B16.陰謀−1
B16.陰謀−1
四方を壁に囲まれ、完全に閉ざされた。
だが、案内するキクナラクナは冷静さを失わず、動揺の色すら見せなかった。
「だだいま戻りました」
キクナラクナが声をかけると、四方の壁が音もなく消え、そこは応接室に変わった。
「どっ、どうして! お前たちが生きている?」
主人用の椅子に腰かけていたのは、一人の老婆――カクマリクマ公爵だった。
立ち上がり、魔術を起動しようと手を上げた瞬間、降鷲に腕を掴まれた。
鈍音。
降鷲が、カクマリクマの右手を圧し折った。
「ウゲッ!」
「どうせ本体ではないだろうに。――ん?」
「感覚は共有されている。本人と変わらない」
カクナロクナが静かに口を開く。
「どうしてそれを!」
腕を押さえながら、カクマリクマが目を見開いた。長机の上の魔法具を取ろうとする。
その手を、降鷲が無造作に握りつぶした。
両手をダラリと下ろしたカクマリクマが、力なく椅子に座り直す。
「どうして、勇者を召喚したんだ?」
降鷲が質問した。
「貴様のような下賎な者に答えるはずはなかろう」
「だいたいは予測がつく。――右利きか」
肘掛けにカクマリクマの手を置くと、降鷲が手首を巧みに反転させた。
取り出した針が光る。
鋭利な先端が、爪の下に食い込んでいく。
「ギャー!」
人差し指の爪が朱に染まり、血が滴り落ちた。
「被虐性欲者だった連続殺人者でも、これだけはダメだったらしい」
拷問としては最上の部類に入る手法だ。生爪を剥がされるより深い痛みが走る。
その間、カクナロクナが机の引き出しを調べていた。
「あったぞ」
二つ折りのホルダーを開く。
中には、純白の紙が一枚。縁には金箔の文様が描かれていた。
「帝国との文書だろう?」
降鷲が聞く。
「どうしてそれを知っている?」
キクナラクナが聞いた。
「どこでも同じ。内政に問題があれば、共通の外敵を作り出す。『英雄を欲する国こそが不幸だ』――そんな言葉がある」
ベルトルト・ブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』の台詞だ。地動説を撤回したガリレイに失望した弟子のアンドレが「英雄がいない国は不幸だ」と非難したが、ガリレイは「そうではない。英雄を必要とする国が不幸なのだ」と答えている。
「――公式には既に逝去した先代勇者が魔王討伐に向かった。討ち滅ぼした名誉は、新たに召喚した勇者に与える――そう署名している」
カクナロクナが文書を読み上げるように要約した。
「いつもの帳尻合わせか。――ところで魔王を倒せるのか?」
「それこそ愚問じゃて。勇者しか、魔王を倒せぬ」
せせら笑いながら、カクマリクマが答えた。
「それこそ嘘偽だ。世界は限定されている。他の世界の力を借りるなら、それは一つの世界として成り立たない。――ああそういうことか。署名は何名?」
「三名だ」
キクナラクナが答えた。名前を読み上げる。
「――帝国リヴャンテリ皇帝および勇者コウヅキ、ならびに王国元老院議長カクナロクナ――」
キクナラクナの声が思わず裏返る。
「父上……?」




