わたくしは悪女なのでしょう?
パァン! と乾いた音が鳴り響いた。大きく見開かれた無数の瞳の前で、一人の令嬢が床に尻もちをつく。打たれた頬を押さえて俯く彼女に、慌てて護衛が駆け寄った。
令嬢に狼藉を働いたのは一人の青年だ。肩で大きく息をしながら振り抜いた手のひらを震わせている。
「お前ッ、お前が……ッ!」
怒りのあまりに言葉もろくに紡げないようで、真っ赤な顔から汗を滴らせていた。冷え冷えとした視線が彼を見上げる。
「殿下、わたくしのような悪女の言葉を信じて下さるんですか? 今までは何を言っても嘘だと切り捨てていたのに?」
視線と同じく冷たい声が男の耳を打つ。ハッとしたように青年は辺りを見回すが、一様に同じような温度の目が彼を見つめていた。
――何故、こんなことに。
青年の脳内にはここ数年の出来事が走馬灯のように駆け巡っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
第一王子イアン・リットンと侯爵令嬢ケイト・レスターの婚約は正しく政略によるものだった。王位継承権第一位のイアンの伴侶は、教養があり身分の高い令嬢でなければいけなかった。故にこの国でも随一の淑女と名高いケイトに白羽の矢が立ったのである。
「ケイト嬢、私はこの国をよりよくしたい。その為には、お互い励もう」
「えぇ、殿下。わたくしも、この国のため、より一層励みますわ」
幼いケイトは王妃教育を受けるために家族と離れて王宮に召し上げられた。レスター侯爵家の教育も高水準のものだが、王家に連なるための教育となるともっと幅広いものとなる。
ケイトはイアンと机を並べ、国を率いる立場となるための教育をともにした。この国を良くするためにと切磋琢磨し合ったのだ。
外交のための言語学習、諸外国の文化や作法。多岐にわたる厳しいそれらを乗り越えた二人の間には確かに絆が芽生えていた。
その絆にひびを入れたのは、間違いなくイアン自身だった。
十六歳となったケイトとイアンは揃って貴族学園へと入学した。高次の教育を受けている二人にとって、貴族学園は学業よりは社交の意味合いの方が強い。いずれ国を率いる者として、学園の統治や様々な身分の者たちを通して国の実態を学ぶためのものだった。
第一王子とその婚約者の入学というのは当然全校生徒の話題を掻っ攫っていった。良くも悪くも彼らは目立つ存在なのだ。その好奇や品定めの視線にも今から慣れておかなければならないのである。
最初の方こそ二人とも遠巻きにされていたが、やがて彼らの周りには人が集まり始めた。彼らの高い教養や作法の美しさに惹かれる者、利権を求めて擦り寄る者など、思惑は様々である。
その中で、あわよくばを狙ったのがマーガレット・ホルマン男爵令嬢である。彼女は男爵家の当主がメイドに手を出して出来た庶子であった。一度は市井に放逐されていたのだが、母親の死を機に男爵家に引き取られたのだそうだ。
彼女はその母に似て可憐な容姿と貴族らしからぬ気さくさを兼ね備えていた。元は平民であるからと誰にでも気やすく接する様子が貴族たちの目を引いたのだろう。彼女はケイトとイアンの二人を超えて話題になり始めた。
貴族令嬢は貞淑であることが望まれる。貴族というのは血統を重要視するので当然ではあるが。そんな中で、マーガレットの存在は令息たちには新鮮に思えたのだ。
腕に抱きつき、身体を寄せる。ころころと表情を変え、大袈裟なほどにすごいすごいと褒め称える。そのかわいらしい顔も相まって、令息たちは彼女に一目置き始めた。有り体に言えば、鼻の下を伸ばし始めたのである。
「婚約者のいる殿方にそのように身体を寄せてはなりませんよ」
「あ、あたしそんなつもりじゃ……ごめんなさい」
当然令息の婚約者である令嬢にとっては面白い話ではない。学園のあちこちでマーガレットが叱責を受ける場面が目撃されるようになっていった。だというのに彼女はこりもせずに同じことを繰り返すのだ。令嬢の語気が段々と強くなっていくのも無理はなかった。
「何度言ったらわかるのですか! 貴女はその程度のことも覚えられないのです!?」
声を荒らげる令嬢の前で、マーガレットは黙って子犬のように震えるだけだ。その様子を見かねた令息が割って入ることで、それは更にヒートアップしていく。
段々と学園内の空気は濁っていった。平民上がりのマーガレットをいじめる心の狭い令嬢たち。それに健気に耐えるマーガレット。そういった空気が作り上げられていき、場合によっては己の婚約者を叱責するような令息すら現れ始めたのである。
イアンもその一人だった。
「もう少し、メグに優しくすることって出来ないかい?」
イアンと二人きりの茶会の席でそんなことを言われ、ケイトはぴたりと動きを止めた。いつの間に愛称で呼ぶほどの仲になったのだろうか、と僅かに眉間にしわが寄る。
「もうその段階は終わっているのではないでしょうか? 皆さんも最初の内は優しく注意しておいででしたよ」
「とは言っても彼女は元々平民だったんだし……」
くるくるとイアンが琥珀の水面をかき混ぜる。ケイトは溜息を紅茶ごと飲み込んだ。
「そうは言っても優しく注意し続けた結果、彼女は己を改めなかったのですから」
正直に言うならばケイトは彼女の自業自得と思っている。令嬢側に落ち度だってないはずだ。婚約者のいる殿方にべたべたくっつかない、というのは決して難しいことではないのだから。
「……あやまちを許さないのは心が狭いんじゃないのか?」
「あやまちを犯し続ける方が問題でしょう。それも、何度も指摘を受けているのですから」
思った通りの展開にならないからか、イアンが少し苛ついているのが伝わってきた。だが、ケイトがここで折れるのもおかしな話である。
イアンは紅茶を飲み干すとやや乱暴な仕草で席を立った。お見送りしようと腰を上げかけたケイトを制し、イアンは彼女を睨む。
「君がこんなに頭が硬いとは思わなかったよ。この国にいるのは貴族だけじゃないんだ。平民の感覚も知っておかなければならないだろうに」
荒っぽい足音を鳴らして去っていくイアンを、ケイトは茫然と見送った。
男爵家の庶子一人から得られる平民の感覚などあてに出来るものではないだろうに。ケイトはすっと目を細め、手のひらで家来を呼んだ。
茶会から暫く。イアンはケイトに当てつけるようにマーガレットと仲睦まじく過ごすようになった。ケイトは特に何も指摘せず、空白の席を眺めながら王宮で勉学に励んでいた。
「あの、ケイト様……申し訳ありません」
精一杯申し訳なさそうな表情を作り、マーガレットはケイトにそう言う。ケイトは軽く眉を上げただけで反応を示さなかった。それに気を悪くしたのか、マーガレットは更に言いつのる。
「その、ケイト様を差し置いてイアン様に侍ってしまって、申し訳なく思っています……怒っていますよね?」
うるうると目を潤ませながらそう言えば、ようやっとケイトはマーガレットと向き直った。
「悪いと思っているのなら、何故改めないのです?」
「え? えっと、その、それは……」
ケイトの問いに答えあぐねているようで、マーガレットは視線をうろつかせる。ケイトはこてんと首を傾げた。
「他のご令嬢方も散々貴女に注意してきたでしょう? 悪いことをしたと自覚があるのならば、何故行動を変えないのですか?」
本気で不思議そうに尋ねるケイトに、マーガレットはキッと顔を上げて睨み付けた。
「なによ、すかしちゃって! アンタなんか……!」
衝動的に片手を上げ、しかしマーガレットの頭に一つ考えが思い浮かんだ。幸運なことに今は二人きりだ。目を見開くケイトの前で、振り上げられた手がマーガレット自身の頬を叩く。
「キャアァアアアアアッ!」
ついで大声を上げるものだから、ケイトはただ驚いていた。その声に釣られるようにして、生徒たちが二人の周りに集まってきた。
頬を腫らすマーガレットに、その前に立つケイト。マーガレットはさめざめと泣きながら、観衆に訴えかける。
「っ、ケイトさま、が……!」
詳しいことを言わずにいれば、周りは勝手に補完してくれるのだ。ケイトに厳しい目が向けられる。それは主に令息のものだ。
「何の騒ぎだ」
遅れて駆け付けたらしいイアンがその光景を見て目を見開いた。そうしてマーガレットに駆け寄り、ケイトの方を睨む。
「何をしている、ケイト! メグに手を上げるなど……!」
「わたくしは何もしておりませんわ」
ケイトは淡々と事実を述べた。が、憤るイアンにその言葉は届かない。
「何を白々しいことを。これだけの人の目の前で狼藉を働いておいて!」
「……わたくしが彼女を頬を打ったのをこの中の誰かが見たのかしら?」
ケイトはぐるりと人垣を見回した。ここにいるのはマーガレットが声を張り上げてから集まった者たちだ。現場を見た者はいないはずである。当然ケイトの問いには沈黙が返った。
「身分を振りかざして皆の口を塞ぐとは、何という悪女だ」
だというのにイアンは吐き捨てるようにそう言ってマーガレットを抱き上げ、その場を去っていった。ケイトはうっそりと目を細めてそれを見送る。
その日以降、マーガレットはケイトにいじめられたと言ってはイアンに泣きつくことを繰り返した。その代わりと言っていいのかはわからないが、他の令息たちにまとわりつくことはなくなったらしい。ターゲットをイアンに絞ったと言う方が正しいのかもしれないが。
「メグの教科書を破いたそうだな」
「わたくし、そのようなことはしておりませんわ」
「彼女がお前に噴水に突き落とされたと言っている!」
「わたくしではありませんわ」
「メグも謝れば許すと言っている」
「わたくし、謝罪するようなことは何もしておりませんわ」
繰り返される問答とも呼べないやり取りに、ケイトは疲れていた。その上に何か証拠があるのかと問えば、マーガレットの証言が確固たる証拠だと寝言を抜かすのだ。
「いい加減にしろ! お前のような悪女を王妃にするわけにはいかない! 今すぐにでも父上に報告して婚約破棄してやる!」
その日イアンはそう捨て台詞を吐いて去っていった。一人残されたケイトはその場で何事か呟いた。途端、滲み出るかのように人影が現れる。
「わたくしもね、貴方のような愚か者をこの国の王とするわけにはいきませんのよ」
ぱん、と音を立ててケイトの手の中で扇が閉じられる。彼女はイアンよりもよほど覚悟を決めた目をしていた。
それから数日後。王宮にてパーティーが開かれることとなった。イアンはケイトのエスコートを拒否したため、彼女は一人ながら堂々と会場に足を踏み入れた。好奇の目が向けられるが、彼女はどこか晴れやかな様子だった。
一方のイアンは控室にてそわそわとマーガレットを待っていた。彼は婚約者を差し置いて、彼女をエスコートするつもりなのだ。そうしてこの場でケイトの行いを断罪し、彼女と婚約を結び直す予定だった。
このパーティーを開催したのは王家である。故に本来ならばイアンも先に会場で招待客の相手をするべきなのだが。
そうこうしている内に開始時間が迫り、イアンは眉を寄せた。いくら何でも遅すぎる。何かあったのかとイアンが腰を上げかけたその時、控室の扉がノックされた。それも慌てたように乱暴に。
「イアン殿下! ホルマン男爵令嬢が……昨夜階段から落ちてお亡くなりになったと……!」
報告を耳にしたイアンの目が大きく見開かれる。彼は部下を押しのけるようにして部屋を飛び出すとそのまま会場へと走っていった。
「ケイト・レスター!!」
名を叫ばれるとともに肩を掴まれ、ケイトはたたらを踏んだ。振り返った先には般若の形相のイアンがいる。予想していたのか、さほど驚きもせずにケイトは緩く首を傾げた。
「イアン殿下、ご機嫌麗しゅう――」
「お前がメグを殺したのか!?」
イアンから飛び出した衝撃の言葉に騒めきが走る。ケイトは大声が響いたのか顔をしかめ……ふっ、と小さく微笑んだ。イアンの耳元に口を寄せて、囁く。
「えぇ、そうです。わたくしが彼女を殺しました」
カッとイアンの頭に血が昇る。そうして気が付けば、ケイトが床に倒れ込んでいた。じんじんと痛む手に段々と現実に帰ってくる。
「お前ッ、お前が……ッ!」
そのまま糾弾しようとするのに、言葉が出て来ない。頬を押さえたケイトが静かにイアンを見上げている。
「殿下、わたくしのような悪女の言葉を信じて下さるんですか? 今までは何を言っても嘘だと切り捨てていたのに?」
視線と同じく冷たい声がイアンの耳を打つ。ハッとしたように辺りを見回すが、一様に同じような温度の目が彼を見つめていた。
「何の騒ぎだ!」
沈黙の中、声を張り上げたのは国王だった。二人を囲んでいた人垣がさっと左右に分かれて花道を作る。
「衆人環視の中で暴力を奮うなど……王子として、いや人としてあるまじきことだぞ、イアン!」
重い声が空気をびりびりと震わせる。イアンは何とか弁明しようと言葉を絞り出した。
「これには訳があるんです、父上! こいつはおぞましい殺人犯なのですよ!」
イアンは勢いよくケイトを指さした。が、国王は何を言っていると言わんばかりに眉間に深いしわを刻んでいる。
「侯爵家の令嬢になんという言いがかりを……!」
「言いがかりではありません! 現にコイツが自分が殺したと自白したのです!」
国王はケイトへと視線を移した。護衛の手を借りて立ち上がった彼女は美しい所作で国王へとカーテシーをする。腫れて赤くなった頬がなんとも痛々しい。
「発言を、お許しいただけますでしょうか、国王陛下」
「許す。説明せよ」
ケイトはすっと背筋を伸ばすとゆっくりと口を開いた。
「先程イアン殿下にマーガレット・ホルマン男爵令嬢を殺したのかと聞かれ、はいと答えました」
会場にどよめきが走る。イアンがいっそ得意気にまくしたてようとするのを片手で制し、国王は先を促した。
「わたくしは常々イアン殿下にホルマン令嬢を虐げたと叱責されておりました。わたくしは何もしていないと言っても、イアン殿下はそれを信じてくださいません。ホルマン令嬢の証言こそが証拠だとおっしゃられ、わたくしの言葉は聞き入れて頂けませんでした」
ふぅ、とケイトが小さく息を吐く。疑わし気な視線が己に突き刺さってくるのを感じ、イアンは弁明しようとする。が、国王はそれを許さなかった。じろりとにらみ、ケイトの方に続きを話すようにと目線を送る。
「していないことをしていないと言い続けるのに疲れたのでございます。だって何を言っても信じてもらえませんもの。認めるまでなじられ続けるのなら、いっそ受け入れてしまった方が楽かと思ってしまいましたの。殿下に嘘を吐いてしまったことは、お詫び申し上げますわ」
ケイトは悲し気に目を伏せた。そのまま美しい所作で深々と頭を下げる。
「では、そのホルマン令嬢を殺したのはレスター令嬢ではないと?」
「はい、わたくしではございません。国王陛下に誓って、この発言に嘘はございませんわ」
ケイトは真っ直ぐに国王を見据えてそう宣言した。鷹揚に頷いた国王がイアンへと視線を移す。びくりと肩が跳ねあがった。
「で? 貴様は何の確証もなく、己が追い詰めた令嬢の頬を打ったと?」
「ち、違います。だって、メグが……!」
は、と冷笑が零れた。
「そのメグとやらがお前の夢枕に立って証言したのか? レスター令嬢に殺されたと?」
イアンはぐっと唇を噛み締めて黙り込んだ。国王は暫し彼の発言を待っていたが、やがて大きく溜息を吐いた。
「お前には失望したぞ、イアン」
恐ろしいほどに温度のない瞳がイアンを射抜く。ひゅっと息を呑んだイアンは喘ぐように口を開いた。
「ですが……ッ、ケイトはメグを虐げていたのですよ!」
「その話は既にレスター令嬢から聞いている……こちらで調査もした」
国王は僅かに視線を動かした。いつの間にかイアンの傍に立っていた一人の男が、手にした紙の束を彼へと手渡す。
「そのメグとやらの証言は事実無根である。レスター令嬢の名誉のため、今日この場で発表するつもりであった――国王として、宣言する。巷に流布されているレスター令嬢への悪評は偽りである。未來の王妃を貶めようとしたマーガレット・ホルマンによる悪意ある偽証だ」
国王は朗々と宣言する。イアンは顔どころか体中から血の気が引くのを感じていた。
「我が息子イアンは偽証に気づく気づかない以前に、ホルマン令嬢から報告を聞いてはレスター令嬢へと詰め寄っていた。己で調べもせず、たった一人の証言を鵜のみにするその無能さ、盲目さ、全てにおいて王の器とは考えられん」
は、と掠れた息が漏れた。思わずと言った様子でケイトの方を振り返るが、彼女はこの展開を知っていたようで、顔色一つ変えていない。
「これをもって、今この瞬間からイアンの王位継承権を剥奪とする。更にこれが今まで学んできたことを他者へと漏らす可能性を考え、北の塔への生涯幽閉とする」
とうとうへたり込んだイアンの両脇を騎士が支えて立たせていた。そのまま連れていくのかと思いきや、その場に留まって王の次の言葉を待っていた。
「よって第二王子リチャードを次代の王へと任命する。その隣に立つのは、レスター令嬢、貴殿しか考えられないが……この話、受けてもらえるか?」
国王の宣言に、リチャードが前へと進み出る。何の迷いもなく、ケイトの元へと歩み寄り、その手を取る。
「ケイト嬢、私からもお願いしたい。私は貴女とともにこの国をよりよくしたいのです。その為には、貴女以外には考えられない」
「……喜んで、お受けいたします殿下。わたくしも、この国のため、より一層励む所存でございます」
ケイトが弟の手を取るのを、イアンは茫然と眺めていた。その誓いの言葉は、かつて己がケイトと交わしたものとよく似ていたのだ。
彼らの手際の良さに違和感を覚える間もなく、イアンは今度こそ会場から引きずり出されていった。
波乱の夜会を終えて。ケイトとリチャード、国王と王妃は別室へと集まっていた。
「改めて、愚息の非礼をお詫び申し上げるレスター令嬢。本当にすまなかった」
「いえ! 顔をお上げください陛下、今回のことはご相談が遅れたわたくしにこそ非がありますわ」
慌てるケイトに国王は苦い顔で微笑んだ。
「それだけの間、愚息を見捨てずにいてくれたということだろう。本当に、どうしてあれほどまでに愚かとなり果てたのか……!」
苛立ちを隠せぬ国王に、王妃がそっと寄り添う。この二人もかつてはイアンとケイトのように机を並べて勉学に励んだ同士なのだ。最初こそ政略によるものだったが、彼らの間には確かに絆と愛情が芽生えている。
この二人のようになりたいと、ケイトが願っていたのも嘘ではなかった。
「本当に……あの、女狐めが……!」
国王夫妻はイアン以上にマーガレットへと憎悪を募らせていた。それはそうだろう。手塩にかけて育てた息子を、たかだか数年であれほどの愚者へと引きずり下ろしたのだから。
国王はケイトからの進言を受け、速やかにイアンとマーガレットの周囲を調査した。その結果、マーガレットは別段国家転覆などと大それたことを考えていたというわけではなかった。単純に面白がってあのように貴族令息にべたべたしていたと分かったのだ。イアンとの仲を深めたのもその延長のようなものだった。
だが、結果として王位継承権第一位の王子を人の話を聞かぬ暴君へと仕立て上げたのだ。その上に未来の王妃への悪意ある噂の流布。本人にそのつもりがあろうがなかろうが、国家反逆に他ならない言動であった。
故に、マーガレットは処刑されたのだ。王家の影によって、ひそやかに。
更にはもしマーガレットを排除したことでイアンが正気に戻ったのであれば、幽閉まではしないつもりだったのだ。その上でケイトが望むのであれば、婚約はそのままに王家管轄の領地にて公爵として再スタートをさせる予定だった。
イアンはこの国の王になるために最高峰の教育を受けている。それが半端であったとしても、諸外国や有力な貴族にこの情報を漏らすわけにはいかないのだ。
だが、結果はあの通りであった。考えることも調べることもせずに人の話を鵜のみにし、公衆の面前で婚約者たる令嬢に暴力を奮った。
そのような愚者を市井にとて放流するわけにはいかない。
「リチャード、これからお前には一層厳しい監視をつける。同じ愚を二度と起こしてはならない。レスター令嬢の献身に、王家は報いねばならない」
「はい、父上」
リチャードは背筋を伸ばし、礼を執る。そうしてケイトへと向き直った。
「ケイト嬢、貴女と家族になることを心待ちにしていました。兄上がこんなことになって残念ですが、正直なところ嬉しくも思っています」
流れるようにケイトの手を取って口づける。まぁ、と王妃が楽しそうに声を上げていた。
それから数年後、立太子したリチャードとケイトは正式に婚姻を結んだ。二人はこれまで以上に勉学に励み、世のため国のために尽くしていた。
そんな王太子夫妻が次々とあげる功績を、イアンは紙面越しにただ見ていた。
己が挙げるはずだった功績を、得るはずだった聡明な伴侶を、全て失った己の愚かさを、彼はこの冷たい石の塔の中でずっと後悔し続けることとなる。
――マーガレットのことは、もはや思い出すことすらなかった。
自分の息子をアホにされたら普通の親はぶちぎれるんじゃないかなと。
特に王子として教育してたらそれ全部無に帰すわけですしね。ふざけんなよお前! となってもおかしくないでしょう。




