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願わくは  作者: 桜木春緒
2/7

親友


 小西一臣《こにしかずおみ》は、その話を自宅で聞いた。

 許しがたい。

 それが、その事件に対する一臣の感情だった。


(あいつだ……)

 真希子と姿を消したという海軍将校に、一臣は心当たりがあった。


 大きな地主である小西家の屋敷。

 一臣は、一年前に中尉になった。海軍兵学校を出て、ほぼ三年。

 上海への航海を終えて帰国したときに、肺結核が見つかった。

 療養を命じられて八ヶ月。

 静養の甲斐あって、軽快しつつある。あと半月ほどで、復帰することになっている。


 真希子が見合いの席から姿を消したと、真希子の母から聞いた。坂巻勝子という人だ。

 一臣には、血のつながらない叔母に当たる。父の弟の配偶者だった。

 真希子は、一臣のいとこに当たる。一臣の父が、真希子には伯父に当たる。六歳の頃に、父が真希子を小西家に預かった。

 勝子は、真希子に少し似た細面の顔を真っ青にして小西の家に来て、そのことについて語った。語ったと言うより、怒鳴り散らしていったというほうが、正しい。

(探さなければ……)

 叔母が、一臣の両親と共に出て行ったあと、考えながら、深いため息を吐いた。


 あいつだ。あの男だ。

 一臣には心当たりがある。

 あれは、一臣も、あの男、つまり神野友祐《じんのゆうすけ》も、共に海軍兵学校の三号生徒だったころのことだ。

 真希子と、友祐が出会った。

 五年ほど前になる。


 小西家は、千葉の東葛飾にある。

 常磐線の駅から歩いて三十分ほどの、江戸川を眺める小高い丘の麓にある。かつて名主を務めたこともある裕福な農家だった。

 友祐は、水戸の出身だった。曾祖父は、維新の騒動の中で命を落とし、その後、元勲が何度も墓参に訪れるような偉人だったらしい。 

 その血を引いてか、友祐も優秀な男だった。

 四号時代の成績がクラスで最も優秀だった。三号に上がってから、友祐はチェリーマークを襟につけている。


 寡黙で生真面目な友祐と、朗らかで磊落な一臣。

 正反対であるがゆえに、馬が合った。クラスメイトの中では、友祐にも一臣にも、互いが最も、親しみを覚える友だった。

 夏の休暇で、帰省するのに方向が同じ。

 江田島から長々と汽車の旅を共にした。

 長い時間語り合い、ふと訪れる沈黙を共有するのにも居心地が良い。

 そんな、親友だ。


 夏の日。

 昼から空が暗かった。

 小田原を越えた頃から雨がひどくなり、上野を出る頃にはすっかり嵐だった。

 夜も更けた時刻。

 一臣の家の最寄りの駅までは、どうにかたどり着いたが、悪天候のために汽車が先に進むことを断念するという。

「うちに泊まるといい」

 当然のこととして、一臣は友祐を自宅に招いた。

 

(光の糸が、お互いの眸の間につながるように)

 ほんの少女だった真希子と、友祐は、引き合うように互いを見つめていた。

 嵐のせいで汚れた白い二種の制服の世話を、真希子がした。

「そこまでしなくても」

 と、止めたくなるくらいに、真希子は友祐の制服にはねた泥を丁寧に落としていた。


 小西の両親も、一臣も、将来は真希子は従兄の一臣の嫁として、名実共に小西家の人間になるはずだと、思っていた。

 真希子も、同じように思っていたはずだ。

「許嫁」

 確たる約束にはなっていなかったが、一臣と真希子は、従兄妹同士であると同時にそういう関係だと、思っていた。


 あの夏の休暇のあと。

 友祐は世話になった礼として真希子に手紙を出すと一臣に告げた。真希子は、その手紙に返事を書いた。

 何度か文通をしていたことは、一臣も知っている。

 それが、まだ続いていたか。

 真希子は手紙のやりとりの中で、見合いの日取りまで、教えたのだろうか。



 一臣は、真希子が姿を消したという築地の精養軒を訪れた。

「ええ、外套も着ずに、外にお出かけでしたので、おや、とは思ったのですよ。あの日は、朝まで雪が降っていましたし――」

 三日前のことになる。

 ドアボーイは真希子のことを覚えていたようだ。

「海軍の将校さんですか。まあ、いらっしゃったと思いますが、珍しいことではありませんから」

「だいたい私と同じくらいの背丈で、目方は先方の方が少し軽いかもしれないが」

「申し訳ありませんが、お一人お一人のご様子までは……」

 一臣や友祐と似たような身長体重の青年など、海軍には大勢居る。見分けろという方が無理かもしれない。

 精養軒は、西洋風の食事マナーを身につけるべしと推奨されている海軍の軍人が、よく訪れるレストランである。

 同じ日に、同じような軍服の将校は何人も来ていたそうだ。


 友祐が乗り組んでいる新造の空母「飛龍」は、丁度その前日に横須賀に入っていた。鎮守府の知り合いに、電話をかけて聞いた。

 入渠で修理があるために、四日間の休暇が出ているという話だった。

 朝に横須賀を出て、友祐は築地を訪れたのだろう。


 一臣は、さしたる手がかりを得られぬまま精養軒を出た。

 背広《プレーン》に黒いコートを羽織り、襟元に灰色のマフラーを巻いている。息が白い。

 昨日の朝まで降っていた雪は、日陰にまだ残っていた。

 療養中の一臣には、いささか堪える季候である。

(早く、二人の居場所を探さなければ!)

 固い眼差しを上げ、拳を握りしめて一臣は新橋へ向かった。



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