7.リナ・ドールマン、お兄さまの帰宅を知る
7.リナ・ドールマン、お兄さまの帰宅を知る
「ほら、ディーン、口元が汚れてるわよ」
そう言ってディーン・ドールマンの口元を綺麗にするのにも慣れてきた。
ディーン・ドールマンも慣れてきたのか、ナプキンで口元を拭っている間は目を閉じ、大人しく顔をこちらに向けている。
「よし、綺麗になった」
「ん、ありがと・・・・・・」
日中はできるかぎり二人で過ごし、寝る前にお喋りし、時には使用人たちから聞いた物語を読み聞かせる。
コレを続けているとディーン・ドールマンが私に悪戯をすることも目に見えて減っていった。
それに時折される悪戯も軽い物に戻っていた。
やはり、構って欲しい、自分を見て欲しいという思いが暴走して悪戯が過激になっていたらしい。
私のことをブスだなんだということもなくなった。
落ち着いてきたディーン・ドールマンに使用人たちもホッとしているようだ。
「あぁ、そうでした。お嬢様、ディーンお坊ちゃま、昨日、ダークお坊ちゃまの通われている学校からお手紙が来ていまして」
執事長のオーメンが真っ白いソレを私に差し出してきた。
受け取って、ひっくり返してみるとそれはドールマン家宛の封筒である。
私やディーン・ドールマン宛ではない。
そして、差出人も学校名だけだ。
だが、恐らく、出したのはダーク・ドールマンだろう。
誰宛か分からないので、屋敷を取り仕切っているオーメンの元にやられたのだ。
そして、それがダーク・ドールマンの本懐だったはずだ。
私たちには手紙を出したくないけれど、私たち以外に出せばいい顔をしない人間がいる。
だから、宛先も差出人も書き忘れたという体で送ったのだ。
本当に、回りくどくて嫌な男だ。
我がお兄さまながら。
帰ってこないし、手紙一つよこさない。
よこしたと思えば、それは執事長にいくように宛先を書かないときた。
どうせ、手紙の内容も学校で必要な品を送ってよこせだのと言うものだろう。
私は中身をあらためることなく、ディーン・ドールマンに封筒を差し出した。
「近くダークお坊ちゃまが戻られるそうですよ」
続いたオーメンの言葉に私は鷹揚に頷き、数秒して内容を理解して目を見開いた。
「__はぁ!?」
思わず握りつぶした封筒は少し皺になっていた。
「ね、姉ちゃん、それ破かないで!」
「あ、あぁ、ごめん」
悲鳴のように上がったディーン・ドールマンの声にようやく我に返る。
帰宅。
帰宅?
あの唐変木の冷酷男が?
うわぁ、明日は氷の城が空から降ってくるな。
「姉ちゃん、兄ちゃんの手紙俺がもらってもいい?」
「えぇ、いいわよ」
そんな私たち宛でもない手紙なんて、私はいらないしねという言葉は飲み込む。
ディーン・ドールマンは少し歪んだ封筒を両手で抱えると、嬉しそうに自分の部屋に走っていった。
恐らく、自分の部屋の宝物を入れる箱か何かにでも入れておくのだろう。
記憶が戻る前の私にもそんな箱があったはずだ。
その大半はもういらないだろうし、ディーン・ドールマンにあげてもいいかもしれない。
どうせお父様やお兄さまからの業務連絡みたいなものばかりだし。
今の私が持っていても嬉しくも何ともない。
そんな私が持っているよりもディーン・ドールマンが持っていた方がずっといいだろうし、喜ぶはずだ。
それこそ、私の愛を存分に感じることができるだろう。
ならば、愛の伝道師としてするべきことは一つである。
自分のナプキンで口元を拭い、食事終了の合図を出す。
「お、お嬢様」
さっさと席を立った私にオーメンが恐る恐るといったように声をかけてきた。
「何かしら?」
「え・・・・・・いえ、いつもはいつ帰ってくるのか事細かにお尋ねされ、お出迎えのパーティーや、一緒にお出かけするプランなどを言伝されておりますが、今日はお忘れになられているようなので・・・・・・」
あぁ、そうか。
そういえば、記憶が戻る前の私ってお兄さまやお父様が帰るかも、というだけで大騒ぎしていた気がする。
結局、一度たりとも帰ってこなかったので、全ては空振りだったわけだが。
「別に、何も」
首を振って、私は自室に帰ろうとするが、再びオーメンに止められた。
「こ、今回は! 今回こそは、ダークお坊ちゃまは絶対に帰宅されるそうです! 何か! 何かしたいことや、してほしいことは!」
焦っているらしい。
まぁ、前までは大騒ぎだったからなぁ、私。
「私からは別に何も。ディーンがしたいって言うなら、すればいいんじゃない?」
それだけ言うと私は今度こそ踵を返して部屋に向かった。
私の宝物を入れている箱はかつてお母様が小物入れに使っていた物である。
あしらわれている宝石も恐らく偽物ではないのだろう。
そんな本物の美しい箱の中、私はお父様やお兄さまから貰った__いや、貰ったと思おうとしたものが入れられていた。
その大半はもう用が済んだメモだの、書き損じていらなくなった手紙のなり損ないばかりだ。
そんなものでもお父様やお兄さまの存在を感じていたかったのだろう。
それらを綺麗な箱から取り除く。
もはや、私にとってはゴミにしか見えないソレを纏める。
後に残るのは、母から私宛に貰った手紙のいくつかとアクセサリーだけだ。
とても、すっきりしたそれを仕舞う。
そして、いらなくなったソレを掴むと、私はディーン。ドールマンの部屋へと急いだ。
まだ、部屋にいるだろうか。
「ディーン」
何度かディーン・ドールマンの部屋の扉を叩くが反応はない。
さっさと宝物入れに封筒を仕舞って、また食事に戻ったのかもしれない。
ならば、私も大人しく食事をして待っているべきだったか。
いや、いいか。
どうせ、私はもう食べ終わっていた。
なんとなく、好奇心が疼いて「ディーン・ドールマンが散らかっていて姉に見せたくない部屋」を一目見たくなる。
ディーン・ドールマンのことだ、あれから片付けもせずにそのままだろう。
そっと音を殺しながら扉を開ける。
そして、そのまま、隙間から部屋を覗いてみた。
考えていたよりも部屋は荒れても散らかっても居なかった。
まぁ、考えてみれば、ディーン・ドールマンだってメイドに部屋を片付けられているだろうし、当たり前か。
そう思って視線を巡らせると、部屋の隅に何か大きな物がおいてあるのが見えた。
隙間からではよく見えない。
扉をもう少し開いて、頭を部屋に入れる。
それは肖像画だった。
ディーン・ドールマンが生まれる前に描かれた物。
お父様とお母様、お兄さまと私が描かれた、ドールマン家最後の肖像画だ。
お母様は肖像画に描かれるのが好きだったらしく、定期的に画家を呼び寄せていたが、お母様が亡くなってからは本当に全くない。
画家が訪ねても追い返すようにお父様から命じられているとニワがこっそり教えてくれた。
その最後の肖像画がまさかディーン・ドールマンの部屋にあるとは。
確か、お父様の書斎に置いていたはずだ。
それをわざわざ降ろして持ってきたのだろうか。
壁に掛けられてはないということは執事長には無断で持ってきたから、壁に穴まではあけられず、そのまま壁に立て掛けているのかもしれない。
「お嬢様!」
その声に肩がはねる。
ディーン・ドールマンの部屋の扉を勢いよく締めて振り返ると、そこには不思議そうな顔のニワがいた。
「どうかされたんですか?」
「いや、なんでもないよ」
私が首を振ると、ニワがバスケットを持ち上げる。
「えっと、あ、朝はあまり召し上がられていないようでしたので、サンドイッチを作って参りました。小腹が空いたときにでも言っていただければ・・・・・・」
「うん、ありがとう。ディーンを探してたんだけど、どこにいるか知ってる?」
「あ、執事長と一緒に大広間の方に行かれていました・・・・・・」
「あー、成る程ね。案内してくれる?」
「はい、かしこまりました」
ニワがくるりと踵を返し、此方にふわふわの尻尾を見せる。
ゆらゆらと左右に揺れるソレを見ながら、私はニワの後に続いた。
「だから、いつごろ兄ちゃんが戻ってきそうか、だけ言ってくれたらいいんだよ!」
「いえ、ですから、ダークお坊ちゃまがもう学校を出ているか、まだ出ていないかも私どもには分からず・・・・・・」
「学校からここに向かう汽車の時間とかで分かるだろ!」
「何本もございますし、乗り換えられたりする事もございます。その上、途中でご学友のお家に行かれることも考えられますので・・・・・・」
「だから、それも含めて考えたらいつ頃なんだよ!!」
「いえ、ですから・・・・・・」
ディーン・ドールマンと執事長、オーメンの不毛なやりとりが廊下に響いている。
私の前を歩くニワの耳が伏せられた。
私の耳でもよく響く声なのだ、獣耳には大きすぎるのかもしれない。
ニワの前に出て、片手でここで待っているようにと指示を出す。
そして、二人の元へと足を進めた。
「ディーン」
「姉ちゃん!」
「お嬢様!」
ディーン・ドールマンからは恥ずかしいところを見られたという顔をされ、オーメンからは助かったという顔をされた。
「お兄さまはお父様に似て秘密主義。私たちにも使用人たちにも自分のことを話はしないよ。ディーンだってよく分かってるでしょ?」
「・・・・・・」
私がそういうと、ディーン・ドールマンが顔を伏せた。
理解はしているが、居てもたっても居られないのだろう。
「ほら、お兄さまやお父様の書き損じたメモの寄せ集め。ディーンが欲しいならあげるよ」
そう言って、彼の前にメモや書類の束を差し出す。
「え」
ディーン・ドールマンの顔がパッと上げられた。
「い、いいの?」
信じられないという顔で私を見上げている。
「うん、あ、悪用はダメだよ。他の人に見せたりあげたりするのもね」
「うん!」
元気よく頷くと、その紙の束をしっかりと抱きしめた。
記憶が戻る前は私にとって宝物だったものたち。
きっと、ディーン・ドールマンには今だって宝物に見えるのだろう。
その背後でオーメンが信じられないという顔で私を見ていた。