ろの席は得だ。多少動いてもそれほど目立たない。その瞬間隣に座る女生徒の姿が目に入った。長い黒髪を一つに結って背中に流しているが、猫背になっているためそれが少し乱れている。そして、口元にはなぜか花の刺繍が施された青いハンカチが当てられている。
小刻みに震え、顔色も蒼白。明らかに体調が悪そうだ。
「(君、具合悪そうだけど平気?先生とか呼ぼうか?)」
そう尋ねるとその生徒はゆっくりこちらに視線を向ける。何かを言おうと口を開いたものの苦しそうに再び俯く。もしや、あまりの苦しさで喋ることすらままならないのかもしれない。
「(もしかして喋れないくらい具合が悪いの?やっぱり俺が先生を呼ぶよ。)」
そう彼女に囁くと先生を呼ぶために大きな声を出そうと息を吸い込む。だが、その瞬間口元に何か柔らかいものが押し当てられる。思わず「あっ!」と小さく叫んでしまったものの聞こえてきたのはくぐもった声のような何かだけだった。視線だけを下げていくとそこにあったのはさっきの女生徒が口を押えるのに使っていた花の刺繍がされた青いハンカチだった。
ふと、彼女に視線を向けるとなぜか般若のような形相で睨みつけている。
「(具合悪いんじゃないのか?顔色だって悪いし、よく見たら冷や汗だって出ているじゃないか。)」
口元が隠れていたせいで少し見えにくかったが今でははっきりと頬に汗のようなものが浮かんでいるのが見える。
やっぱりどこからどう見ても具合が悪そうだ。
尋ねられた彼女は彼の口元からハンカチを離すと胸ポケットから生徒手帳とシャープペンシルを取り出す。
そのときに生徒手帳に記載された彼女の名前らしきものが目に入った。
(明科陽芽?変わった名前だね?)
そんなことを彼が考えている間にも彼女は口元を再び押えながら小さくそこに何かを書き込む。
そして、あっけにとられている彼の目の前に几帳面に並んだ小さな文字が書き足された生徒手帳のページを示す。
『具合は悪いですが心配することのほどでもありません。目立ちたくありませんししばらくは我慢できるので結構です。』
(心配するなって言われてもなぁ。)
今にも倒れてしまいそうなほど顔を真っ白にされていては説得力のかけらもない。だが、そう言われては無理に先生を呼ぶのも躊躇われる。
(まだ大丈夫っていうなら暫くはそっとしておこうかな。)
「さて、新入生の皆さんもお疲れのこととは思いますが最後に校長先生のお話です。」
先程の教頭先生らしき人の声が体育館に響きわたる。
やっぱり最後に控えていたらしい。
(校長先生の話は長いっていうのは相場だからできればあんまり最後の方には持ってきてほしくなかったんだけどなぁ。)
カツンカツン。
上履きが体育館の床を踏む音がやけに大きく聞こえる。こっそり視線を向けてみると結構大きい。
目測ではあるが190㎝前後はあるかもしれない。
やがてその人物は壇上に立つとマイクを握りしめる。壇上に立っていると顔もよく見える。後姿からなんとな思っていたが随分と筋肉質な体型らしい。そして、話し始めようと少し息を吸い込み、マイクを握る手に力を込めると―――。
ミシッ………プツッ。
一瞬、聞き間違えかと思ったが壇上の校長先生は少し慌てたようにマイクを何度も叩いている。が、叩いている音そのものは聞こえてくるのだがスピーカーからは何も聞こえてこない。やがて、面倒になったのか校長先生は大きく息を吸い込み体育館全体に響くような大きな声で話し始めた。
「皆さん、おはようございます。まずはご入学おめでとうございます。」
気のせいか窓も少しびりびりしている気がする。堂々とした立ち振る舞いといい、体格といい、校長先生というよりは最早体育教師のような風貌だ。
「本校は生徒が自ら学び自ら行動ことを理念としています。ですが、そのためには自分がどうなりたいか、などという大層なことは考えなくてもいいです。」
「え…っ!?」
初っ端から爆弾発言だ。
彼は辺りを見渡すと新入生以外の生徒や職員は妙に安心感の見て取れる表情で校長先生の演説を聞いている。
どうやら割といつもこんな感じらしい。
「未来のことなんて誰にも分かりません。10年後の自分のことを誰か予想できますか?できないでしょう?未来なんて曖昧過ぎるものに目標を定めようとしないで欲しいと私は思っています。」
校長先生はそう言うと両手を台に乗せ、熱っぽく話を続ける。
「多くの人々は遠い未来の予定を決めることなどできません。だからこそ、私たちはそんな遠くない直近の未来について、例えば明日のことについて考えるべきなのです。未来というのは無数の明日を積み重ねた先に存在しています。なら、一足飛びに未来のことを考えるより明日のことについて考えることが遥かに容易かつ有意義です。だからこそ、皆さんは焦らずに明日のことを考えながらゆっくりと着実に成長していって欲しいと思います。ご清聴ありがとうございました。」
そう言うと校長先生は壇上で軽く礼をして去っていく。いい意味であまり先生らしくない内容だったような気がする。少なくとも綺麗事ばかり並べられるよりはずっと好感の持てる内容だった。
「都会って色んな人がいるんだなぁ……。」
「うっ………!」
隣から小さく押し殺したような声がした。嫌な予感を感じる。恐る恐る視線を横へと向けると先ほどの女生徒がさっきよりもずっと顔を真っ白にさせていた。
(全然大丈夫じゃないだろ!!)
彼女は頬を白く染めたまま浅い呼吸を繰り返しながら小さく震えていた。額にはうっすら冷や汗をかいているようにも見える。
もう迷っている暇はなかった。
「先生!この人、具合が悪いみたいです!」
体育館の端の方に立っている教師に向かって声をかける。しかし、状況を上手く整理できていないのか何もしない。本当ならきっと教師の指示を仰ぐべき場面なのだろうが素人目では緊急を要するのかどうかさえも分からない。そんなことをしている間に彼女の体が大きく揺れて倒れ始める。
「危ないっ!」
慌ててその落下点に手を伸ばす。辛うじて間に合ったものの受け身をとる様子はなかったように見える。彼女の顔を覗き込むとどうやら気を失っているようだった。
「ごめん!!」
気を失った彼女の頭の下と膝の後ろに両手をそれぞれ差し込み持ち上げる。所謂、お姫様抱っこだ。たまに「女性とはいえ人間一人分なのだから結構な重さがある」ということを聞いていたが想像していたよりも軽くて驚く。
周りの人達が口々に何かを言っていた気がするがそれを一々聞いている余裕はない。一刻も早く彼女を保健室へ連れていくことだけを考える。
「具合の悪い人はその人ですか?」
がやがやと騒がしい中その声はやけにはっきりと聞こえた。声の方向を見るとそこには具合を悪そうにしている少女と同じ制服の少女―女生徒がいた。しかし、よく見るとタイの部分の色が違う。具合の悪そうな方は赤い色なのに対してこちらの少女の色は青だ。背も彼と同じくらいに高く170cm近くはある気がする。
きっと上級生なのだろう。
上級生らしき少女は手慣れた様子で症状を確認するとこちらに視線を向ける。
「とりあえず保健室に連れていきたいから君も運ぶのを手伝ってくれない?」
「わかった。」
むしろ、こっちからお願いしたいくらいだった。彼は少女を抱えたまま女生徒の後ろを付いていく。
「ただの緊張とストレスですね。それほど心配しなくてもすぐに良くなると思いますよ。」
少女を保健室に連れていきベッドに横たえた後、養護教諭はそう言った。一緒に来ていた女生徒もホッとしたかのように息をつく。
「それならよかったです。それでは私はまだやることがあるので先に戻りますね。君も手伝ってくれてありがとうね。ここまでその子を運んでくれて。」
「あ、はい。こちらこそ案内してくれてありがとうございました。」
この人がいなかったらもっとここに来るのに時間がかかったはずだ。だが、彼女はいいよいいよと手を振る。
「気にしないで。困ってる生徒は見逃せないからね。君も何か困ったことがあったら遠慮なく私のところに来てね。」
随分と頼りがいのある先輩だ。きっとこれまで何人もの生徒を助け、そして、彼もこの先何度も助けてもらうことになるのだろう。
「多分そう遠くないうちにお世話になるような気がします。」
そう言うと彼女はカラカラと笑う。見た目に似合わず快活な笑い方だ。
「君、結構面白いね。私は生徒会長の金城美織。クラスは3-Aだけど遠慮せずに来ていいからね。それで、君の名前は?」
「あ、すいません。俺は多賀根……咲良といいます。」
正直彼―咲良は自分の名前があまり好きではない。漢字はともかく音が男らしくなくて名乗るたびに可愛いと言われるのが複雑な気分だ。
「咲良くんか。可愛い名前なんだね。男の子だと結構珍しいかも。」
ほら、また言われた。だから正直あまり名乗りたくはない。
「出来たら名字の方で呼んでくれますか?名前で呼ばれるとなんかこそばゆいので。」
「あ、そうなの?じゃあ、多賀根くんで。君もそろそろ戻った方がいいよ?そろそろオリエンテーションが始まっちゃうだろうから。」
ふと美織は視線を保健室の壁に立てかけてある時計に向ける。既にここに到着してから10分ほど経過している。さすがにそろそろ行かなければまずい頃合かもしれない。
「そうね。明科さんは私が看ておくから多賀根くんはもう教室に戻って。金城さんもご苦労さま。」
養護教諭さんもそう言ってくれたことだし後を任せて教室に向かうとしよう。