黒猫のとある日常
ふと書きたくなって、突発に終わる話。
あまり深く考えず読んでいただけたらと思います。
「シュヴァって、猫みたいね」
お姉様に言われて、木の上から見下ろす。
お姉様はわたしが登っている木の下で本を広げていた。視線を本に固定したまま、続けて言った。
「高い所と狭い所が好きだし、昼寝も大好き。知らない人が家に来ると隠れて相手を窺うし、気に入らない人が近寄るとシャー! って威嚇するし」
嫌みも含まれていない。どうやら、ふと思ったことを言っているだけみたいだ。
「ほんと、猫みたい。ただ、犬が好きなのは違うかな」
おかしそうに笑ったのち、何も言わなくなった。
ー猫みたい、か
それはあながち間違っていない。
何故なら、前世が猫だったから。
シュヴァルツェ・カッツェ。それが現世のわたしの名前。カッツェ家という商家の娘です。
前世は日本という国で暮らしていたけど、現世で暮らしている世界には、日本という国はない。テレビでよく言っていたアメリカという国もなければ、中国もない。そもそもテレビ自体がない。
どうやら、わたしが今いる世界は、前世の世界ではないらしい。
猫だからよく分からないけど、まあ前の飼い主がいないということは分かりました。
これを言ったら頭がおかしいと思われるかもしれないけど、たしかにわたしの前世は存在していました。
詳細を覚えているっていうのもあるけど、今のわたしの本能は猫に近いのです。
お姉様が言ったようなことはもちろん、喉をゴロゴロ鳴らそうとするし、小さい頃は庭の木で爪とぎしました。もちろん爪がボロボロになって、家族総出で怒られました。その後は、二度と爪とぎしないよう矯正されました。おかげで今は爪とぎはしないけど、ちょうどいい木を見ると、すごくうずうずします。
水も苦手。身体が濡れるのは嫌。でも綺麗好きだから、大人しくメイドに洗ってもらう。ここらへんは前世と変わりませんね。
猫だから仕方ない。今は人だけど。
あと、動物の言葉が分かります。
言葉、というのはおかしいか。なんていうか、動物から発せられる感情の波を読みとれることができるといいましょうか。
まあ、言葉が分かるというのが分かりやすいでしょう。
そんなこんなで、わたしの猫生を聞いてくださいまし。
いきなり話を変えたなって? 猫ですから、気まぐれなんです。
わたしはあるご家庭に生まれました。兄弟は五匹。多いでしょう?
ですが、その家の住人にとっては、数が多すぎたのでしょう。
ある程度大きくなった時、最も可愛らしい兄弟の内の一匹だけ残し、わたしを含む四匹の兄弟を山に捨てたのです。
生まれ変わった今なら思うのです。里親探せよ、と。無責任すぎるだろ、と。まあ、今更恨みを言ってもしょうがないですが、正直今でも憎んでいます。
ある程度大きくなっても、所詮子猫。次々と兄弟が死んでいきました。
一匹は鴉に襲われ、一匹は川に溺れ、一匹は寒さと飢えに耐えきれず、一匹は小さな土砂崩れに巻き込まれ。
私も体力の限界が訪れ、倒れていました。
瞼が開かず、周りの景色が見えず、自分は生きているのか死んでいるのか分かりませんでした。
その時でした。暖かい何かがわたしの身体をつついてきたのです。
生暖かい風がお腹に当たり、ふんすふんす、という音が聞こえてきました。
その後、人間の声が聞こえて、ふわりと浮遊感に包まれました。暖かい何かに包み込まれ、意識が遠ざかっていきました。
次に気がつくと、瞼が開くようになりました。
建物の中のようでした。暖かいものに包まれて、母を思い出して鳴きました。
すると、わたしを包んでいた暖かいものが動きました。視界に飛び込んできたのは、一匹のゴールデンレトリバーでした。
起きた起きた、と嬉しそうに尻尾を振って、わたしを舐めてきました。
飼い主らしき女性が来て、よかった、と呟きました。
どうやら、犬の散歩の途中、犬がわたしを見つけて介抱してくれたようでした。あの生暖かい風は、犬の鼻息だったようでした。
そう説明してくれた犬の名前は、レオといいました。飼い主さんはわたしを飼うことにしたようで、わたしにルーという名前を与えてくれました。
レオは、甲斐甲斐しくわたしの世話をしてくれました。遊んでくれたり、一緒に寝てくれたり。わたしとレオはいつも一緒でした。
レオはわたしの親で兄弟でした。レオのことが大好きでした。
いつまでも一緒だと信じていました。
けど、レオのほうが年上で、いずれ来る別れの時が来ました。
老衰でした。穏やかに、ゆっくりと、レオは死にました。
わたしのショックは、わたし自身予想以上でした。
食事が喉を通らず、毛も抜け落ち、衰弱していきました。
飼い主さんが心配して、寂しくないように新しい子犬を飼いました。
少し気が紛れましたが、その後腎臓の病気になって、わたしは死にました。
これがわたしの猫生。なかなかドラマチックでしょう?
「にゃー」
訳、泣ける猫生やね。
「でしょ? それで、貴女はどこから来たの?」
腕の中にいる白猫は、覚えていないらしく、さあ、と言った。
庭に迷い込んだ白猫。野良とは思えない綺麗な毛並み。だけどなんかボサボサ。高価な赤いリボンを巻いていることから、飼い猫だと思って話しかけた。
白猫の名前は、ノワール。女の子。家の中で飼われていたけど、鍵が開いていたから好奇心で外を出てみたら、そのまま迷子になったみたい。
「それで、迷ってどれくらい?」
「にゃん」
訳、一回夜が来た。
「あら、昨日から? お腹すいているでしょう? なにか食べたいものある?」
「にゃ!」
訳、鶏ささみ!
「鶏ささみね。分かった」
白猫を抱えたまま、屋敷の中に入ろうとしたらメイドのアグネスに見つかった。
「お嬢様、その猫は?」
「迷い猫みたい。ちょうど良かった。この子、お腹をすかしているみたいだから鶏ささみ持ってきて。あと、出かけるから!」
「どこに?」
「この子の家捜し」
「分かりました」
さすが。話が分かる。
アグネスは唯一、わたしが動物の言葉を分かることを理解してくれている人だ。さすがに前世のことは言っていないけど。
「ありがとう! じゃ、わたし着替えてくるわね!」
後ろにアグネス、腕にノワール。
平民に変装し、街をぐるぐる回っていた。
「ここ、通った?」
「にゃおー」
訳、見たことある。
「見たことある? あっち?」
「にゃん!」
訳、違う! たしかこっち。
「あ、こっちか」
訳、それにしても前世が猫であっても、なかなかない能力やね。主もない。
「たしかに、わたし以外でこの能力がある人っていないわね」
「にゃおん」
訳、ま、本当にある人は、大っぴらに言わないものやから。
「それもそうね」
「にゃあ」
訳、この塀の向こうを通った気がする。
「塀を登るわけにはいかないわねぇ。道を探して、あちら側に行くしかないわ」
「にゃおん」
訳、こういう時、人の身体って不便やね。
「ほんと、そう思うわ」
近道が使えないって不便ね。
道を探して、ノワールが通ったという道を通っては、遠回りして。
「なにか目印になりそうなの覚えていない?」
「うにゃ」
訳、そういえば、大きな屋敷がずっと並んでいた気がする。
「もしかして、貴族街から来たのかしら?」
貴族街は貴族以外の人間には入りにくいところ。貴族街に入る門には門番がいる。中も中でそれぞれに警備員がいる。
お父様が貴族に商品を持っていく時に入ったりはするけど……お父様の商談はまだ先。
「とりあえず行ってみるだけ行ってみますか」
貴族街の門の前に着いた。人気はあまりなかった。
門の傍らには管理室がある。その中には人がいるみたいだ。
「門番の人に預けようかしら」
「にゃん」
訳、任せる。
管理室をのぞき込むと、制服を着た門番と目が合った。
「なにか貴族街に御用ですか?」
門番は訝しげに首を傾げる。
「この猫の飼い主を捜しているのですが、この猫から貴族街から出てきたところを見たという人がいたので、もしかしたら貴族の方が飼われている猫かと思いまして」
「そうですねぇ……なにか家が分かるようなものがあればいいのですが」
「にゃあ」
訳、人間って面倒くさいわ〜。
「うーん」
証拠になれるもの……リボンは高そうだけど、家紋らしきものはない。
「分からないと、貴族街の中に入ることも預かることも出来ませんね」
「そうですか……」
ダメもとで来たみたけど、やっぱりダメみたい。
その時、馬車の音が聞こえた。これ以上ここにいてもお仕事の邪魔になる。
「ありがとうございます。覚えてくれていたらいいので、ここを通る貴族たちにこの子のことを聞いていただけても?」
「それは構いませんが……」
「では、また後日伺います。こちらほうでも探してみます。お手数をおかけしてすいませんでした」
会釈をして、踵を返す。
「ごめんなさい。ここまで来たのに」
「にゃん!」
訳、衣食住をつけてもらうんなら文句ない!
「ふふ。安心して。飼い主が見つかるまで、お世話するわ」
「うみゃ」
訳、お願いします。
ノワールと話しながら、馬車の横を通り過ぎる。
後ろで馬車が止まったようで、音が止んだ。門番が確認でもしているのかな、と特に気にせず歩く。
すると。
「ノワール!」
ノワールを呼ぶ声が。男の人の声だ。
振り返ると、馬車から降りる一人の男が。
若い青年みたい。藍色の髪に金色の瞳。鋭利な目をしている人間だ。人間の顔の良し悪しはあまり分からないけど、美形好きなメイドたちが騒ぎそうな顔だな、と思った。
「にゃ!」
訳、主や!
「あの人が飼い主?」
「うにゃ!」
訳、そう!
飼い主を一瞥する。一応、この子を心配していたようだ。この子の名前を呼んだし、わざわざ馬車を止めたし。
「よかったわね。さあ、お往き」
ノワールを降ろす。ノワールはまっしぐらに飼い主の青年の元へ駆けていった。
それを見送って、さっさと立ち去る。
飼い主が抱く瞬間まで見ておきたいけど、そんなの見たら泣いちゃう。
思い出すから。
病気になったわたしを死ぬその時まで、介護してくれた前の飼い主さんを。
そして、死ぬ直前まで、わたしを気にして、わたしを見ながら死んでいったレオのことを。
会いたくなって、胸が苦しくなるから絶対に見ない。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
帰ると、アグネスが迎えてくれた。
「猫は?」
「飼い主のところに帰っていったわ」
「それはようございました」
アグネスの横を通り過ぎると、笑顔を浮かべているお姉様がいた。
「ご苦労様、シュヴァ。猫の飼い主を捜しに行っていたって聞いたわ」
「ええ。無事、飼い主を見つけましたわ」
「よかった。あなたってほんと、人にはなかなか心を開かなくて冷たいのに、動物のことになると優しくなるわね」
なぜか嬉しそうに語るお姉様。
たしかにその通りだ。
飼い主さんはわたしに愛情を与えてくれた。けど、わたしを捨てた人間のような人間もたくさんいる。
だからわたしは、簡単に人を信用も信頼もしない。捨てられたら、ただ飢えを待つだけ。
冷たくなった兄弟たちを思い出す。
あの時のわたしはなんと思った?
寂しかった。苦しかった。ひもじかった。
もう、あんな思いをしたくないし見たくもない。そういう思いをしそうになる子たちを見ると、助けたくなるのは当然だ。
したくないのなら、傷つかない方法をとる。だから基本、家族のことも信用はしているけど信頼はしていない。
そう思っていると知ったら、お姉様はどんな顔をするのかしら。
わたしは、お姉様の言葉にこう返した。
「寂しいのも飢えるのも、嫌でしょう?」
この時のわたしは予想してなかった。
ノワールの飼い主が、実は猫伯爵と呼ばれているくらいの猫好きで、わざわざわたしを探し出してお礼をされることを。
そして、わたしに惚れたとかで求婚されることを。
なんだかんだで、絆されることになることを。
ほんとうに、予想していなかった。