インムの少女、ユリス
神殿から帰ろうと、階段を下りる。
正面から、ローブを頭からかぶった小柄な人が階段を登ってくる。ローブは焦げ茶色で、みすぼらしい。例えは悪いが、ボロぞうきんを縫い合わせた様なローブだ。顔もスカーフでほとんど隠しており、男か女かさえわからない。変な匂いもする。
「カナタさん、インムです。離れてください」
ニーアが小声でつぶやき、俺に道を譲る様にうながす。インム?奴隷店であったリリカと同じ種族か……確かインムは女性しかいない種族をだったらしいから、あの人も女性なのか?リリカよりかなり小柄で、背が高くないニーアよりさらに少し背が低い。おそらくインムの少女だろう。
だがその服装は、派手で大胆に肌を露出させていたリリカのドレスと違い、みすぼらしいことこの上なく、肌は全くでていない。
「インムは自らの魅力を隠すために、あえてああいう服装をして、肌をかくし、男の人が嫌がる香水をつけたりします。でなければ、神殿の様な神聖な場所に来る事は許されません」
真面目なニーアは、以前から淫乱なインムを嫌っていたな。あんまり良いイメージを持っていない様だ。
俺と同様に、周囲の参拝客も道を譲り、インムの少女から露骨に目を背ける。特に女達は露骨に嫌な顔をしている。この世界の女性は、とにかくインムを嫌っているみたいだ。
インムの少女はうつむいたまま、階段を上ってくる。
俺とすれ違う瞬間ーーインムの少女はーーその長いローブの裾を足で踏んでしまいーー
「きゃん!!」
可愛らしい悲鳴をあげ、派手に頭からこける。俺は反射的にインムの少女に駆け寄り、介抱する。
スカーフがはだけ、少女の顔があらわになる。
髪は美しいピンクのショートボブ、まだ幼さの残っているものの、陶器のように白い肌と端正な顔立ち、吸い込まれる様に澄んだ瞳は赤紫だ。
腕には、銀色の腕輪。魔力がこもった道具らしく、不思議な装飾が彫られている。
俺は息を吸うのも忘れ、そのインムの瞳に魅入られそうになる。
「ご、ごめんなさい。し……失礼します」
「カナタさん、離れてください!!」
インムの少女がスカーフで顔を隠し、階段を駆け足でおりて行く。
俺はニーアに強引に道の端に連れて行かれる。ニーアは思いっきり俺のホッペタをひっぱたく。
俺は何度も何度もひっぱたかれる。
「痛い痛い!ニーア、痛いってば……」
何度もホッペタを叩くニーアに、悲鳴をあげる。どうもチャームをかけられたのだと思っているらしい。
「ニーア、チャームにかかっていないから!……大丈夫だから、叩かないでくれ!」
「本当にチャームにかかっていませんか?本当ですか?もっと強くひっぱたいた方がいいんじゃないですか?」
酷いことを言う。大丈夫だって!
納得してもらうのに少しかかったが、チャームにかかっていない事を信じてもらえた。ほっぺは真っ赤に腫れている。
「つまづいたインムを介抱するなんて、正気じゃありません!インムはそうやって、油断した男性にチャームをかけて支配するんですよ。カナタさんがインムに支配されたら、私どうしたらいいか……」
この世界のインムに対する差別は相当なものらしい。妻の座をインムに奪われただの、彼氏を寝取られただの噂が絶えないのだから、仕方がないのかもしれない。
だが少し考えて欲しい。このインムに対する過度の警戒も、俺がインムに取られる事を憂慮したものだと思えば、悪い気もしない。
「大丈夫だよ。チャームにかかった様には思えないし、俺も少しはチャームに対する耐性があるからね」
実際、過去に2回ほどリリカのチャームにかけられた事があったため、チャームに対する耐性は少しはある。
それ以前に、さっきのインムの少女にチャームはかけられなかった。あの娘は本当に転んだだけなんだろう。ただ、あの娘の顔に少しの間だけ見とれたのは事実だ。でもこれはニーアには黙っておこう。
宿屋街は町の大通り沿いにあった。多くの宿屋が集まっているが、驚いた事にどこも満員だった。どうも獣人狩りのために、多くの傭兵達が集まっているらしい。ニーアは必死に空き部屋を探してた。俺は宿探しをニーアに任せながら、ここまで大規模になった獣人狩りを止めさせるにはどうしたらいいのか?そんな事を考えていた。
「戦争をやめさせるなんて、どうやっても不可能だよな~」
ジョブ神殿の傭兵みたいに、遠くから金目当てで集まって来ている傭兵達に、獣人狩りを止めさせる……か、力ずくでは絶対に無理だ。だが資金源を止めれば、金目当ての傭兵達は帰って行くはずだ。つまりスポンサーである貴族、ユトラント伯爵公に獣人狩りをあきらめさせることだ。
「でも無理だよな~伯爵公って、江戸時代の日本でいうなら小さな大名クラスだろうし、そもそも会えもしないだろう」
獣人狩りを止めさせる、何てのは無理だ。大人しく2万ルーグ稼いでニーアを手に入れよう。
戦争が起ころうと、俺には別にどうなっても良い。
「あの、カナタさん。申し訳ありません、ずいぶん探したんですが、空いている宿は無いみたいです」
ニーアが残念そうに言う。
「ごめんなさい。私がスクルド神様の神殿に行こうなどといったせいで……
むう、こうなったら野宿しかないのか……俺は別にいいがニーアには厳しいな。
「あのう……そちらの方、ひょっとして宿を探しているのですか?」
見ると、ボロぞうきんの様な服を全身にまとった少女が話しかけて来た。
ん?よく見るとさっきのインムの少女みたいだ。
「先ほどはありがとうございました。私はユリス・エル・アリエルと申します。もしよろしければ、ウチの宿を使われませんか?」
「カナタ・ロータスワンドだ。宿があるのなら、紹介してもらいたい」
「ではこちらに……」
黙ってユリスについて行く。
「インムの宿ですか……あんまり気乗りしませんが……」
ニーアは不満みたいだ。だが宿が無いのなら、仕方が無い。
「こちらの宿になります」
紹介してもらった宿は、そこそこ立派な宿だった。ユリスの服装からして、ボロボロの格安物件を紹介されるのかと思ったが、意外だった。
どうも服装がボロボロなのは、チャームをおさえるためであって、別に貧しいというわけではないらしい。
腕輪が気になったので、スキル情報強者でスキャンしてみる。
【封魔の腕輪】
魔力を吸収する性質をもったミスミル銀で作った腕輪
【汚れのローブ&スカーフ】
インムが着用する汚れたローブと顔を隠すためのスカーフ
チャームを抑える効果がある
【スルヌの香水】
とても嫌な匂いを発するため、糞草と呼ばれるスルヌ草を原料にした香水
男性の性的興奮を大幅に抑制する効果がある。
封魔の腕輪で魔力を吸収させ、汚い衣装で肌と顔を隠し、悪臭のする香水をわざとつける、か
インムも大変なんだな。
「ではお客様。お部屋は1部屋あたり25ルーグになります」
う~ん、お金がもったいないが、2部屋を頼むしかないか
「あの、カナタさん。できればその……相部屋でお願いします」
ニーアが恥ずかしそうに言う。
「ご夫婦でしたか。では大きめのベッドがある部屋をご用意いたします……お値段は、40ルーグになりますが、サービスで35ルーグにさせていただきます」
ユリスが答える。どうも夫婦と勘違いしてしまったらしい。
「カナタさん、それでいいです。早くお部屋に行きましょう」
ニーアが強引に決めてしまった。俺は安くすむならそれでもいいが。
お金を渡そうとするが、ユリスは視線を外してうつむいてしまう。無言で恐る恐るお金だけ受け取る。
俺も元の世界で、女性の店員にぞんざいに扱われた事はあるが、ここまで拒絶されたことはない。ちょっとへこむ。
「申し訳ありません。私……男性とは決して目を合わせたり触れてはいけないと厳しく言われておりまして……本当にごめんなさい」
ユリスは目をふせたまま謝る。
案内された部屋は少し大きめのベッドがあるだけの、簡素な部屋だった。
ユリスと別れて、ニーアはホッとした表情を見せる。とにかく俺がインムと一緒にいるのが嫌だったらしい。
「私は床で寝ますから、カナタさんはベッドを使って下さい」
ニーアは床にシーツを敷いて、簡単な寝床を作る。
「なあニーア、なんでそうまでして同室にこだわるんだ?」
シーツをしきながら、ニーアが答える。
「それは……インムは男性のベッドに潜り込んで、誘惑すると言います。そうならない様に、監視するためです」
あのユリスがそんな事するとはとても思えないが……まあそれでニーアの気が済むならそれでもいい。
「俺が床で寝るよ。ニーアはベッドを使えば良い」
「そんな、ご主人様を床で寝かせて、自分はベッドで寝るなんて…」
だが俺も譲れない。女の子を床で寝かせるなんて、自宅警備士のポリシーが許さない。
「じゃあ一緒に寝よう。こっちにおいで」
俺は思い切って言ってみる。ニーアは顔を真っ赤にしている。
ニーアはなかなか首を縦に振らない。ちなみに奴隷商から買い戻した夜も、一緒に寝たじゃないかという質問は無しだ。あの時は、俺にとってもニーアにとっても特別な夜だったのだから。
「床じゃあ、ベッドにインムが潜り込んでも気付かないかもしれないだろ?このベッドは大きいから、十分に2人で寝れる。ご主人様命令だ」
「はい……ご主人様のご命令なら……仕方ないです。ベッドで監視します」
ニーアが恥ずかしそうにしながらベッドに入ってくる。俺も、平静を装っているが、顔は茹でダコのはずだ。あそこがギンギンなのは、あえて言うまでもない。
ショートパンツにシャツだけの、シンプルな寝巻に包まれたニーアの体は相変わらず魅力的だ。
「でも……変な事しちゃダメですからね。あくまでインムからカナタさんを監視するためですからね。変な事したらルール神様に666の印をつけられちゃいますから」
ニーアが言う。くそう、生殺しだ……だが約束を破ったらスクルドとミルクが喜々として666の印を付けるだろう。スクルドの嬉しそうな顔が思い浮かぶ。
何としても2万ルーグ集めて、ニーアを手に入れるんだ。それまでの辛抱だ。
2万ルーグ手に入れたら、この可愛らしい猫耳も、絹の様な黒髪も、もみくちゃにできる。
俺はそう思いながら、眠りについた。
投稿は、午前0時を予定しております。
インムのお話のメインは、次章になります。