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ダンジョンおかず。  作者: 道尾ゆう
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勇者と玉子焼き

凍てつくような風が吹きすさぶ冬。

ダンジョンの前の緑もすっかりと枯れ果て、寒々しい情景が広がるばかりだ。

風に交じり、ちらほらと雪が舞い散る。

それをかつて勇者だった一人の青年が掴みとろうとする。

なんとか掌に閉じ込めた雪は、あっという間に溶けてしまった。

もの哀しそうにかつての勇者は、下を向き掌を見つめる。


ダンジョンへと足を踏み入れた勇者は、茶色の土壁に手を沿わせ歩く。


「懐かしいな、あの頃と随分違う」


思わず出た言葉は、壁に跳ね返りダンジョン全体に響いた。

それは、今このダンジョンに存在するのは勇者一人だけという何よりの証明だった。


『あの頃』とは違いモンスターは一匹も居ないのだ。 魔王を倒したあの時から。


勇者は思いを馳せる。

仲間と過ごした冒険の日々、そして優しかった街の人々、分かりあえたモンスターたち。


ふと涙が溢れそうになると、腕でそれを拭った。

勇者の心は、後悔と懐かしさで張り裂けそうだった。


「いらっしゃいませ、ご注文は?」


「あれ?」

勇者は目をこすり、今自分の目前に居る女性を不思議そうに眺めた。

「さっきまで誰も居なかったはずなのに」

勇者が首を傾げると、店主は可笑しそうに微笑んだ。


「私はずっとここに居ましたよ、それにこの店も。かつてあなたが冒険に来たときも」


「いや、そんな筈はない。一度入ったダンジョンは端から端まで探索したんだ。それなのに気づかないなんてこと……」


「その時はあなたにはこの店は必要ではなかったんです。でも、今は違う」

全てを見透かすような店主の目に、勇者は畏怖の感情を抱いた。

それは、自分が行ってきたことへの罪悪感を否が応でも掘り出すような、そんな目だった。

勇者は突如として首の動脈が熱くなり、波打つような感覚を覚える。

店主と勇者、しばらく二人の間には店の時計の針の音だけが流れた。


「ここでは、お客様自身が食べたいものを選び食べる。そんな極めてシンプルな事しか行われません」

立ちすくむ勇者に店主は両手でしっかりとメニューを差し出す。


「食べたいものを選んで、食べる……か」

我に返ったように勇者は呟いた。


「肉じゃがに、ハンバーグ。それに玉子焼き……そうだな、それではこの玉子焼きを」

勇者は玉子焼きと書かれた箇所を人差し指で指す。


店主はそれを聞くや否や、卵をカウンター裏から取り出し、良い音を立てて割る。

勇者はカウンター前の椅子におもむろに腰掛け、その様子を食い入るように見つめる。

割られた卵は箸で、手際よく混ぜられ渦が出来た。


「懐かしいな……昔は母さんがよく作ってくれたんだ」

目尻を細め勇者は言った。


「もう随分と忘れていた。こんなこと君にはどうでも良いことかもしれないが、僕はかつて『勇者』と呼ばれていた。」

店主は卵を混ぜながら、何も言わずただじっと聴いている。


「小さな時から勇者としての心構えを色んな人から叩き込まれてきた。僕は皆の希望だった。魔王を倒すために、仲間を集め世界中を旅した。ただ一つの目標のためにね。皆の僕を見る目は憧れと尊敬で満ちていたよ。あの時の僕は迷う事なんてなかった。様々な困難を乗り越えそして、とうとう魔王城へ辿り着いたんだ。玉座に座る魔王は実に堂々としていた。剣を交わらせた時、彼は言ったんだ『何千年もこの時を待ってた、我にまた正義あり』って、魔王の強い信念が伝わってきた。僕は初めてそこで迷いが生じたんだ」


店主は、ただ勇者の話に耳を傾けるように言葉を発せず聞いている。

そして、静かにフライパンに卵液を注ぎ、焼けつくような音を立てた。


「僕は彼のように生きる道を選んで来なかった。勇者に選ばれ勇者として育てられた。そこに何も疑問は感じずに。激しい戦いの末、最後魔王はこう言ったんだ『また我は眠りにつく、次に目覚めたその時こそ』って。凄まじい執念だった。魔王との戦いを終え僕は街に戻った。皆それはもう手を挙げて喜んだよ。でも、そこまでだった。魔王討伐後、僕はどう生きるべきか分からなくなった。それからは昼から酒を飲みフラフラと出歩く日々が続いた。あっという間だったよ、人々の憧れに満ちた目が冷ややかな目に変わるまでは。」


下を向く勇者の前に、店主がカウンターにカタリと皿を置いた。

顔を上げた先には、鮮やかな黄色に溶けるように白が交じり、湯気がほのかに舞う玉子焼きがあった。

ふっくらとしたそれは、少しの衝撃で僅かに揺れる。


勇者はそれを口に入れる。一口食べると勇者の目にはうっすらと涙が滲んだ。


「懐かしい。子供の頃に戻ったみたいだ」


勇者の脳裏に浮かんだのは子供の頃に過ごした村だった。村の子供たちと精一杯走って遊んだ。

草原に寝転がると青い匂いがした。

日が落ち、家に返ると母がご飯を作っている最中だった。

何もかも暖かく、何も失ってはいなかった。

洪水のように記憶が蘇る。それは鮮やかで眩しかった。


勇者は何も言わず、玉子焼きを大切そうに噛み締め食べる。

宝物のように味わう姿を、店主は微笑み見ていた。


「有り難う。とても美味しかった」

勇者は穏やかな顔で言った。


「僕はとらわれすぎていたのかも知れない。『勇者』という言葉に」

そう言い終わると、かつて勇者だった青年は店のドアを開き、光の射すほうへ歩いていった。


静まる店の中で、店主は「ふっ」と息をつく。


「しばらく此処は店じまいですね。また必要とされる、そんな時が来るまで」


店主は、玉子焼きの皿をキッチンへ運び、いつもと同じように洗う。

そして、茶色く丸いドアにcloseと看板をかける。

誰も居なくなった店内。灯りはゆっくりと消えていった。














おしまい。

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