別れ
リリーヌは小隊をまとめてルティティアの城門をくぐる。
報告で、インムの特別部隊にも何人かの負傷者がでたことを聞いたが、その負傷者の中にエルの名前は無かった事に安堵した。
それでもリリーヌの小隊からは死者を出してしまったのだから、隊長としては喜びの表情を出すわけにはいかない。
部隊を率いるというのは煩わしい、そう思った。
堅固で知られるルティティアの城門は、鋼黒鉱石で作られた城門を魔法で強化したものである。
「いかなる攻撃でも破壊されまい」そう思われていた城門は、大きく十文字に分断されている。
クロスの『隔離魔法』らしい。
空間ごと隔離するクロスの隔離魔法は、いかなる防御力を無効化し、斬れぬ物はないという。
エル達の特別部隊とローラント率いる軍が、敵主力を惹き付けていたため、攻城戦自体は城門を突破した時点で勝敗は決していた。
何より大きかったのは、城内戦闘がほとんどなかったため敵の備蓄をほとんど喪失せずに、確保できたことだった。
ルティティアに蓄えられていた備蓄はすざまじく、クロス団だけなら何十年でも篭城できそうなほどだった。
交易の要所らしく、資材以外に馬や駱駝も無数に繋がれている。
宴が催され、リリーヌも炊き出しの支援をした。
「エル!良かった。無事で良かった!!本当に……心配させて……」
「ごめんなさい。でも、私も役に立てたよ」
エルが炊き出しをしているリリーヌの姿を見つけて抱きついてくる。死地から生還したお互いの無事を確かめ合う。
もうこんな心配は二度とごめんだ。リリーヌはエルを抱きしめながら、そう思った。
エルと共にインムに伝わる伝統料理を作り、人族や獣人族にもふるまった。
彼らも郷土料理や肉料理を作り、リリーヌ達の元にやってきた。人族の女達も家庭料理をふるまってくれた。
エルフ達も料理と杯を持って宴に参加し、共に勝利の美酒の味を分かち合った。
同胞達との助け合い、異種族との交流、夢の様な一夜だった。
今思うと、この夜がリリーヌとエルとって最も幸せな時だったのかもしれない。
ルティティア陥落ーーその報は西方中に轟いた。
戦乱の西方にあっては、一夜にして勢力図が入れ替わることは珍しくない。ダース族の勢力が、より強いダース族の勢力によって駆逐され、上書きされる。
その無限の繰り返しが西方の歴史そのものである。
だがダース族以外の種族が、勢力を確立することは歴史上初めてであり、衝撃が大陸中に轟いた。
そしてその指導者は、女神ベルダンティに祝福された使徒である事も、人々を狂喜させた。
『希望』ーーこの絶望の世界の人々は初めて光を知った。
時運も味方した。
北の王が北方諸国をほぼ制圧し、南の王との決戦を前にこう着状態だったため、どちらもルティティアに兵を向ける余裕が無かった。
これは偶然だろうか?
否である。あのクロスがその隙を利用しないわけがない。
第三勢力の立ち上げーー三国鼎立ーー北の王と南の王の勢力が拮抗している今こそ、弱い勢力でも第三勢力となりえる。
いや、上手くすれば、それ以上の事が可能かもしれない。誰もが抱いた夢ーー北の王と南の王が激突した後、弱まった両者を制圧する。
女神ベルダンティがクロスに与えた力がどれほどかわからなかったがーー無尽蔵とさえ思えたがーー彼の持つ神剣レーヴァテインと隔離魔法なら、最強とされるダース族の北の王でさえ撃破できよう。
ダース族のいない世界、にわかには信じがたいが、それすらも実現可能なのだ。
希望の光に導かれて、多くの流民がルティティアを目指してきた。
毎日数千、多い時には一万を越す様々な種族の流民がルティティアに押し寄せ、臣民となる事を希望した。
クロスは倉の蓄財の一部を放出し、彼らに提供する様に命じた。
リリーヌの身にも変化があった。
ルティティア戦の功績が評価され、上級士官に加えられたのだ。ヘレネが推挙したらしい。
ジルやローラントは大先輩でこそあるが、上級士官となれば立場上は同格である。リリーヌは、ヘレネに代わってインムの全軍を率いる事を期待されているのだ。
あまりの事に身が震えた。
何度も辞退を伝えたが、ヘレネにそのつど説得され、遂には承諾した。
上級士官となればクロスにより近づけるし、エルを危険な任務から外す権限くらいは得られる。
もうエルの身の心配をせずに済む。
それがリリーヌが上級士官になることを引き受けた理由だった。
リリーヌの少し前に上級士官となったエルフの男ーー名をカレリーアと言うがーーと並んで、クロスから徹底して部隊指揮のノウハウを叩き込まれた。
上級士官としてのノウハウの他に、人の上に立つ者として冷徹な覚悟が求められた。
10を生かすために1を切り捨てる。その役割が、上に立つ者には求められる、クロスの帝王学は徹底して非情だった。
この非情さを隠すために、上級士官は厳選しているのか。リリーヌはクロスの新たな側面を知った。
その必要性は理解しながらも、その切り捨てられる1が、エルにならない事を願うばかりだった。
ある日の夜、急にヘレネに呼び出された。
「ごめんなさい。本来なら、私が上級士官のあなたを訪ねるべきなんだけど……私が動くと目立つから」
ヘレネはそう言う。相変わらず、圧倒的に美しい。彼女の前では、天女も女神も霞むだろう。
確かに立場的には上級士官の自分の方が上だが、インム達の間の権威では『伝説のインム』であるヘレネの方が上だ。
「明日早朝、私は特使として北方へ旅立つわ。目的はーー北方のインムたちの解放」
リリーヌは驚いた。確かに北方には今でも多くのインム達が捕われて慰み者にされているが、軍も連れずにどうするつもりだろう?
そうして気付いた。ヘレネの美貌は、インム数千に匹敵すると唄われている事を。
「私が北の王のハレムに入る事を約束させる代わりに、他のインムたちを解放させる。リリーヌは、ここに残るインム達を率いて欲しいの」
リリーヌは反対した。それでは、ヘレネは一生北の王のハレムから逃れられまい。そういう事が無くなる様に、自分たちは戦ってきたのではないのか?
「リリーヌ、聞いて。これは重要な事よ。私が北の王のハレムに入れば、南の王は必ず私を奪うために北の王と全面戦争に突入する。これは、インムだけではない。クロス様達みんなのためでもあるの」
確かに……今北の王と南の王が全面戦争に突入すれば、貴重な時間が稼げる。
うまくすれば、共倒れさえ期待できる。
昨日、クロスから聞いたばかりの言葉を思い出す。10を生かすために、1を犠牲にする。ヘレネは、自らをその犠牲とするつもりか。
「リリーヌ。昔話をしましょう。私は生まれつき、インムの中でも特に強大な魅力とチャームの魔力を持っていた。他の娘達より、ずっと幼い頃からダース族の玩具として弄ばれてきたわ」
首を縦に振らないリリーヌに対し、ヘレネは語り出した。
「私を守ってくれたと思った男の人は、私を手に入れるとすぐ獣に豹変した。私を巡って大戦争にまで発展した事もあった。これはインムの宿命、私の宿業、命を絶とうと思った事は一度では無いわ。その悲劇を生み出すしか無かった私の容貌が、今、役に立とうとしているの。私は大丈夫。この体が、種族の役に立つなら、これほど栄誉なことは無いわ。私には、今まで生きてきた価値があったのよ。永遠に続くインムという種族の、国家の、礎となれるのよ」
やさしく、そして美しく微笑むヘレネ。『力なき絶世の美女』、物心つくと同時にダース族の玩具として扱われてきたその苦悩がどれほどのものだったか、インムであるリリーヌにさえ理解できない。
その決意の前に、リリーヌは何も言えなかった。それに、思ってしまった。もし北のインム達が解放されるなら、その中にセリナが含まれているかもしれない、と。
またセリナに会える?エルをセリナに会わせてあげられる?
ヘレネの決意を聞いた際でさえ、そんな事を考えてしまった自分が憎かった。
翌朝早朝、ヘレネは僅かな護衛を連れて北に旅立った。表向きは外交特使、実際は生贄。
純白のドレスを着込んだヘレネは今までで一番美しかった。どんな陵辱の限りを尽くされても、その心までは汚せまい。
ヘレネは最後にクロスと2、3の言葉を交わし、振り返る事無くルティティアを去った。もう会う事もあるまい。
リリーヌが上級士官になったのも、ヘレネ無き後のインム達の指揮を執るためだったのか。
自分が推挙された時は既に、ヘレネは覚悟を決めていたらしい。
名実ともに、リリーヌはヘレネに代わってインム達の長となってしまった。
インムの長としての仕事は忙しかった。
しばらくはその仕事に忙殺された。
その後、北からインム達の一団が解放され、ルティティアのクロス団に合流したという報告を聞いた。
自分の代わりにエルにセリナを探させたが、残念ながら一団にセリナの姿は無かった。
急報が入る。南の王の軍隊が、大挙して北に攻め込んだのだ。
元愛妾であるヘレネが北の王の元にいると聞き、南の王が激高したらしい。
これを機に、各地のダース族に支配された人族、獣人族、エルフ達の奴隷達が反乱を起こし、大脱走を試みる。
彼らは大挙してルティティアを訪れた。
ルティティアの人口は何十万になるだろうか、もはや数を把握することができない。
彼らの半数が戦えるとして、武器はどうやって調達しよう?
そもそもこの巨大な人口を、豊かとはいえルティティアの大地は養う事ができるだろうか?
だがチャンスでもある。南北のダース族の国家が戦争で疲弊すれば、弱った両国を滅ぼしダース族を殲滅するまたとない好機なのだ。
ヘレネが身を投げ打って作ったチャンスを、逃すべきではない。
様々な事を考えながら、次のクロスの指示をまった。
彼が死ねというのなら喜んで死地に赴こう。
自分もいつかヘレネと同じく、『永遠に続くインムの国家』の礎となるのだ。
だがヘレネが語った『永遠に続くインムの国家』が、虚構である事は、この時はまだリリーヌもヘレネも知る由が無かった。
翌日、待ちに待ったクロスの指示がおりた。
ーールティティアを放棄し、全ての民を連れ、エウロパ砂漠を横断し、『新天地』東方に向かうーー