B7.ダンジョン−1
B7.ダンジョン−1
ダンジョン地下、深層。
落下した甲斐が、呪符で〈水〉と〈土〉の魔術を同時に起動した。
地上へと大量の水が流れ落ち、微細に生成された白い粉体が降りそそぐ。
両者が混ざり合い、瞬時に剪断増粘流体を形成した。
甲斐はその山頂をベッド代わりにして、衝撃をやわらげる。
ちょうど水と片栗粉を混ぜたものに、ゆっくり手を差し入れるような感覚だった。
落下速度が完全に相殺されたころ、地表は一面、乳白色の流体に覆われていた。
甲斐が走り出す。
追って降下してきた黒装束の忍者たちは、剪断応力の概念など知る由もなく、ただの泥水だと思い込み、勢いよく着地して次々と転倒した。
先発隊が負傷すると、本隊は間隔を空けて追跡を再開する。
(王国の暗殺部隊か?)
甲斐が息を切らせながら疾走した。
「――ゼエ――ゼエ」
無理もない。若作りしているとはいえ、五十路前の体力には限界がある。
(何が忍者よ!)
矢がかすめるが、当たらない。
暗殺部隊は、囮になった甲斐をすぐには殺さず、狩りを愉しむように追い詰めていた。
甲斐が〈火〉の呪符を取り出した――が、発火しない。
(なぜ? ……!)
さきほどの水で、文字が滲んでいた。
(まあ、こうなる)
結局、異世界人たちが学んでも、榛名以外、魔術を自力で使えることはできなかった。
自然な榛名は「逆上がりみたいなもの」と言うだけで、技術を論理的に説明できない。
宝珠があれば限界まで魔術を行使できるが、ヴェイミンの準備不足で今は手元にない。
(紬を限界まで追いつめて、強引に勇者の力を引き出す作戦ね……)
呪符の材料も数が限られている。
(となると――)
甲斐が中央の濡れていない呪符を選び、発火。火弾を放つ。
だが、着弾前に炎が霧散した。追っ手は対策済だ。
追いついた敵を合気で倒し、押すように掌底を入れる。
ゼロ距離だったが、鈍い手応えしか返ってこない。
(鎧通しもダメか)
逃げながら手の痛みを確認すると、骨にヒビが入っているのが分かった。敵は防御していた。
(とにかく逃げるしかない)
首輪の宝珠の加護で、光がなくとも周囲を詳細に関知できる。
「!」
前方に、白い霧が立ちこめていた。
人間の転移なら、黒い霧の〈闇〉魔術か、白い光の〈空間〉魔法しかない。
それ以外は魔物か、魔族ということになる。
すぐに、寒空の吐息のような淡い靄が立ち込める。
地表の霜から白い霧が吹き出した。
濡れた岩肌に足を取られかけたが、甲斐は素早く体勢を立て直す。
暗闇の中――黒い霧から〈闇の魔術師〉ルダリアが顕現した。
(一難去ってまた一難)
甲斐が身構えた。




