王子の雇われ使用人
「おはようございます、女将さん!」
チリン、チリンと宿屋のベルが鳴ると、奥の厨房からエプロンをつけた女将が顔を覗かせる。
「おはよう、ステラ。今日も頼んだよ」
ここは、小さな街の一角にある宿屋。1階が酒場と食堂、2階が客室で食事やエール酒を楽しみながら疲れた体を癒す憩い場だ。ステラは宿屋に着くなり、真っ白な長袖のワンピースの上に女将とお揃いのエプロンをつけ厨房へむかう。まずは大きな籠に入った野菜を取り出し、慣れた手つきで一つずつ丁寧に皮を剥いていく。
一通りできたら今度は2階の客室掃除にとりかかる。こちらも速やかにシーツを外し、ホウキで軽くホコリを取りつつ綺麗にしていく。そして、汚れたシーツを洗濯場へ運びしっかり洗う。最後にシワを伸ばし天日干しをする。
──とまあ、ここまでが午前中の仕事なわけで。
ステラは働き者だ。
休む間もなく、次は女将の手伝い。
「女将さん、エール追加です!」
厨房から「あいよ!」と返事がきたので再び、注文聞きへ。
「クリームシチュー1つとクロワッサン1つですね。少々、お待ちください」
癖のないオレンジ髪がふわりと揺れ今日もまた、少女の忙しい一日が始まるのだった。
◇
「た、大変だ。女将さん!」
「おや、いらっしゃい。今日もエールかい?」
女将はいつもの口調で聞く。
だが常連客の男は、青ざめた顔で何やら慌てた様子だった。
「お、男が‥‥そこで、倒れてるんだよ!」
急いで宿の外へ向かうと、壁にもたれかかるように若い青年が倒れていた。二十代そこそこといったところだろうか。全体的に黄金比のバランスがよく整った顔立ち。おまけに姿形も美しく、透明感ある灰色の髪が目を惹く。青年は右肩に怪我をしており、顔色も悪くぐったりしている。
直ちに青年はベッドに運ばれた。幸い、命に別状はなく脈も安定している。いったいどこで、こんな傷を負ったのだろうとステラは不安げな顔で青年の腕に包帯を巻き、少しでも良くなるようにと彼の手をそっと手を握った。
◇
それから、しばらくして青年は話ができるまで回復する。彼の話によれば、道中で魔物に襲われたのことらしい。見たところこの辺りの人ではないことは分かる。華やかな衣服と、藍色のマント、紋章が刻まれた剣が何よりの証拠だ。
「具合は、いかがですか?」
「ああ、問題ない」
耳触りがいい優しい声。
透明感ある灰色の髪が日差しで輝き、明るくて鮮やかな翡翠色の瞳がこちらをむく。
「君が、懸命に看病してくれたおかげだ。ありがとう」
「い、いえ。そんな‥‥」
「‥‥手を、握ってくれただろ?」
微かに手の温もりを感じた、と青年は言う。
どうやら、手を握ってたのが分かってたようだ。
「もし良ければ、名前を教えてもらってもいいだろうか?」
「ス、ステラです」
「ステラか‥‥いい名前だ」
案外、名前を褒められたのはこれが初めてかもしれない。
そんなことを考えながらステラは返事をし、同時に少しだけ胸が熱くなった。
◇
体調もだいぶよくなったということで、青年は宿屋を発つことに。数分後、宿屋に馬車が到着する。名残惜しいがこれで彼ともお別れ。
「女将、貴方には色々と世話になった。この御恩は決して忘れない」
「いいんだよ。それより、今度は客としてまた来ておくれ」
女将は赤色の髪と金色の瞳に、おおらかでふくよかなお人だ。色んな客が、彼女を求めて宿屋に足を運ぶ。きっと、彼も女将の人の良さに気づいたのだろう。
「君にも世話になったな」
「体調がよくなって良かったです」
今度こそ、お別れだと誰もがそう思った──。
「女将、最後に一つ頼みたいことがあるのだが‥‥」
突然、青年が声をあげた。きょとん顔で女将が「何だい?」と問うと、青年はしきりにステラの方に視線を向けた。
「単刀直入に言う──ステラ」
鮮やかな翡翠色の瞳が、真っすぐこちらを見つめる。
「ぜひ、君を使用人としてうちで雇いたい」
「し、使用人‥‥ですか‥‥?」
思わず、ステラは目をパチパチさせる。
「ちょっと兄さん! あんた、いったい何者なんだい!?」
これには、女将も驚きを隠せない。
「申し遅れてすまない。私は、オルウェン。オルウェン・リデル・ローレライ。ローレライ王国の王子だ」
ローレライ王国はここから北にある国で、緑豊かな森と色とりどりの花畑が有名だと常連客に聞いたことがある。特に宝石のように美しいバラが、訪れる者の心をひきつけるとか。でもよりによって、ローレライ王国の王子とこんな偶然に出会うとは。
ステラと女将は互いに顔を見合わせる。
「こりゃ、驚いたね。まさか兄さんが王族だったとは。それで、ステラを使用人として雇いたいってのは?」
オルウェンは真剣な顔で語り始めた。
見ず知らずの男に嫌な顔をせず怪我の手当てをし、傍で看病してくれた。
そんな彼女のひたむきな姿に心を打たれてしまった──と。
「‥‥なるほど、そういうことですか」
話を聞いた女将が、頷きながら口を開く。
「ステラ。返事をしてやりな」
そう言って女将はいつものように明るく笑う。だが、ステラは王族関係の仕事の経験はない。まして、使用人などもってのほかだ。それに引き受けるとなると、女将としばらく離ればなれになるだろう。
「無理にとは言わない。だが、君が引き受けてくれると嬉しいが‥‥」
そして、決断を委ねられたステラは──。
「‥‥分かりました。その話、お受けします」
かくして、王子に雇われお城の使用人として働くことになった少女は新たな日常を送るのです。




