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願わくは  作者: 桜木春緒
4/7

追跡


 一臣は、真希子と友祐らしい二人を、新橋から乗せたというタクシーを見つけた。

 七台目に声をかけたタクシーが、それだった。

「築地まで行って、少し待つように言われてね。それから綺麗なお嬢さんを連れてきたんですよ。お嬢さんは外套も着ていなかった」

 そのために印象に残っていたのだと運転手が語った。


 新橋で、客待ちをするタクシーに声をかけたのは、移動の手段として最も適していると一臣も思ったからだ。

(早く見つけなければ――)

 腕を組み、唇を噛みしめた。

 熱でも出てしまったのか、少し頭が重い。重いのは、胸も同じだ。


 真希子は、小さな頃から奇麗な娘だった。

 彼女の父は、婿養子に入った先で亡くなった。彼が妻との間にもうけたのは、娘の真希子一人。

 真希子の母の勝子は再婚し、男子を生んだ。

 継父は、真希子を邪魔なものとして扱い、彼の気持ちは坂巻の家の意志になった。

 坂巻家での姪への仕打ちを見かねた一臣の父が、弟の忘れ形見である真希子を引き取った。

 一臣の両親には、一臣の他に子は居ない。

 いずれ真希子は、一臣の許嫁になるはずだと、思っていた。

 それは、一臣にとっても、一臣の両親にとっても望ましいことのはずだった。

 恐らく、真希子にも。


 あの夏の日から。

 真希子にとってはそうではなくなった。

(神野……)

 友の名を、恨めしく思い浮かべたことを、一臣は恥じる。

 

 タクシーの運転手によると、真希子と友祐は温泉宿で車を降りたそうだ。

 その日からもう三日が過ぎていた。

 二人は、三夜を共に過ごしている。

 一臣の、握りしめた拳のやり場が、ない。


 窓の風景が鄙びてきていた。

 小さく咳き込んだ一臣の胸のポケットに入れたものが、ざわついた。

(急がなければならない)

 何度目か、そう思う。

 思いながら、これから目の当たりにするであろう情景が、一臣には怖い。


 宿に着いた、と運転手が一臣に声をかけた。

 いつの間にか、一臣は眠っていたらしい。

「ここで間違いないか」

「はい。ここでございましたよ」

 破風の屋根に趣のある、古風な旅館。海が近い。


 神野は、宿帳に名を記し、同行者を妻としていた。

(妻)

 生々しく、その文字が一臣の脳裏を射る。

 二人は一室に泊っていた。

 部屋を探し当てて踏み込めば、肌を重ねる友祐と真希子に遭遇するかもしれない。

 一臣は吐き気を覚えた。


「……出た?」

「つい先ほど。お支払いもお済みです」

「どこへ?」

「お帰りになったのでは」

 タクシーなどは呼んでいないと言う。

 宿から汽車の駅へは歩いても三十分ほどらしい。

 天気も良い。

 こんな日なら、一臣でも歩いて駅へ向かうことを考えるだろう。

 思い人と一緒なら、寄り添って歩く良い機会だと思うかもしれない。

(違う)

 一臣の背中が冷たい汗に濡れた。

 話を続ける宿の主人に挨拶もせず、一臣は玄関を飛び出した。


 早春の柔らかな日差しが、波をきらきらと輝かせている。

 数日前に東京は雪だった。

 このあたりには、一足先に春が訪れているようだ。

 陽光の眩しさが、足下に落とす濃い影が、一臣を苛立たせた。



 願わくは 花の下にて 春死なむ……


 あの西行の歌を、真希子は好きと言っていた。

 男の琴線に触れる感覚だと思っていたが、真希子はそれ故に胸が痺れるように思うと言った。

 麗らかな春の日に、死を思う。

 一臣の知る真希子の感性が、焦燥を煽る。



 真希子は半年前に、彼女を捨てて顧みなかった生家の坂巻家に戻った。

 坂巻家は裕福だ。

「真希子も年頃です。良い伴侶を得るためには、戻して頂かないと」

 十二年の間、正月にも挨拶の一つさえ寄越さなかった真希子の母は、そう言って娘を連れて行った。

 縁談があるということだった。

 そしてその見合いの席で、真希子は友祐と共に姿を消した。


(当然だ。真希子には真希子の意志がある)

 それを無視して、坂巻の生母たちは真希子を家の道具に使おうとした。

 真希子が過ごした十二年の歳月を知りもせず、縁談の道具にしようとした。

(許しがたい……)

 一臣がそう思うのは、当然の情だ。

 

 だから真希子は、すがる思いで、見合いがあることを友祐に知らせたのではあるまいか。

(俺に話してくれれば、まだ何とかやりようがあったんだ、真希子も、神野も……)

 真希子が救いを求めた先が、一臣ではなく友祐だったことが、彼女の想いの先を如実に表している。

 解っている。

 真希子の心は、あの夏の日から友祐に向かっていた。


(神野は、たぶん察していた)

 真希子に惹かれながら、一臣の許嫁であろうと、友祐は感づいたはずだ。

 一臣が胸に蔵した気持ちについても。

 友祐は鈍感な男ではない。

 だから、真希子への想いを、彼は一臣には言わなかった。

 言えなかったのだ。

 

 友祐は、真希子の見合いの最中に、彼女を連れて去った。

 やむにやまれぬ想いが、行動となって発露した。


 許されることだとは、思っていないだろう。

 社会的にも、心情的にも。

(早まるなよ、二人とも)

 追い詰められたと感じたときに、真希子と友祐が何をしようとするか。

 まだだ、と一臣は叫びたかった。

 まだ道はある。



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