ドラゴンと麻婆豆腐
艶やかな巨大な尾を持つ、その者はダンジョンの地下深くで眠っていた。
体に尾を巻き付け、静かに呼吸している。
その周りにモンスターは一匹足りとも存在しない。
その時。
プーン、チクッ。
一匹の虫が、鼻に止まり躊躇なく刺した。
「うん?何だ嫌にむず痒いな」
その者は、ゆっくりと目を醒ます。
鼻はみるみるうちに赤く腫れ上がっていった。
「痒い、痒い、痒い」
鋭い爪の前足で鼻をこする。
そして、深くため息をついた。このため息だけでも、上の階は振動しレベルの低いモンスターたちは恐れおののく。
「これは困ったことになったぞ。一階まで上がって毒消し草をとってこないとなぁ」
頭をぽりぽりと掻く。
「ふぅ、やれやれ」
その見事な体を持ち上げ、一歩一歩踏み出す。
ドシーン、ドシーン、ドシーン。
足音がフロア中に響く。
日頃見ることのない、その者の姿にモンスターたちは飛び上がり、遠巻きに見ている。
それを、横目で寂しそうな瞳で眺める。
頭に毒を持った大キノコが手を擦り合わせながら、腰を低くして近づいて来た。
「今日はどうなさったんですか?ドラゴンさん。いやー、いつみてもその尾っぽ素敵ですねー」
いかにもゴマすりの台詞にドラゴンはうんざりしていた。
「あぁ、これは……」
喋りだした途端、大キノコは柱の陰に隠れた。
「炎は、炎は出しませんよね?」
そんな大キノコの姿を見て、またもドラゴンはため息をついた。
無言でダンジョンの階段を上がるドラゴン。
そこに、仄かに明るい柔らかい光が見えた。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
ドラゴンは、さっきとはまた違う声が漏れた。
「ほぅ、これは……珍しい。こんな場所に店とは」
そして、隅から隅を眺め、目を細めた。
「品揃えも素晴らしい。よくこれだけのものを」
店主である女性は頷く。
「えぇ、それが私の仕事ですから」
そう言って、そっと木の板に書かれたメニューをドラゴンに差し出す。
ドラゴンは、それを興味深そうに眺める。
「ポテトオムレツに肉じゃが、サンドイッチにトンカツか……。うん?これは、麻婆豆腐と言うのは?」
「えぇ、これはとても辛いメニューなんです」
「辛いか。面白そうだな、ではそれを頼む」
さっそく店主である女性は豆腐を大きく切り、大きな鍋に棚の中の粉や液体状のものを入れている。
「辛いのお好きなんですか?」
「いや、好きではないんだ。ただ……ある考えがあってな」
ドラゴンは口ごもり気味に答えた。
「君にとってはどうでも良いことかもしれんがな、ここのモンスターたちはとにかく俺を恐がる。それはもうとてつもなくだ。仲間だと微塵も思っていないようだ。俺は……それが寂しいんだ。だからこそ、もし勇者が来た時のために、弱くて仕方ないモンスターたちを守ってやるために、普段から辛いものを口にし、より強力な炎を出せるよう努めているんだ。まぁ、気休めだがな」
ドラゴンは下を向き、フッと笑った。
「お客さんも大変ですね。弱いものには弱いもの、強いものには強いものの悩みがありますから。それこそ世界の真理かもしれませんね……っと、お待たせしました。麻婆豆腐です」
ドラゴンの前に置かれた真っ白な皿には豆腐と、それが溺れるくらいの赤い液体が入っている。
横には、氷がたっぷりと入った水がグラスに用意されていた。
ドラゴンはレンゲで麻婆豆腐を一すくいした。
レンゲの中に赤い液体、豆腐、肉、シイタケ、葱が一同に入り込んだ。
赤い液体は熱さを連想させ、今にもグツグツと聞こえてきそうだ。
口の中にそれを入れた瞬間、ドラゴンの目が大きく開いた。
「か、辛い」
みるみるうちにドラゴンの額から汗が噴き出す。
「辛い、でも止まらん!」
ドラゴンは次から次へと飲み込むようにかきこんで行く。
柔らかで淡白な豆腐にアクセントをつけるかのように、肉がジューシーさを演出し、葱そしてシイタケが歯応えを与える。
極めつけは赤く燃えるような液体だ。
それは地獄を想像させるほどの赤さで、辛さが鼻からも入ってきそうだった。
ドラゴンは額からの汗も気にせず食べ続けた。
そして、最後によく冷えた水を全て飲み終えると、しみじみと言った。
「辛かった。そして旨かった」
立ち上がったドラゴンは雄叫びをあげた。
まるで空気が震えているような、そんな感覚に陥るほどの見事な雄叫びだった。
上の階でレベルの低いモンスターたちが逃げ惑う足音が聞こえる。
ドラゴンが放つ炎、それが灼熱の炎に変化したことを店主以外、誰も知らない。