隔離の勇者クロス
クロス達の一団に参加したリリーヌとエルは、インムの代表者を紹介された。インム達の人数は100人ほど、種族ごとに一つのグループを形成して野営している。
クロス団の総数は1000名くらいいるだろうか、思ったよりずっと多い、インムに獣人にエルフに人間、グループごとに分けられているものの、共に戦い、生活している一団である事には変わりがない。種族間の争いが絶えないこの世界では、あり得ない光景が広がっていた。
「はじめまして、私がクロス団のインム達の長、ヘレネよ。よろしくね」
リリーヌは再び驚いた。淡い白金の髪を持つインムであるヘレネ、その美しさから、ダース族の国同士の数十年にわたる戦争にまで発展したとされる伝説のインムである。噂では南のダース族の王の側妾として、贅沢の限りを尽くしていると聞いていたが、まさか彼女もクロス団に参加していたのか。
「……強大な王の側妾といっても、所詮は奴隷にすぎないわ。だって自由に恋愛とかしたいでしょう?」
ヘレネは微笑みながら答える。だがその目は大真面目だ。
「自由恋愛」……子供時代ならまだしも、成人したインムにとっては、あり得ない概念である。強い男に従い、その男の敗北を恐れつつ、または男に飽きられない様に怯えながら生きる、それが成人したインムの一般的な生活である。だが目の前の伝説の美しさを持つインムは大真面目にその言葉を口にした。
「リリーヌ、貴女は強力な魔力を持っているから、この腕輪をはめなさい」
差し出されたのは、ミスミル銀で作られた腕輪だった。通称『封魔の指輪』、ミスミル銀は魔力を吸収する効果があるため、魅惑魔法を抑制するために使われているらしい。クロスが女神の秘技により作り出したものだそうだ。
リリーヌとエルは戦闘班と後方班に分かれるように言われた。
リリーヌは戦闘班を希望し、エルは後方班に振り分けられた。エルはリリーヌと同じ戦闘班入りを希望したが、リリーヌは許さなかった。エルを前線に出す訳にはいかない。
リリーヌにはクロスボウという機械式の弓を与えられ、戦闘訓練に従事する様に命じられた。この弓もクロスが発明したものらしいが、名前を聞くと彼は「クロスボウ」と答えたので、「クロスの弓」という名で呼ばれていた。
戦闘訓練は厳しかった。実戦でもこれほど厳しい事はないだろう、と思えるほどに過酷なものだった。
クロス自身が訓練を指導する事もあったし、先ほど先陣を切って戦っていた狼人族の男ーージルと名乗ったがーーが代わりに訓練することもあった。彼が前線司令官らしい。
エルが戦えない以上、自分がエルの分まで戦わなければならない。何より、さっきみた光景が忘れられない。自分も、戦いたい。
リリーヌは他者の2倍努力して、戦闘訓練に励んだ。
憎き髑髏の団を壊滅させたことは、すぐに風の噂で伝わり、各地の協力者から物資や食料が届けられた。参加を希望する者も多く、今日加わったのだけでも、リリーヌ達を含めて数十人にのぼった。
物語で語られる、王国のひな形なのかもしれない。このままクロス団は大きくなり、領土を得て、いずれはクロスを王とする王国が建国されるのではないか、自分はその国生みの物語の中にいるのだ、とリリーヌは思った。
だがクロスの考えは違った様だ。彼は、王になる気は等は無かったのである。
群衆を集めた広場で、クロスは様々な物語を語った。
それは多岐にわたった。純粋な戦術論に関するものも含まれていたが、聞いたことがない世界の歴史話が多かった。最強の陸軍大国相手に絶望的な戦いを凌ぎ切った北の国の話、幾度と無く奇跡を起こした東方の島国の話、瀕死の帝国から祖国を新生した偉大なる父の話、生まれたばかりの革命を守るために戦った民衆の話。それは異世界の知識であり、社会制度であり、物語であった。彼は必死に何かを、砂の様にバラバラなフィフスガルドの群衆の中に植え付けようとしていた。それが何だったのかは理解できなかったが、それらを話すときの彼の表情は熱がこもっており、いつもの氷の様な瞳とは違う、滅多に見せない感情を感じる事ができた。リリーヌは、熱っぽく語る彼の表情が好きだった。
うれしい事が一つあった。エルが、徐々に明るくなってきたのだった。
エルはクロスが語った異世界の社会制度の一つである〝結婚制度〟に夢中になった。この世界でも似た様な制度はあるが、基本は一夫多妻制であり、力ある男が女達を集め、男の力が失われたり女の美貌が失われたりすると、バラバラになる一時的な物にすぎない。彼が語ったのは一夫一婦制、生涯にわたって片方が倒れても、もう片方が支える制度だった。
エルが夢中になったのもうなずける。そして、エルが誰と生涯の伴侶になりたいのかも、リリーヌには手に取るようにわかった。
けれど……リリーヌはエルほど夢見がちでない。一夫一婦制では、あぶれる男女も多くでる。力ある男が、複数の女達を囲う制度の方が、この戦乱の時代においては、適していると思う。一夫多妻制は、美貌しか取り柄が無いインムの女を保護する制度でもあるのだ。
例えばクロスが王となり、複数の女達が側室となる。自分も側室の末席にでもおいてもらえばいい。そうすればエルを侍女として側に置ける。エルが成長したら、その密かな望み通り側室に加えてもらえればいい。
リリーヌは戦闘訓練が嫌だと思ったことは一度も無い、だが戦場にでれば、万が一にでも命を落とすかもしれない。そうなった時、エルはどうするのだろう?その事を考えると、クロスが王になり、多くの妃を娶って欲しいと考えてしまう。
クロスを王として戴冠させようとする動きは、何度もあった。強引に王冠をかぶらせようとしたこともあったし、何人もの群衆が頼み込んだこともあった。
だが彼は頑に拒否した。彼は、特にそれぞれの種族が自立して戦うことを望んだ。自分への依存や個人崇拝は、徹底して拒否した。
彼は指導者であったが、支配者では無かった。
そう、彼は『英雄』だったのだ。
『英雄公クロス』、いつしか彼はそう呼ばれる様になった。
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「ごきげんよう、ヒデオ・クロス、こうして会うのは何度目かしら?」
倒れ込んでいる男に、女神ベルダンティが微笑みながら覗き込んでくる。
「ああ……気分は最悪だ……何度体験しても慣れないな、この瀕死からの復活というのは……」
男が答える。
彼の名前は黒須英雄、1ヶ月前、平成の日本から召還された男である。
女神ベルダンティは、幾度と無く彼をフィフィスガルドに転生させ、それと同じ数だけ瀕死の重傷を負って彼は帰還してきた。
「……そう……では、もうこれで最後にするの?あなたが諦める、といのであれば、無理強いはしないわ。元の世界、ニホンに返してあげる。ニホンでの時間は、ほとんどたっていないはずだわ」
この無慈悲な女神にしては、珍しく優しい口調で語りかける。
「いらぬ心配だ。すぐフィフスガルドに戻る」
男はぶっきらぼうに、そう答える。「戻る」、彼にとっては戻る世界は日本ではなくフィフスガルドなのだろうか。
「……ねえ、少しお話ししていいかしら?」
女神は珍しく、男を引き止める。
「なぜ、そうまでしてあの世界を救おうとするの?異世界人のあなたにとっては、無関係な世界でしょう?」
男は答える。
「……許せないからだ」
「許せない?ダース族が?それともあんな世界を作ってしまった私たち神々が?」
「どちらでもない。あの世界の、ダース族に支配されるだけの民衆が、許せないのだ」
予想外の答えに、女神は驚く。だが表情にはださず、穏やかな顔を維持したまま男の話に耳を傾ける。
「あの世界の民衆は、隣の者が奴隷として拉致されても、救おうとはしない。ただ、自分だけが、その一瞬だけでも生き延びればいいと考える……彼らにあるのは、せいぜい家族愛で、それ以上の価値観、『国』や『民族』、あるいは他の共同体といった価値観が欠如している。砂の様な連中だ」
男は遠くを睨みつけたまま話を続ける。その瞳は悲しみに満ちている、だが死んではいない。
「確かにダース族は手強い。だが戦い方によっては、彼らでも勝てないことも無い。彼らに欠如しているのは、個人や家族以上の者のために戦おうという覚悟と、自立しようとする決意だ。そしてそれらを支える共通の文化であり、誇りある歴史だ。それらさえあれば、時間はかかるかもしれないが、いずれ彼ら自身を救うことができる」
「……それは、あなたの元の世界の価値観ではなくて?」
「そうだ。彼らがそういった価値観を構築するのには、長い時間が必要になるだろう。だが私なら、その時間をずっと短縮することができる。それに、私はフィフスガルドの存在を知ってしまった。知るということは、責任をともなう。時間的制約が無いというなら、なおさらの事だ」
神界にて世界を見ることができる女神ベルダンティにとっては、知ることが責任をともなうという言葉の意味が、理解できない。
だが、この正義感の強い少年がそのまま大人になった様な男が、この世界に対して強い熱意を持っていることだけはわかった。
自分はどうだろう?妹と違い、この世界に対する関心すら失いつつあるのではないか?
「……あなたのことはよくわかったわ、クロス。あなたこそ、私の使徒にふさわしい。これからは、私のことをベルと呼びなさい」
「……女神ベル、いったいどういうことだ?」
「スクルドちゃん、ここに」
少女の女神が現れる。髪はベルダンティと同じ銀髪だが、目は小動物の様に愛くるしい。
「彼に職業を与えたいの。この世界を救うための、私の使徒にふさわしい最強の職業を……」
「わかったよ、ねえさん」
「クロス、私の妹スクルドは、職業を司る神なの……望む職業はあるかしら?伝説級の力をもつ勇者?それとも聖王の器を持つ君主かしら?」
「……勇者や君主では、彼らは救えない。新しくそれらに依存するだけだ。彼らに必要なのは指導者であり、戦術家であり、政治家であり、教師だ」
「クロス、あなたの名前である英雄には英雄という意味があったね」
「ああ、そう読むこともできるが……?」
「指導者であり戦術家であり政治家であり教師……『英雄』はその要件を満たし得るわ」
「彼の名前がもつ言霊の力を利用すれば、特別職『英雄』につけることは可能だよ、ベル姉さん」
「これで決まりね。ヒデオ・クロス……いえ英雄クロス、あなたを私ベルダンティの使徒とし、最強の神剣である隔離剣レーヴァテインを授けます。そして最強魔法である空間魔法の一つ、隔離魔法を授けましょう。そして使徒にふさわしい知識を授けます」
女神ベルダンティがその使徒クロスに授けた知識、それはこの世界の『闇』の原理であり、ダース族の秘密であった。そして『闇〟を生まれなくする秘策を授けた。加えて、隔離魔法を扱うために必要な、膨大な魔力を集めるための秘技も伝えた。そして犠牲となる存在についても、伝えた。
与えうる限りの全てを女神ベルダンティは自らの使徒に授けたのである。
リリーヌがクロスに出会う約一ヶ月前、フィフスガルドにこの世界最高の英雄——『隔離の勇者』——が降臨した。
ーーーーーーーーーーーーおまけーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「きゃ——っつ、彼に〝ベル〟って呼ばれちゃった!どうしましょう!!」
「……ねえさんが言わせたんじゃないか」
「やっぱり使徒よね~女神の特権だわ!きゃー!今夜は興奮して寝れなさそう!」
「……アレスさんはもういいの?」
「あんな戦闘バカ、ほっときゃいいのよ!死ねばいいのに!」
「クロスさんとは年齢差だってあるよ?」
「そうよねそうよね。私18で、彼29だったかしら……でもこのくらいの年齢差なんて問題無いわ!」
「ニホンの時間だと、ねえさんは18000歳だろうに……何でルーン年で計算するのさ……」
英雄……こじつけです。
スクルドは昔からいい加減な性格だったみたいです。
クロスは、主人公の壁であり目標です。中ボス相当の予定です。
過去の話は、それぞれフィンランド、日本、トルコ、ヴァルミー(仏)です。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。