砂漠の決戦
ルティティアを放棄し、東遷する。
クロスの決定は誰にとっても想定外だった。東方、広大な未開の大地が広がっていると言われている。確かにダース族を含めた住人はいないが、それには理由がある。『黒致死病』と呼ばれる、感染すれば助からないといわれる風土病があるからだ。これだけの民を連れて東方に移住しても、何人が黒致死病から生き残れるだろう?
だがクロスの決定は絶対だった。それに、不思議な知識と技術を有するこの男なら、黒致死病に対する対応策を知っているかもしれない。
決戦に胸を躍らせていた兵士達をなだめながら、リリーヌは東遷の準備を進めた。
東方にたどり着くには、死の砂漠と言われるエウロパ砂漠を越えなくてはならない。兵士達はともかく、民を連れて行くのは困難を極める。必要な物資は膨大なものになるだろう。問題はそれだけではない、砂漠の横断中にダース族の追撃を受けたら、ひとたまりも無い。
クロスから次の命令がきた。
ルティティアの周辺の村から砂漠越えのための物資を集めること。
持ちきれない物資は、廃棄すること。
村と畑に火を放ち、井戸には毒を投げ込むこと。
リリーヌは兵達の先頭に立ち、命令を実行した。短期間とはいえ、ルティティアでの生活には愛着があった。無人とはいえ村々に火を放つことには心が痛んだ。ルティティアに以前から住んでいたものの心情は、推し量ることすらできない。それにこの土地を、再度占領し利用する機会もあるかもしれない。いつかヘレネやセリナを助けに戻る可能性もある。その思いが、無意識に破壊に手加減を加えてしまった。
結果として、リリーヌが率いたインム部隊の破壊は不徹底に終わった。この代償を、リリーヌは後に支払う事になる。
豊かなルティティアは荒廃した。民達もここに留まりたいとは思わないだろう。それに、荒廃した大地は、敵の現地補給を不可能にする天然の障害となりうる。多くの民を連れて砂漠を横断するのだ、敵の追撃からの時間を稼ぐ必要があった。
ルティティア城塞を棄てる日が来た。
民達はローラントに率いられ、一足先に砂漠横断のために出発していたたため、随伴しているのは兵士達だけである。
城門をくぐり、外に出る。
「まさか、こんな形でルティティアを後にするとは思ってもみなかった」
駱駝に騎乗しながら、リリーヌは呟く。
「お姉様、見て!城塞に……火が……」
エルの叫び声が聞こえ、リリーヌは再び振り返る。
ルティティア城塞が燃えている。持ちきれなかった物資や城塞を、敵に利用されない様に火を放った様だ。クロスの指示は徹底していた。
この城塞を落したときは、嬉しかったものだ。ここが拠点だと、家であると思ったものだ。故郷を永遠に後にする様な気になった。
エウロパ砂漠には、幾つかのオアシスが点在している。
このオアシスづたいに、砂漠を横断する計画だった。
最初のオアシスで、ローラント率いる民の一団と合流した。
彼らは数日前に出立したはずだったが、民の移動速度は驚くほど遅かった。彼らは本当に、砂漠を越えられるのだろうか?
「女子供、負傷者の移動速度が遅く、思う様に進めません。駱駝の数もまるで足りません」
ローラントが申し訳なさそうに報告する。
クロスは、兵士達が保有している駱駝に、それらの民を乗せる様に指示した。また兵士達には、分散して民の移動を助ける様に指示した。
リリーヌも駱駝を返上し、徒歩で砂漠を歩く。
クロスでさえ歩いているらしい。
大変だったが、クロスが女子供や負傷者を見捨てなかった事が嬉しかった。
たまに発せられる非情な命令にも、全て意味が有る事だった。無駄な犠牲は何一つ無い、最小限のものに限られていた。
ーーその時はまだ、そう思っていた。
民を5隊に分けて砂漠を横断することになった。
隊を分けたのは、1つのオアシスの補給能力が限られていることと、万が一ダース族の襲撃を受けた際、全滅を避けるためだった。
エウロパ砂漠に点在するオアシス伝いにバラバラに横断し、最後にある巨大オアシスで合流することを約束しあった。
それぞれの隊を、クロス、ジル、ローラント、カレリーア、そしてリリーヌが指揮する事になった。
リリーヌの指揮下には今までと同じくインムの全部隊が護衛に付けられたが、他の隊と比較してもっとも弱い部隊であることが明白だった。ジルとローラント、カレリーアは自分たちの種族の部隊の一部をさいて、護衛にまわしてくれた。その配慮が嬉しかった。
戦闘部隊以外に、種族混成の民達が行動を共にする。その行軍は、もどかしいほど遅かった。
それに、これだけの部隊を指揮するのは初めてだった。何よりクロスの指揮を離れるのが不安だった。
敵の追撃の可能性もある。
いまさらながら、ルティティアの破壊が不徹底だったことが悔やまれる。もっと徹底的に破壊しておくべきだったのだ。あの施設をダース族が利用して、こちらに向かっているのかもしれないのだから。
悪い予感は的中した。
真夜中、猫人族の斥候が急報をもたらした。夜目に秀でる彼らは、昼夜を問わず哨戒任務をかってくれていたのだ。
「敵、南の王の一部隊、西に駐屯中!このままでは明日中に追いつかれます」
衝撃が走る。リリーヌは緊急軍議を開いた。
総司令官リリーヌの下に戦闘部隊と特別部隊のインムの司令官、人族や獣人、エルフの部隊の長達が集められた。
エルもリリーヌの秘書として側に控えている。
「……この砂漠では塹壕は掘れません。襲撃されたらひとたまりもないでしょう」
リリーヌは悲痛な面持ちで現状を述べる。
脚の遅い民達を率いては、逃げ切る事もできまい。
みな無言で沈黙した。
誰も言わなかったが、方法はあった。
脚の遅い女子供や負傷者を、見捨てて逃げればいいのだ。
その台詞を、誰かが口にするのを待っている様に思われた。
「恐れながら、私に案があります」
インム特別部隊の長、サーシャが発言し、沈黙を破る。
「私達、特別部隊が囮となります。敵が確保したいのは、私達インムの女達のはずです。私達が囮となれば、それ以上は追撃してこないでしょう」
「何を言われる、サーシャ殿!あなた達を犠牲にした上で遁走するなど、断じて認められぬ!誇り高きクロス団の戦士として、民達を逃した上で明日全部隊で迎え撃ちましょう!」
サーシャの案には、獣人族やエルフ、人族達の隊長達が皆猛反対し、無謀な決戦を主張した。
彼らは私たちをインムをかけがえの無い同胞と思ってくれたいるみたいだ。
逆にサーシャは、ヘレネの例を持ち出し、最低限の犠牲の必要性を説いた。
軍議の結論がでない場合の決断は、総司令官のリリーヌが下す事になる。このままでは非情な決断を、する事になるだろう。
「わたしに策があります。聞いていただけないでしょうか?」
エルが発言を求める。
「エル、あなたは控えてなさい!」
秘書に過ぎないエルに、この軍議での発言権は無い。リリーヌの命令を、他の者達が取りなす。
「まあまあ、どんな策かくらい、聞こうではないか」
では……とエルは答える。
その仕草は堂々としている。いつの間にか大きくなったものだ。
「特別部隊が投降を偽って敵陣に入り、油断したところを襲撃します」
エルの案は、囮案と決戦案の中間のものだった。
確かに上手くいけば犠牲は少なく勝つ事ができる。失敗すれば全滅だが、その危険性はどの案でもある。
協議の上、エルの案が採用された。ただリリーヌは、囮部隊に参加するインムはあくまで志願者であること、また成熟した大人のインムに限るという条件をつけた。
一時でも敵の手中に落ちるのだ。大人のインムで無ければ耐えられまい。
当然、エルは除外されるはずだ。
至急、志願部隊が募集される。兵達も、決戦に備え慌ただしく動き回る。
異変を聞きつけた民達からも、戦闘に志願する者が続出した、ナイフや棒で武装する民達、片腕を失った負傷兵が、残った片腕に手槍を握りしめ、自らの所属を求めてきた。リリーヌは彼らの戦闘参加も許した。どう見ても戦えないと思われる重傷者や女子供達も、自分たちにできる役割を求めた。
クロスならどう戦うだろう?彼なら、例え隔離魔法が無くても知略の限りを尽くして戦うのではないか?
『戦争の帰趨を決めるのは、火力や魔力ではなく、士気と戦術』、クロスに何度も叩き込まれた事を思い出した。兵達と民達の士気は天を突くほど高い、後は総司令官であるリリーヌが戦術を与えてあげるだけだ。
「民達を逃す必要はありません。兵達と民達を合わせた全軍で、敵を迎え撃ちます。総指揮は、私が直接とります」
今夜中に、決着をつける。
万が一全滅しても、他の4隊、最悪クロスの隊だけでも生き残ればいいのだ。
そう思うと、気持ちが少しだけ軽くなった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次話「エル」




