逃走劇
時は七年前、場所はヴァハラ帝国内部、旧ヴァルキ王国の首都ヴァルキに存在するスラムに戻る。
既にほとんど日は沈み、働きに出ていた大人達も戻ってくる時間帯。
日に日にスラム落ちする住人が増える上に、スラムに回されていた仕事が日に日に減っていくため、スラム全体は広がり、同時に殺される者や餓死する者が増え、稀にアンデットさえも現れる始末だった。
警備兵や新しく入った領主の連れてきた騎士団がアンデットや死体の処分に回る羽目になり、結局外にいるデュラハン対策は何もないまま、その日を迎えた。
街中に鐘の音が鳴り響く。
ほとんどの家庭では今から食事という時間帯だが、街中が喧騒に呑まれる。
スラム民を含め、商店街で買い物をする人は商人から嫌でもデュラハンの情報を得ている。
そのため、全ての住人が東門か南門を目指して駆けだす。
一部の冒険者と警備兵、騎士団を除いたすべての人間が一斉に動いて、まともに動けるわけがない。
我先にと他人を突き飛ばし、突き飛ばされた人が他の人に当たり、倒れ込めば道を塞ぎ、動きを止める。
それは、スラムであろうと同じである。
人が増えたスラムに置いて、土地の広さは意味をなさなかった。
寧ろ建物が壁の役目を果たさず、当たった建物が崩れ、道を塞ぎより酷い状況だった。
だが、シンのいた領域だけは違った。
スラムの中で唯一ここだけは我先にと行動する者が一人もおらず、寧ろ食事の為に全員集まっていたのもあって、集団での行動がとれた。
「デュラハンは北西、北よりの方角に位置している。だったな?」
「はい」
スラムのリーダー、アシウェルの父が確認すると、妻が肯定する。
買い物に行って商人と会話をするのは女性の役割だからだ。
「だったら、西にある農場を突っ切って西門から出て、南西を目指す。野郎どもは途中で農具庫から得物になりそうなもんを取ってこい! 行くぞ!!」
アシウェルの父が立ち上がりながら指示を出すと、すぐに全員が動き出す。
集団での行動をすることで道中障害でしかない多数の人間を押しのけて進む。
途中で男達が何人かで農具をいくつか抱えて持ってくる。
「よし、それを大人の野郎全員に持たせろ。野郎ども! 女子供を中にして移動しろ!」
再びアシウェルの父が指示を出し、皆がそれに従って行動をとる。
そのまま走り続け、西門が見えてくる。
「よしっ! 一気に出るぞ!」
門に魔物の姿はなく、また、他の人影もなかった。
全員が門を駆け抜ける。
右側、北の方角で冒険者や警備兵が戦闘をしているのが見えた。
彼ら、彼女らが魔物の進行を抑えていてくれたからこそ間に合ったのだろう。
だが、彼らも編隊して迎撃に当たっているわけではなく、少しずつ下がりながらの迎撃だ。
隊を組んでも物量に押されてしまうため、どうしても後退しながら出なければ相手にできないのだ。
そして、そのペースは決して遅くない。
「足を止めるな!! 走れ!!!」
アシウェルの父が叱咤するが、全力で走り続けている皆の足取りは徐々に遅くなる。
特に中にいる子供には非常に厳しいものである。
徐々に徐々に魔物が迫ってくるのが分かる。
そこで、戦闘していた冒険者の中から三人の女性が走ってくる。
「「「生ある者に癒しと加護を『回復付与』」」」
淡い黄色の光が全員の間を駆け抜けたかと思うと、体が軽くなった。
「急いで下さい! 長くは持ちません!」
女性はそう言うと戦闘に戻っていく。
戻ると同時に冒険者たちが後退の速度を遅め、魔物を引き付ける。
「今の内だ! 走れ!!」
アシウェルの父が激励を飛ばし、急がせる。
先程の魔法のおかげで全力で走ることができる。
後ろを振り返ることせず南西にある森の中に駆け込むことができた。
「こっちだ」
アシウェルの父の先導で森の中を進む。
とはいっても、森は魔物の領域である。
奥に入れば魔物がわんさかいることは間違いない。
そのため、森の淵に沿って森から出ないように移動している。
だが、それでも魔物と遭遇することは避けられなかった。
この森に住む魔物、森林狼が襲ってくる。
森林狼は簡単に言うと猿みたいな狼だ。
木々の幹を足場に森の中を移動する。
「野郎ども! 犬ッころをぶちのめせ!!」
アシウェルの父が南西を選んだのは単にデュラハンから逃げるだけではなく、最も逃げやすいからという理由もあった。
そもそも、南側、東側含めて、人が通れる道は四通りしかない。
最も安全な道はヴァルキの東側、北東にある山‐俗称コボルト鉱山‐の南側を抜ける道だ。
コボルト鉱山の南に生える森にはランクD指定の動物型魔物がいるが、動物が魔法を使うようになっただけであまり知能がないため、弱い。
しかし、人間が沢山押しかけたら、領域間の安全地帯と言っても確実に反応するだろう。
人一人で一段階強化されるのに、たくさんの人が向かうため、おそらくとても強い魔物が出てくることになると考えた。
そういった理由から、アシウェルの父は領域間の通路で人が集まる所ではなく、通路から外れた、完全に領域内である森の中を進んでいるのだが、ここにいる森林狼はランクDで使う魔法は、加速と硬化であった。
つまり、遠距離攻撃が存在しないため、一般人でも相手が出来たりする。
農具を武器に大人の男達が森林狼の相手をする。
雄叫びを上げながら手に持つ得物を振るう。
飛び掛かってくる森林狼を横から、上から叩きつけ、地面に落とす。
後は後方で他の男たちがフルボッコにする。
きちんと止めを刺さないと後ろから襲われるなんてことになりかねない。
魔物は死ぬまで獲物を喰おうとするのだから。
そんな風に、魔物を倒しながら進む。
同じ事を考えた冒険者がいたのか、所々に戦闘の痕や、人が通った跡がある。
その跡をたどりながら森の中を進み、魔物を倒していくが、無傷とはいかなかった。
森林狼の攻撃を受け切れず、怪我をした者が戦闘を継続できなくなり、後ろに下がる。
幸いにして死者はまだいなかったが、次第に戦闘が厳しくなっていくのが、誰の目にも明らかであった。
さらに、既に日が沈み、周囲に光源はない。
明かりを付ければ魔物が寄ってくるため、火を起こすことも出来ず、今日はそのまま休むことにする。冒険者が作るような寝床の作り方なんて知るはずもなく、唯一見張りが必要なことは分かった為、二つのグループに分かれて見張りをすることになる。
だが、魔物の領域内であり、常に危険な状態であるため、皆寝付けない。
子供たちが疲れに従って素直に眠ったのは幸いした。
女性たちも子供の寝顔を見ている内に自然と眠りについた。
✩ ✩ ✩ ✩ ✩
朝、日が昇る前のうっすらと明るくなり始める時間帯。
後半の見張りをしていた人達によって起こされる。
周囲には森林狼の死体がいくつか転がっており、怪我をしている者も増えていた。
アシウェルの父が周囲の木々を集めて火を起こしたようで、森林狼の肉を焼いていた。
昨日の夕食をお預けされてだいぶお腹の空いていたが、ようやく食べ物を口にできた。
そうなると飲み物が欲しくなってくる。
「あなた、どこかに川はないかしら?」
「川は駄目だ。魔物がいる。我慢してくれ」
代表してアシウェルの母が聞いてみるが、却下される。
食事を終えるとすぐに移動だ。
前に通った冒険者から離れすぎると魔物が再び溜まってしまう。
危険は少ないに越したことはない。
昨日と同様に魔物を倒しながら進む。
暫らく進み続けると、一つ変化があった。
魔物の出現が前からではなく左側からになったのだ。
ようやく領域を半分進んだということになる。
景観に変化のない森の中を進んでいたこともあり、皆、特に戦っている男の間に活気が戻る。
そのままひたすら進み続け、日が真上に来る頃森林狼との戦闘が無くなっていた。
だが、一向に森を抜ける気配はしない。
あとどれ程森の中を進むのか、聞きたいが、聞いたら立てなくなりそうな疑問に、誰も口にしない。
「父さん、まだ森は抜けれないのですか?」
「ああ、まだだな」
アシウェルがぼかして訊ねるが、アシウェルの父は否定するだけだった。
具体的な距離を口にしない。
暫らく進むと、アシウェル父が足を止める。
戦闘を一緒に歩いていた男が訊ねる。
「この辺か?」
「おそらく」
謎のやり取りにアシウェルが訊ねる。
「ここに何かあるんですか?」
「境界だよ」
男の方が答えた。
商人がよく使う領域と領域の間の空白地帯ではなく。ひしめき合う領域同士がぶつかり合う境界。
こういった境界線は魔物が出る確率がグッと下がる為、冒険者がよく使う。
また、魔物通しの戦闘が起こることもあるため、森が荒れていたりすることがある。
「進むぞ」
アシウェル父が先導する。
再び歩き続けることになるが、さっきまでと違い戦闘がない。
それだけで心情的に余裕を持てた。
全員の足取りが軽くなり、気が緩む。
だが、決して明るい雰囲気というわけではない。
会話をすれば疲れるし、肉体の疲労が無くなっているわけでもない。
そこで水が流れる音が聞こえてきた。
「ねえ、水の音、しない?」
最初にその音を聞き取ったのはチーシェルだった。
その音は次第に大きくなっていき、必然皆の耳にも届くことになる。
「あなた」
「うーむ、先に私と何人かで様子を見に行って、魔物がいないようなら寄るとしよう」
半日以上何も飲んでいない状態に、子供を始めとしてほぼ全員が飲み水を欲している状態を看過できず、妻に促されたアシウェル父は妥協する。
即座にアシウェル父を含む男三人で様子見に出る。
行ってみると、そこには川が流れており、丁度魔物の姿も見えなかった。
「やった、水が飲める」
「おい、すぐに戻るぞ」
男の一人が喜んで水を飲もうとするが、引き留めて戻るように促す。
即座に皆の下に戻り、今なら大丈夫であることを伝える。
皆の間に歓喜の感情が広がる。
全員が喜んで川まで走って行く。
実際に川まで行くと歓喜の声を上げ、上流で水を飲み、下流では傷の手当てをしている者もいた。
出てくるときに何も持たずに出てきた為、水をためて置ける容器がないのが残念である。
皆が十分に水分を摂り、傷の手当てを終えると再び出発する。
皆が喜ぶ中、アシウェル父は来た方向を忘れずに覚えており、境界上に問題なく戻れた。
そのまま一日中進み続け、再び夜を迎えることになる。
その間一度も戦闘が起こることはなく、その日の夜は先日とは打って変わって、速やかに眠りにつけた。




