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ダンジョンおかず。  作者: 道尾ゆう
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吟遊詩人とフォンダンショコラ

吟遊詩人は、細く折れそうな指でハープを奏でる。

よく手入れされ、艶やかな光を放つ金のハープは実に魅力的な音を鳴らす。

彼の憂いに満ちた表情が、演奏に彩りを与える。


この広大な大陸に彼を知る者は誰一人居ない。

そして、彼自身も自分が誰なのかまるで記憶丸ごとをどこかに忘れてしまったように、すっぽりと抜け落ちていた。


「一体、私は誰なのだろうか」

夜が来る度に、煌々と燃える焚き火の前で、胡座をかき頬杖をつき呟いた。

もちろん、その呟きに返事を返す者など居ない。

そこには、ただ深く底の見えない夜が広がっているだけなのだから。


「何か、きっかけさえあれば……」

遠くの方で、鳥の甲高い鳴き声が響いた。

「鳥でさえ自分の正体は知っているだろうに……」

鳥の鳴き声が、にじり寄るように近づいている。何かおかしい、そう思い始めた時には鳴き声が背後まで迫っていた。


餌を飲み込もうとするように口を開け、威嚇し羽を広げる。

その羽は漆黒でくちばしは裂けるほど大きく、鳥いや化け物と言ったほうが、しっくりとくる風貌だった。

吟遊詩人はとっさにハープをとり、唄い始めた。

それは、意識してではなく呼吸するように流れ出たものだった。

鳥は苦しそうに羽を広げのたうち回る。羽の何本かが地面に落ち、何とか飛び上がったが進行方向も定まらない様子で、西の方へと消えた。


吟遊詩人は胸を撫で下ろした。

それと同時に不思議な感覚が沸き上がってきた。

浮かんだメロディーを口にした時、体が熱くなりもうずっと昔から知っているような。

そして、ハープを赤子でも抱くように抱え、焚き火の前で夜が明けるまで唄い続けた。


朝日が昇り、吟遊詩人は演奏の手を休めた。

「さて、これからどうするか……。そういえば、あの鳥は西の方角へ行ったな」

落ちた羽を一つ拾い上げ、朝日に透かした。

鳥の軌跡を頼りに西へと進む。

進めば進むほど森は深く、手には汗が滲む。

うっそうと繁る木は、行く手を阻むように何本も重なりあっている。


「無謀すぎたか……」

そんな思いが胸に去来した時、突然視界が開けた。

目前には緑の草原が広がり、涼やかな風が草を撫でる。草は唄っているように揺れ、その光景に吟遊詩人は泣きたいほどの安心感を感じ、膝から崩れ落ちた。


しかし、すぐに草原とは不釣り合いな洞窟のようなダンジョンの入口が、ぽっかりと口を開けているのに気付いた。

一見して中は暗く、物音一つ響いて来ない。

しかし、無数の視線がこちらを伺っているようで背筋が寒くなるのを吟遊詩人は感じていた。


「……ここに何か手がかりがあるかもしれない」

記憶を取り戻したい。藁にもすがる思いで吟遊詩人はハープを抱えダンジョンへと足を踏み入れた。


冷たい空気が頬をかする。

一歩、歩くごとに地面の石が音を立てる。

静まり返ったダンジョンで吟遊詩人は不安を打ち消すようにハープを鳴らし、唄う。

その美しい音色は壁に反射し、大きく音を響かせる。

唄っている間も、入口で感じていた視線がまとわりつくのを感じていた。

しかし、それらが襲ってくる気配は一向にない。


柔らかで、仄かに茶色い灯りが見えた。

それは昨夜見た焚き火の灯りよりも、ずっと体温を感じる灯りだった。

吸い寄せられるように灯りの方向へと向かう。


「いらっしゃいませ」

そこだけが街中の店のようで、吟遊詩人は面食らった。

「メニューはお決まりですか?」

当然のように店主は尋ねる。吟遊詩人は何を思ったか、思わず腰に巻き付けてある汚れた掌ほどの袋の中身を確認した。

それを見て店主は、くすりと笑う。

「大丈夫。お代はいただきません」


吟遊詩人は照れたように笑い、手を二回ズボンの側面で払った。

「食べ物屋か、記憶をなくす前は利用していたかな」

カウンターに備え付けられた椅子を引いた。椅子は硝子でも引っ掻くような音を立てた。


「当店のメニューです。ごゆっくりお選びくださいませ」

厚い木の板を使って作られたメニュー表。吟遊詩人は上の文字からじっくりと読み始めた。


「ステーキ、トンカツ。どれも聞いたことがない。一体どんな味がするのだろう、この……フォンダンショコラと言うのは?」

メニュー表の文字を指で指しながら店主に尋ねる。


「それは魅惑のメニューなんです、誰でも一瞬で恋におちるような」


「恋に?それは愉快だな。ではこれを頼もうか」


店主が料理に取りかかっても、吟遊詩人はハープを離さずしっかりと膝に抱えていた。


「きっと、大事なものなんですね」

店主は四角く、掌ほどの黒とも茶色とも見える物体をナイフで細かい音を立て刻んでいる。


「あぁ、きっと……そうだったのかもしれないな」

消えたはずの懐かしいものを、思い出すような眼差しで彼は答えた。


店内に充満する甘い香り。

それだけで吟遊詩人は気持ちが満たされるようだった。


「どうぞ。フォンダンショコラです」

店主がカタリと皿を置く。

丸く厚みのある物体は、深い茶色に甘い香りをまとう。


吟遊詩人は、一息吸い香りを体に巡らせる。

フォークで円の真ん中から端に向かって切っていく。切ったそばからトロリと茶色いものが流れ出す。

茶色いものを絡め、口に入れる。


口に入れた途端、ほのかな温かさが伝わり濃厚な甘さとほろ苦さが広がる。

ふわふわとしたスポンジとの相性は言うまでもない。調和されたまったりとした口触りは、次の一口を誘う。


ゆっくりと吟遊詩人はそれを味わっている。

「名残惜しいな、もっと味わっていたいんだが。これは私の故郷の味だ」

皿が空になった時、吟遊詩人はハープが音を奏でるように、語り始めた。


「やっと思い出したよ。今食べた物、それは『チョコレート』だね?」


「えぇ。フォンダンショコラはチョコレートをふんだんに使っています」


「このチョコレートというものは、私の故郷では禁断の薬と言われていた。王宮でハープを弾く仕事についていた私は美しい姫との許されぬ恋に溺れてしまった。ある晩、私は姫に中庭へと呼び出された。そこで姫はハンカチに包まれた『チョコレート』を大切そうに取り出した。二人だけの秘密。その味はまさに禁断という言葉に相応しい味だった。それから、数ヵ月後。姫との仲がとうとう王の知るところとなった。王は怒り狂い私を人、一人分ほどの小さな船に押し込み、海へ放り出した。全ては禁断の薬に手を出した罰なのかもしれないな」

吟遊詩人は天井を見上げ、記憶を反芻するように身動きひとつせず、座っていた。


それから、数分ののち腰を上げ店主を見て言った。

「ありがとう。ここのメニューを食べなければ思い出すことが出来なかったよ。放浪しながら残りはゆっくりと思い出す事にしよう」


金色に光るハープを手に持ち、吟遊詩人は店を後にした。


「また、何時でもどうぞ」

店主は茶色く丸いドアの前で吟遊詩人の背中を見送った。




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