第一話:ゆりかごの中のデバッガー
生後一週間。俺――ジオ・グラフィの戦いは、ゆりかごの中から始まっていた。
50歳、早期退職後のソロキャンプ中に心停止したはずの俺は、今、豪華な天蓋を見上げている。若返った心臓、不自由なほど小さな手足。状況からして「転生」というやつなのだろうが、感傷に浸る暇などなかった。
(……非効率だ。非効率すぎて反吐が出る。この世界のOS(物理法則)を書いた奴は、どこの素人だ?)
視界が安定してきた俺の脳内は、怒濤のデバッグ・ログで埋め尽くされていた。
俺を抱き上げる母、メリアが指先に小さな火を灯す。産後の疲れを癒やすための「生活魔法」だというが、それを見た瞬間、俺の「理系脳」が激しく警報を鳴らした。
(おい、マジか。今の、どう見ても酸化反応じゃないぞ。燃料もなしにプラズマが発生したのか! 魔法だ。本当に魔法があるのか!)
前世の最期、「遊び足りない」と願ったのは自分だ。目の前の超常現象は、50歳の俺にとって最高の「新しい玩具」に見えた。だが、同時にエンジニアとしての性が、その現象の「美しくなさ」に苛立ちを覚える。
(……待て、母さん。その魔力のリソース配分はなんだ? 出力の八割が熱と光として環境中に漏洩している。細胞の活性化に赤外線域の放射はいらない。タンパク質が変性するぞ)
俺は魔法を「神秘」としてではなく、裏にあるはずのエネルギー源を見ようと試行錯誤を開始した。
網膜の情報処理を意識的に調整し、ノイズを脳内でフィルタリングする。前世で光学機器や精密センサーを扱った知識を総動員し、可視光線以外の帯域へ意識をフォーカスした。
そして、ついに「それ」を捉えた。
(……見えた。これがこの世界のエネルギー源、『魔力』の正体か)
それは幻想的な光の粒などではなかった。 微細な「素粒子」のブラウン運動(熱運動)に近い。
一つ一つの粒子が、まるで「電子雲」のようにぼんやりとした確率密度を持って空間に漂い、互いに反発したり引き合ったりしながら、不規則な軌跡を描いている。
母が魔法を行使するたび、この粒子たちが一斉に母の指先へと吸い込まれていく。だが、その流動は層流(スムーズな流れ)ではなく、激しい「乱流」を起こしていた。
(ひどいな。シールドの剥き出しになった高圧電線だ。詠唱という『関数』の記述が甘すぎて、粒子のスピンも揃っていない。エネルギー同士が空中で衝突し、余剰熱として無駄に霧散している。……よし、少しだけ『パッチ』を当てるか)
一度に劇的な変化を起こせば不審がられる。50歳の処世術として、目立って自由を奪われるのは避けるべきだ。俺はゆりかごの中で、赤ん坊らしく無邪気に、小さな手をパタパタと動かした。
だが、その指先は精密に、空中の魔力粒子の流動ベクトルをなぞっている。
――デバッグ実行。
俺は脳内の物理モデルを介して、磁場を操作するように粒子の「指向性」を強制した。流体力学で言うところの、整流板を置くイメージだ。
「あら……? 今日の魔法、なんだか凄く……体が軽くなるわ。不思議ね、ジオ」
メリアは小首を傾げる。俺は即座に「あぶー」とよだれを垂らし、知性の欠片もないフリを装った。 干渉による燃費向上率は推定310%。及第点だ。
そんな俺の元に、入れ替わり立ち替わり兄たちが覗きに来る。
「これが新しい弟か。小さいな」
長男のシェイド。……なるほど、基幹システムのように安定した魔力パスだ。
「強くなりそうか? 早く剣を握れるようになるといいな」
次男のパール。出力は高いが排熱効率が悪そうだ。放っておくとオーバーヒートするぞ。
(ふむ。兄貴たちの回路もバグだらけだ。後でこっそりオプティマイズしてやらないとな)
50年かけて培った俺の理学知識をなめるなよ。
将来の究極のキャンプ生活と、愛車「チーフダークホース」の異世界再現というロマンのために。
最強の五男坊は、ゆりかごの中で一人、誰にもバレないように不敵な笑みを浮かべるのであった。




