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自虐的な魔法と私(後編)

 3日後。

 痛みはまだあるが、1人で動けるようになった私は、せっせと邸の見取り図を紙面に書き出していた。

 「飯だ。そのまま続けろ」

 「ちょっと、休憩なしですか!?」

 渡されたのは20センチくらいの、細長いパンに野菜やハムにタレがかかっているバケットサンドみたいなもの。それと木のコップに入った牛乳。

 まだあるぞ、と彼も袋から一つ取り出して、向かいの席に座って食べ始める。

 「そっちこそちゃんと調べてるんですか」

 「無駄口たたかないで、ちゃんと食え」

 「もうっ!」

 にらみながらバケットサンドに手をのばす。

 甘辛いタレをかみ締めながら、固いパンを牛乳で流しこむ。

 まだまだ間接は痛いが、空腹には勝てない。

 腫れも治まり体が動けるようになったら、私の扱いは軟禁状態になった。常にジェイか、アンリさんという茶色い長い髪のお姉さんがついている。部屋を出るのはトイレくらいなもんだ。体も部屋で拭く。その時はアンリさんに交代してもらっている。

 オルバ様は翌日からいなくなり、ジェイも時々いなくなるが状況はアンリさんも一切教えてくれない。

 「そういえば、昨日貸したペンダントいつ返してもらえますか?」

 「返せる保証はない」

 「は!?」

 眉間に皺がよるのがわかった。

 昨日体を拭いたいた時、アンリさんにペンダントのことを聞かれたのだ。

 半年前にメリアランお嬢様が、旦那様からいただいた大小の雫型の水晶のペンダント。その小さいほうを私は、おそれおおくも頂いたのだ。

 すっかり肌になじんでいたので忘れていたが、これはエノンの水晶で作られたものだと思い出して、調査協力として貸し出したのだ。

 「返せないなんて、あんまりです!」

 怒る私にジェイはため息をついて、また食べ始めた。

 「大事なものなんですから、返してください!」

 「無許可の水晶洞からでたものは没収されるのが当たり前だ。国の物を盗んだのだからな」

 うっと私は口をつぐんだ。

 そうだった。エノンの水晶は無許可。仮に許可を得ていても、国から買い上げなければ個人の物にはならない。

 「私は罪に問われますか?」

 「知らずに持っていたのだし、ましては協力しているのだから大したお咎めはないだろう」

 「お嬢様方もお咎めはないですよね!?」

 「口頭厳重注意くらいだろう」

 「出し抜かれる国がマヌケなんですよ」

 つい本音が出て、ふんっとそっぽを向いた後の沈黙。

 さすがにまずいな、と思って顔を戻すと目を閉じているジェイがいた。

 「あ、あの・・・」

 「何だ」

 「すみません、言い過ぎました」

 おそるおそる頭を下げて謝ったが、返ってきたのは「俺もそう思う」という意外な言葉だった。

 「俺達や監査の人間に、もっと権限があればいいんだが」

 ふぅっと大きくため息をついて、後頭部をかいていた。

 お役所仕事はやはり大変みたいだ。

 よく考えてみれば騎士団というのに、平民の格好をして潜入捜査したり、介抱したり、監視として軟禁生活を一緒にしたりしなきゃいけないなんて。大変だな、本当に。

 「…なんか同情されてないか?」

 あら、表情に出てたんでしょうかね。

 しかし鋭いな。気を配りすぎて、若いうちから抜け毛や白髪がでてきたりして、毛のトラブルに巻き込まれるんじゃないかしら。かわいそうに。

 「…いらん心配してないか、お前」

 「いいえ。大事ですよ、毛根」

 「とっとと仕上げろ!」

 何か思うことがあったのか、 びしっと下手な見取り図を指差しにらんできたので、私はあわててペンをとった。

 しばらくして出来上がった見取り図を、ジェイが確認する。 

 「あの」と、遠慮がちに声をかければ目線をあげてくれたので、姿勢をただして聞いてみた。

 「明日は大丈夫でしょうか」

 あの侯爵は視察なんてしないで、お嬢様を連れて行きそうだ。

 不安げに訴えれば、ジェイは少し目線を外して答えた。

 「邸ではお前がいなくなったと、少し騒いだようだが、こちらの計画に支障はでていない」

 「間に合いますか?」

 答えは返ってこなかった。

 私はテーブルに顔を伏せた。

 「…勝手な行動はするなよ」

 釘を刺されてしまうが、この人、エスパーじゃなかろうか疑ってしまう。

 「当日は現場に連れて行くから、協力しろ」

 「暴れていいなら、いいですよ」

 つむじに視線を感じるが、顔はあげない。

 本当なら今すぐにでも、お嬢様方を助けにいきたいのだ。また体中痛くなって寝込んでもいい。

 そのためには、まずジェイを倒すか撒かなくてはならない。さすがに騎士団様に手を出せば、理由はともかく罪になるからしないが。

 そこへノックの音がして、アンリさんが入ってきた。

 ジェイは立ち上がり、アンリさんと小声で短くやり取りした後部屋を出て行った。

 「心配よね、お嬢様のこと」

 優しい声にゆっくり顔をあげると、すぐ横に片膝をついたアンリさんがいた。

 「あのペンダントね、魔石だったの。ものすごく質もよくて、それにエノンの水晶洞は埋蔵量はわからないけど、かなり質のいいものばかりがでるみたいなの」

 「つまり、高額取引されているってことですね。でも、旦那様もお嬢様もあまりお変わりなくお過ごしでしたよ」

 特にお嬢様方の宝飾品が増えたとかはないし、旦那様も豪遊なんてしていなかったはずだ。

 「侯爵に流れているんでしょうね。

 それより、あなたに大事な話があるの」

 口調が厳しいものに変わり、ゆっくり立ち上がった。

 私は背筋を正してその先の言葉を待った。

 「あなたのおかげでいろんな情報が得られたの。

 決行は明日。子爵邸にて捕縛するわ」

 「わかりました」

 「当然いくらかの護衛もいるでしょうから、正直私達だけでは手薄になるところもあるの。最重要なことは侯爵と子爵の捕縛。つまり他の人には手が回らないってことなの」

 「応援はいないのですか?」

 「あなたがお嬢様をあきらめてくれたら頼めるわ。これはあなたへのお礼としての急な決定なのよ」

 嫌な顔ではなくにっこり微笑まれて、私は一瞬言葉を失った。

 「あ、ありがとうございます!」

 おもわず立ち上がり、深々と頭を下げる。

 これでお嬢様は助かる。

 「でね、あなたにはお嬢様達をどうにか連れ出して欲しいの」

 「はい!お任せ下さい」

 「では出発するわ。宿はこのまま先払いしてるから大丈夫よ」

 そして私とアンリさんは、まるで買い物に出かけるような会話をしつつ宿を出た。

 あちこちに滞在している皆さんも、各自で動き出しているらしい。

 私達は子爵邸のある、ミメットの町行きの乗合馬車に乗った。

 テナンの町より少し小さい規模だが、革製品が有名な町である。馬車にも数人が乗っていた。

 その中でたわいもない話をして、ミメットの町についてのは、そろそろ夕食時ではないかという時間だった。

 「この距離を2時間弱で走るなんて、本当にすごいわね」

 何度か休憩はあったが、硬いイスに座り続けたのでおしりが痛くなったのだろう。馬車を降りたとたんに腰とおしりを手でなでていた。

 「無我夢中でしたので」

 もうあんな爆走はできないだろう。

 20才の女性の体力の限界を越えていたと思う。

 私達は宿はとらず、食堂で夕食をすませていくらか持ち帰るように包んでもらうと、暗くなり始めた路地を足早に歩いていった。

 アンリさんに着いてたどり着いたのは、子爵私有地になっている森の中だった。

 その中を迷いなく進んでいく。

 肌寒い森の中をひたすら歩いて、月がすっかり上った頃にようやく歩みが止まった。

 「あ、ジェイ…さん」

 前方に数人の人だかりが見えた。

 「話してないかもしれないけど、普通諜報部は捕縛に参加しないの。でも今回は人数足りないし、緊急だから全員でやるの」

 「オルバ様も諜報部ですよね」

 「彼が今回の責任者よ。ジェイさんは副リーダー。さ、急ぎましょ」

 アンリさんにつられて私も駆け出した。

 集まっているのは私をいれて11人だった。諜報部は6人で内2人が女性。遊撃隊所属が4人でアンリさんはこちらだった。諜報部や女性といっても騎士団なんで、相当腕は強いんだろう。つまり私は完全なお荷物であった。

 「柵内の邸の庭に犬がいる。これ以上は近づけない」

 「始末するしかないでしょう」

 さらっとぶっそうなことをオルバ様が口にした。

 「ま、待ってください!かわいそうです」

 みんなの目が全部私にむかったが、邸の犬は世代交代したものの、毎日見ていた愛着あるものだったのだ。

 「番犬としては優秀とはいえないかもしれませんが、私とお嬢様には懐いてくれているのです。夜は犬だけですので、どうにか呼び集めてみますから」

 お願いしますと頭を下げれば、わかったと返事が返ってきた。

 「西側に作業小屋の方に全ての犬を集めてくれ。その後我々は侵入し、君はお嬢様達を連れ出す、いいね?」

 「はい」

 ぎゅっと手を握り締めてうなずく。

 その後彼らだけで何らかの打ち合わせが短くあり、バラバラに森の中に散っていった。

 私はアンリさんとジェイとオルバ様の4人でこの場に残った。

 「犬が騒ぎ出したら被害は大きくなる。そうなったら大事なお嬢様とやらもタダじゃすまなくなるかもしれんぞ」

 「ジェイさん、言い過ぎですよ」とアンリさんが言った。

 でもその通りなのだ。

 お嬢様を助けて欲しいとか、犬は殺さないでとかわがままばかり言っている私。この強行捕縛だって私のわがままなのだから、決して失敗してはいけない。

 念を押された私は、結局仮眠すらとれず緊張したまま朝を迎えることになった。

 

**********  **********  **********  ***********  **********  **********


 少し曇った天気の翌日午前10時頃。

 侯爵は立派な4頭立ての馬車と、騎乗した6人の護衛とともにやってきた。

 私はそれを確認してから、森から抜け出して裏手のほうから庭に入り込んだ。そして昨日買っておいた食べ物をいくらか出して犬をひきつけたり、遊んでやるときに合図として使っていた口笛で犬を集めた。

 この子達が優秀な犬でなくて本当に良かったと思ったのは、後にも先にもこの時だけだった。

 ある程度犬達を引きとめたら、ここから先は別行動だ。

 私は裏にある炊事室の窓から、こっそり中を覗き込んだ。

 そこにはメイドが1人と、炊事長のミリーさんがいた。白い頭巾をかぶった恰幅のいいミリーさんは、メイドを送り出した後こちらに背を向けてイスに座り込んだ。

 彼女は間違いなく私の味方だった。

 軽く窓をたたくと、彼女は細い目をめいっぱい見開いて驚いていた。

 すぐに裏口をあけてくれたが、少し怒っていた。

 「お前どこに行ってたんだい。お嬢様がどれだけ心配していたか」

 「ごめんなさい。

 でもそのお嬢様の為なのよ。協力して、ミリーさん」

 彼女は炊事室の入り口に目線をやり、手招きで中に入れてくれた。

 「さっき侯爵様がきてね」

 「知ってる。見てたもの。 

 あのね、ミリーさん。時間がないから詳しく言えないけど、これからびっくりすることがあるの。そうなったら、みんな黙って手を出さないでほしいの」

 怪訝な顔をしたミリーさんだったけど、頭を下げてお願いしたら納得してくれた。

 「お嬢様に会いに行くんだろ?」

 「えぇ。お嬢様はお部屋?それとも」

 「さっきのワゴンにはお嬢様の分は用意しなかったから、まだお部屋だよ」

 そう言って立ち上がると、裏口をあけて大声で「マルク!」と庭師の夫の名を呼んだ。

 ほどなく刺又(さすまた)をもった麦わら帽子の、これまた体格のいい日焼けした中年男性がやってきた。

 ミリーさんは小声で何か伝えると、マルクさんは室内にいる私に少し驚いた後、真顔でうなずいて行ってしまった。

 「あの」

 「心配ないよ。外の連中に伝えるよう言ったのさ。

 さぁさぁ、あんたは早くお嬢様のところに行ってきな!」

 あたしも忙しくなるんでね、と彼女は炊事室を出て行った。

 両頬をぱんっと叩いて気合をいれ、私は周りを気にしながら炊事室を出た。

 邸内に常駐している家人は十数人程度だ。したがってお嬢様の部屋まで、誰にも会わずにたどり着くことができた。

 ドキドキしながらドアをノックした。

 でも返事はなかった。

 「お嬢様?」

 失礼ながらそっとドアを開ければ、そこには誰もいなかった。

 さぁっと血の引く音が聞こえた気がした。

 (まさか、入れ違った?)

 体中から変な汗がでてきた時、かわいらしい声で名前を呼ばれた。

 「ヒルダ?」

 振り向けば、メリアランお嬢様に良く似た妹のマーガレット様が花を抱えて立っていた。

 「ヒルダ、どこ行ってたのよ!」

 泣きそうな顔で怒るマーガレット様に、私は尋ねられたことを言わずに、ぐいっと部屋の中へ引っ張り込んだ。

 そして膝をついて目線をあわせると、マーガレット様の小さな手を握り締めてこう言った。

 「ヒルダはメリアランお嬢様の味方でございますし、何があろうとお守りいたします」

 「ヒルダ?」

 愛くるしい瞳は「どうしたの?」と戸惑っていたが、私は急がねばならない。

 「マーガレット様。どうかどんなことが起きても、大きな音が聞こえても、決してドアを開けてはいけませんよ。ヒルダがでたら、すぐに鍵を閉めてクローゼットの中にお隠れ下さい」

 「…わかったわ」

 私は一度マーガレット様を抱きしめると、そのまま廊下に出た。

 すぐに鍵のかかる音がしたので、私は一目散に一階のエントランス先にある客間へと走って行った。

 途中2人のメイドと出合ったが、呆然として私は見送られた。よほどすごい剣幕だったのだろう。

 客間のドアが見えたところで、中から窓の割れる音と怒声が響いた。

 (お嬢様!)

 バンッと思いっきりドアを観音開きすると、すぐ側に初老の子爵家執事がいて、少し離れた客間のソファには奥にチビデブハゲの三拍子のクロッグ侯爵と、手前にはうちのやはりチビデブな旦那様と可憐なメリアランお嬢様が立ち上がっていた。

 そして窓は割られ、遊撃隊チームと思われる4人がすでに護衛達と激しく剣を交わしていた。

 「お嬢様!」

 「ヒルダ!」

 足早にかけてくるお嬢様を両手で抱きしめる。

 「ヒルダ、貴様、まさか!」

 顔からは汗、口からはつばを飛ばして旦那様が怒鳴りつけてきた。

 あえて何もしない執事に目で促され、部屋をでようとした時、両側から数人のこの邸の護衛が駆けつけて来た。

 おもわず身を縮めるお嬢様を抱きしめた私の前に、頭から全身黒い衣服に覆われた2人が現れ、左右に足止めするように走った。

 (どうやって逃げよう)

 「ヒルダ!」と旦那様の怒声が飛んできて、私はそうだ、と振り向いた。

 あるじゃないか、逃げ道が。

 私の目線は一番右端にある、無傷の窓に注がれていた。

 そこに行くには近づいてきたチビデブハゲ侯爵とチビデブ子爵を倒さねばならない。

 「お嬢様、しっかりつかまって下さいまし」

 優秀な執事はそっと退路から身をはずす。

 軽く腕力強化をかける。

 お嬢様の名誉のために弁解するなら、お嬢様は軽い。しかしこのドレスが結構重いので、メイドの腕力じゃ危なっかしいのだ。

 そして忘れちゃいけない、脚力強化。

 ごめんなさいませ、旦那様。

 ヒルダは大事なお嬢様と逃げるだけならすぐ出来ますが、それじゃあお嬢様を泣かせたことや、チビデブハゲ侯爵を前に絶望したお嬢様のことを思うと、とてもそれだけでは済ませられないのです。

 「おい!」

 汗ばんだ侯爵の手が私の左肩を掴んだ。

 「触るな、変態ぃい!!」

 私は思いっきり侯爵の腹に一発蹴りを入れた。

 「ぐふっ」とつばを吹きつつ吹っ飛び、まだ戦っていた自分の護衛にぶつかり2人して床に沈んだ。

 「こ、侯爵様!?」とあわてた声を出した旦那様も、同じように吹っ飛んでもらった。ちなみに旦那様はソファをなぎ倒して沈んだ。

 「来なさい」

 執事が飾り棚の側のドアを開け、隣の部屋を経由してエントランスの方へ逃がしてくれた。

 そしてそのままお嬢様の部屋へと急ぎ、マーガレット様に鍵を開けてもらって逃げ込んだのだった。

 すぐに魔法を解き、落ち着いたお嬢様とマーガレット様に事のいきさつを話していると、ドアがノックされた。

 「ヒルダさん、終ったわよ」

 アンリさんの声にほっとしてドアを開け、促されるままに3人で玄関のエントランスへと下りていった。そこにはオルバ様とジェイと執事がいた。

 さすが騎士団だということか、傷一つおっていない2人とアイリさんの姿に今更ながらほっとした。

 「メリアラン・フラン・ミードソン令嬢、早速で申し訳ないがいろいろと話がある」

 今までとは違う口調のオルバ様に、お嬢様は小さくうなずいた。

 「わかりました。ですが妹とヒルダは御容赦願います」

 「お嬢様!?」

 「ヒルダに父の罪を黙っているよう言ったのは私です。それがどんな事であれ許されないとわかっていて、それでも黙っているように命令したのです」

 私はあわててお嬢様の横に並んだ。

 「いいえ、命令などされておりません。こんな大きな罪などとは知らずにいたのです。それを今回、お嬢様の婚約を破棄する為の醜聞として、仕える子爵家を売ったのは私でございます」

 「ヒルダ!」

 頭を下げた私にお嬢様の視線が飛んでくるが、もともとこうするはずだったのだ。悔いはない。

 「庇い合いは結構。御令嬢、こちらへ」

 冷たく突き放され、お嬢様はオルバ様に連れて行かれた。

 マーガレット様が頭を下げたままの私の腕を掴む。

 「お姉様はどうなるの?」

 頭をあげつつ振り返った先には、今にも泣きそうなマーガレット様の顔があった。

 「マー…」

 「応援部隊とともに、明日フレイダス氏が到着する」

 答えたのはジェイだった。

 「伯父様が!嬉しい!」

 パッと目を輝かせて喜ぶマーガレット様をみて、近づいてきたジェイが小声でつぶやいた。

 「親が捕まったのをしらないのか?」

 「ご存知ですよ。それほど親としての人望がないのです」

 執事に連れられてお部屋へ戻るマーガレット様を見送りつつ、私は少しだけ痛む腕を抱くように撫でた。

 「また使ったのか。相当痛いのが好きらしいな」

 「必要に迫られたのです」

 「あの蹴りは見事だった」

 かっと顔から火が出そうなほど熱くなった。

 「これから数日は滞在する。お前もいろいろ考える事があるだろう」

 そう言ってぽんっと頭に手を乗せられたが、更に恥ずかしくなってうつむいてしまい、気がつけばエントランスには私だけが取り残されていた。

 (そうだ、私、これからのことを…)

 そう考えて重い足取りで、あてがわれていた部屋へむかった。

 それからお嬢様には一日会えず、私は部屋で過ごすよう執事に言われたのだった。


 翌日の昼過ぎ、ようやく部屋から出ることが許された。

 執事に案内されたのは、昨日大暴れした客間。割れたガラスはすっかり新しいものと交換されていて、

調度品やらも別のものと入れ替わっていた。

 中に入れば、奥のソファにオルバ様とジェイ。手前にはお嬢様とマーガレット様、そして優しい風貌のフレイダス様が親子のように並んでいた。

 フレイダス様が私を見て立ち上がろうとする前に、私はその場で土下座した。

 「申し訳御座いません!仕える家を売ったのは私でございます。本当に申し訳ございません!!」

 一晩考えたが、やはり謝ることしかできなかった。

 「ヒルダ、大丈夫だ。これから誠心誠意を持って汚名払拭をしていく。

 それにメリアランも無事だったんだ。わずかな犠牲で終息できたのは、君のおかげだ」

 「フレイダス、様」

 ぽろぽろと涙が止まらない私に、フレイダス様hもう一度「大丈夫だ」と言って下さった。

 「しかし」と、反論してきたのは執事だった。

 「ヒルダは使用人としての規則をいくつも破っております。

 無断欠勤、邸の見取り図、窃盗、雇用主ならびに客人への暴行です。これらはどんな理由があっても許されないのです。わかりますね、ヒルダ・グレイソン」

 そんな、と小さくマーガレット様がつぶやいて執事を睨む。

 私は立ち上がって涙をぬぐうと、一度深呼吸をしてうなずいた。

 「わかっております」

 「よろしい」

 執事はなぜか軽く微笑み、ついでフレイダス様へ目線を投げた。

 「フレイダス様、よろしいですね」

 「…仕方ないのだろう」

 「待ってよ、伯父様!」

 すがりつくマーガレット様にフレイダス様はゆるく首を振った。

 「大変お世話になりました」

 「ヒルダ…」

 目を潤ませるお嬢様に、精一杯の笑顔でうなずく。

 そして奥に座る2人にも頭を下げた。

 「オルバ様、ジェイさん。本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません」

 「ならば返してもらおう」

 「は?」

 マヌケな声がでたのは理解できなかったからだ。

 ゆっくりジェイが立ち上がり、私の前に歩いてきた。

 「王宮騎士団の各部隊の第5席からは、個人的な補佐官を持つことが出来る。丁度俺にはいないから、スカウトしてやろう」

 「は!?何おっしゃってるのかわかりません!」

 「お前の変な魔法は使えるってことだ」

 「嫌ですよ!私痛いのは嫌いだって言ったじゃないですか!!

 それに私はお嬢様のお側にずっといるんですから」

 先ほど解雇されましたが、同じ地域にいればいざという時には駆けつけられるはずですからね。

 ジェイは腕を組んでなにやら考えていたが、やがて妙案が浮かんだらしく、にやりと悪い笑みをうかべてこう言った。

 「ならば令嬢と結婚すれば、もれなくお前がついてくるわけか」

 「何失礼極まりないこと言ってるんです!ぶっとばしますよ!!」

 ものすごい剣幕で怒鳴る私を見て、ジェイはまだ悪い笑みをやめない。

 (本気でぶっとばそう!)

 右手の拳を握り締めた私の近くで、槍玉にあげられたお嬢様は「あら、私も王都にいけるのかしら」とくすくす笑っていた。

 「お嬢様まで!」

 「ごめんなさい、ヒルダ。でも悪いお話ではないでしょう?」

 「ご存知だったんですか!?」

 片目を閉じて「ごめんなさい」と手を合わせる。そんな姿が可愛過ぎて怒る気も急激に失せた。

 「ねぇ、ヒルダ。あなたはずっと私の側にいてくれたわ。そして頼り切っていたのも事実よ。

 それでね、私、今更だけど1年間王都の寄宿学校に行こうと思うの」

 お嬢様も立ち上がり、私の手を握り締める。

 「礼儀作法や貴族の嗜みをみっちり勉強して、今回の汚名を晴らすためにやれることをやろうと思うの。その為には生半可な社交じゃダメだわ。私頑張るわ。

 だからね。ヒルダはもう自分の為に生きていいのよ」

 止まっていた涙腺が再び決壊した。

 なんて素敵な方に仕えていたのだろう。

 親のような錯覚さえ持っていた私に、お嬢様は1人の女性としての幸せを考えて下さったのだ。

 「…わかりました。ヒルダはいつまでもお嬢様のお味方です」

 「えぇ、わかってるわ」

 ぎゅっとお互い抱きしめあった後、まだ近くに立っていたジェイに向き直る。

 「ジェイさん、先ほど個人的とおっしゃいましたが、補佐官とはどういったことをするのでしょうか?」

 「常時付いて回る補佐官もいれば、必要なときに付く補佐官もいる。雑務から戦力としての要員まで幅広い」

 「わかりました。私、お受けします」

 深々と頭を下げた後、お嬢様の手を握る。

 「お嬢様。私もご一緒に王都に参ります。

 そしてお嬢様の素敵な学校ライフに仇名す者が現れましたら、すぐお知らせください。絞めに参ります」

 「しめ?」

 「ご挨拶申し上げたいと思いますので、必ずお教え下さいませ」

 お嬢様は「よくわからないけど、わかったわ」とうなずいてくれた。

 あぁ、悪意に慣れていないお嬢様の大変さが今から心配だ。

 「ではジェイ様、こちらの書類にサインをお願い致します」

 今まで黙っていた執事が、どこからか1枚の紙を取り出して渡した。

 そして私には2枚の紙を渡す。

 何だろうと読んでみれば、それは契約の変更と更新についてと書かれていた。

 「マードック様、これは?」

 「貴方は当家のメイドの雇用契約と別に、フレイダス様を雇用主とするお嬢様の専属メイドという二重契約があったのですよ。貴方はすっかり忘れているでしょうが、期間をおいてサインしているようですよ。私も先ほどフレイダス様からお聞きして、初めて知りました」

 二重契約?

 2枚目の紙には確かに私の名のサインがあったが、ずいぶん幼い字である。

 「伯父様、どういうことですの?」

 みんなの目がいっせいにフレイダス様へ向けられる。

 「今から8年くらい前かな。ヒルダが魔力持ちだってことに気づいたんだ。それで、もしもの時にはメリアラン達を最優先に動いてもらおうと、まだ幼かったヒルダにサインさせたんだ。もちろんかいつまんで話はしたよ『メリアラン達を必ず守るように。そのためにとった行動については、私が責任を持つからサインしなさい』てね」

 呆気にとられる一同。

 しかし肝心の私はやはり思い出せなかった。

 「その契約は一旦ヒルダに返すよ。それで、先ほどジェイ殿と話したのだが、君は補佐官をしながら、メリアランの友人になり、これからも目をかけてやってくれ」

 ぎょっと目をむく。

 (友人契約!?)

 内容を読んでみれば、補佐官の仕事の合間にお嬢様と手紙のやり取りをすることや、面会、相談相手など様々な事が書いてあった。そして金額まで。

 「こんな契約必要ありません!」

 思いっきり破り捨てて、更に小さく破っていく。

 「何の見返りもなく?」

 「不用でございます!」

 「そう。

 良かったね、メリアラン。これで彼女は君の『友達』だ」

 急に話をふられたお嬢様は、一瞬ぽかんとしていたが、「え、は、はい!よろしくね、ヒルダ!」とはにかんだ笑顔を私に向けてくれた。

 「ではこれもいらんな」

 ジェイも執事から貰った紙を破る。

 「補佐官の友人を認める契約なんざいらん」

 「そうそう、妙な事したら諜報部(うち)が黙ってないし」

 物騒な事をさらっと言いながら、優雅にお茶をのんでアルバ様が言った。

 「あ、ジェイが嫌になったら僕のとこにおいで。2人いるけどまだ募集中だから」

 激務なんですね、諜報部。

 オルバ様の地位もわりと高いんだなと分かったところで、話はミードソン家のこれからについて変わった。

 しばらく当主代理でフレイダス様がつくとの事。その後は一族会議で当主をきめるようだが、おそらくフレイダス様で間違いないだろう。その為にも職場を辞し、全力で事の収拾にあたるとの事だ。

 メリアラン様は来春から王都の寄宿学校へ。その前にも邸に専門の講師を招いて、社交の場でやっていけるよう勉強なさるそうだ。

 マーガレット様も同じく、厳しい風当たりに耐えるべく社交のお勉強を始めるとの事。

 とにかく爵位剥奪を免れるよう一族で頑張り、使用人についてはこのまま仕えるかどうか個人の判断に任せるとフレイダス様は通知するらしい。

 ちなみに侯爵と前旦那様は、早々に王都へ向けて引き立てられていったそうだ。

 「明日、迎えに来る」

 ジェイはそう言って、オルバ様と邸を後にした。

 いろいろ後始末があるようだ。

 その日、私は初めて『友人』として邸に滞在し、お嬢様達と晩餐をともにして、数年ぶりにお嬢様と手を繋いで同じベットで眠った。

 別れの朝、私は全ての使用人に挨拶して回った。ジェイが迎えに来た時にはミリーさんが泣きながら、お手製のミートパイを大量に渡してくれた。

 お嬢様とマーガレット様と手を繋いで、ミートパイを持ったジェイと泣くミリーさんを引き連れて玄関の外に出ると、フレイダス様を始め、執事以下総出で並んでいた。

 皆口々に「元気で」とねぎらいの言葉をくれる。

 そして最後にお嬢様と抱き合った。

 「王都で会いましょう、ヒルダ。元気でね」

 「はい、メリー様。お先に行って参ります」

 友人となった私達だったが、長年の習慣は治らず愛称に様付けで落ち着いたのだ。

 簡素な二頭立ての馬車に乗り、皆が見えなくなるまで窓から手を振った。

 その後静かな室内で、ぐぅっと大きな音がした。

 「あ、ごめーん。おいしそうな匂いについ」

 顔の前で両手を合わせて謝ったのは、隣に座るアンリさんだった。

 「食べてください。ミリーさんのパイは本当においしいんですから」

 馬車内にいい匂いを放ちながら広げると、ジェイが話しかけてきた。

 「王都へ着いたら騎士団本部で手続きをしてもらう。必要なものは前もって言え。店に寄る」

 「えっと、その前に住むところを探さないと」

 「あら、官舎に住めるわよ」

 心配しないでとアンリさん。すでに2つ目のパイを手に取っている。

 「騎士団の女性官舎。規模は小さいけど、個室で比較的新しくてキレイよ~」

 「補佐官もそこに?」

 「そうよ。真夜中でも呼び出しがあれば駆けつけられるでしょ」

 どうやら激務のようだ。

 「基本日中勤務だ。大きなことがない限りはな。

 あぁ、それとある程度の訓練には参加してもらうからな」

 「は!?聞いてませんよ」

 「俺はお前の魔力をスカウトしたんだ。実戦に使えるように訓練するんだ」

 「私の反動みたでしょう!?」

 あの腫れあがった私の姿を思い出して欲しい。

 「過去に何人かお前のような変わった魔力持ちがいたらしい。反動も体を鍛えたり、あとは慣れでどうにか軽減できるそうだ」

 「痛いの嫌ですってば!」

 「お嬢様が頑張るのに、お前はそのままか」

 うぐっと反論できなくなる。

 ジェイはふぅっとため息をついた。

 「補佐官と言っても団員ではないお前に、貴族令嬢を諌めることなんざできるわけがないだろう。どうせならお嬢様が王都でいじめられないように、団員並の活躍をして、お前の名で守ってやればいいだろう」

 私が、守る…。

 お嬢様の涙なんてもう見たくない。

 (よし!)

 私は膝の上の拳を握り締めた。

 「私、頑張ります!」

 「よし、頑張れ」

 単純な奴め、と彼がつぶやいたかどうかはわからない。

 とにかくこうして私は、王宮騎士団遊撃隊第4席ジェイナス・ユナン・グレンドールの補佐官となったのだった。

 

 読んでいただきありがとうございます。 

 

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