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とある魔界の真ん中の、魔石でできたお城の最上階に、史上最強の魔王が住んでおりました。
生まれながらに膨大な魔力を有し、優れた頭脳と並外れた美貌と底なしの体力にも恵まれた魔王は、一部の者からはカンストしたチート、略してカスチートと呼ばれておりました。
老いを知らず、死も魔王の脅威とはなり得ません。
魔王が望んで叶わぬ事はないと誰もが口を揃えます。
しかしそれ故に、魔王には未だ叶えられずにいる野望がありました。
それは……
「何てゆーかさ、叶わぬ願い、みたいなの? あれ良いよね」
全ての魔物を虜にする美貌を曇らせ、魔王が溜息を零しました。
座り心地の良い玉座の滑らかな感触さえ、今だけは何の慰めにもなりません。
肘掛けに頬杖をつき、魔王はひたすら切ない胸の内を明かします。
「胸を焦がすとかちょー憧れるんだけど。どんな感じなんだろ」
「焦がして差し上げましょうか」
魔王に付き従うのを許され、今もただ一人だけ嘆きを聞かされた側近のような立場の魔物が、顔ほどもある火球を作り浮かべます。
しかし精一杯の気遣いも、哀しみに震える魔王の心には届きません。
「いや、そーゆーんじゃなくてね。心臓を焼くとかそういう物理的な意味じゃなくてね」
「そうですか……チッ」
「あからさまな舌打ち止めてーどうせ心臓焼いたくらいじゃ死なないんだし」
「そうですよね……チッ」
大きく開かれた窓に歩み寄り、今まさに城への侵入を果たそうとしていた不心得者に火球を放ち処分すると、側近のような立場の魔物は思案顔で魔王を振り返りました。
「では、叶わぬ願いを抱きたいという叶わぬ願いに胸を焦がすのはいかがでしょう」
「それだと叶わぬ願いを抱けてる事になって結局叶っちゃってるから駄目」
「ならば人間界へ行かれてみては?」
「何で人間界?」
「叶わぬ願いがないのは叶う範囲でしか願っていないからとも受け取れます。ですから、まずは今までにない願いを持つのが宜しいかと存じます」
「そのために三界一欲望が渦巻いてる人間界に行くってかー」
「はい。すぐには願いが持てずとも、人間共の願いを片っ端から叶えてご自身の限界を探られるのも一つの方法かと」
「成る程ねー……うん。一理ある。じゃあちょっと行ってくるわ」
「どうぞごゆっくり」
側近のような立場の魔物が頭を下げるのと同時に、玉座から魔王の姿が掻き消えました。
座ったままの状態から界を渡るのも、魔王にとっては朝めし前です。
魔王が人間界へと旅立ち、広大な城に一人残された側近のような立場の魔物は、小さく溜息を吐きました。
「もう帰ってこなければ良いのに」
小さな小さな呟きは、本人の耳にも聞こえません。
降って湧いた300年ぶりの休暇を思う存分満喫するため、そそくさと出て行く後ろ姿を、無人の玉座だけが見守っていました。