プレタポルテ
生駒市の中心、生駒駅からつながる商店街「ぴっくり通り」。
「びっくり」ではなく「ぴっくり」。
生駒駅改札前のコンコースからつながる立橋を通り過ぎて、ぴっくり通りの入り口へ降りていく階段の手前に小さな地域紹介コーナーあった。生駒市の説明や特産品である茶筅やなんかが展示されてあるガラスケースがある。
そのガラスケースの端、階段から登り切ったところの一番目につくところに、A4サイズの地域情報紙が風に揺れている。これは倉屋敷と高山の二人が不定期発行しているもので名を「プレタポルテ」と言う。
重しの文鎮の位置が変われば飛んで行きそうだ。
〇
「このノートにまとめてある」そう言われて渡されたノートをなんとなく受け取って、高山は図書室を後にした。
由美と沙織と3人で楽しいはずのグループ発表のはずだったのに。そんな思いを捨てきれずに図書室の入り口で立ち止まった高山は、ふと、中を見やった。
倉屋敷が机の並べてあった資料を片づけていた。
下駄箱までの道すがら、由美と沙織が廊下で話しているのを見つけたが、声を掛けずにそのまま学校を後にした。
なんとなく、気持ちが重くて家に直接帰らず遠回りをして、なす公園のベンチに腰かけた。
鉄棒と砂場以外の遊具が撤去されてしまった公園には誰もいなかった。
一言も話したことのクラスメイト。普段誰とも話しているところを見たことのない同級生。誰も寄せ付けないあの雰囲気が苦手な女子。何を考えているかわからない子。そして、想像以上に力が強くて足が速い。
「はぁ」
高山は夕暮れの空を見上げながら、大きなため息をついた。しばらく、空を見上げてから倉屋敷から渡されたノートを開いてみた。
発表内容案が3つほど書かれてあり、そのすべての事についてびっしりと2ページ分書かれてあった。
高山はこのノートの文章を書き写しただけで発表資料が完成しそうだ。
「え、これって」
ページを遡って行くと、そのノートが数学のノートであることがわかった。表紙にも数学と書かれてある。
今日の日付のページには、宿題のページが記されてあった。
今頃、倉屋敷は慌てているだろうか。
辺りが暗くなる前に家に帰った高山は数学の宿題をしながら、もう一度、倉屋敷のノートを開いた。お手本の様な綺麗な文字が並んでいる。
読み返すうちに、なんだか気持ちがモヤモヤとしてきた。
グループ発表のグループが決まった日に、倉屋敷はどれくらいかかってこれを書いたのだろうか、きっと、テレビもゲームもマンガにも脇目をふらずに、机に向かって書いたに違いない。
ベットに寝転がってマンガを読んでいたことを思い出すと、誰に責められるわけでもなくモヤモヤが濃くなった。
翌朝、いつもよりも早く教室に到着した高山は、
「これありがと」とすでに着席していた倉屋敷にノートに返した。
「あぁ、どうだった」
倉屋敷は受け取ったノートを開きながら、高山に聞く。
「私は旧生駒町庁舎についてがいいと思うんだが」と続けた。
「うん。私もそれが良いと思った」
高山がそう言った頃合いで、由美と沙織が連れ立って教室へ入ってきた。二人と避けるために、早く家を出たというのに、もう少し早く家を出れば良かったと後悔した。
「そうか、なら今日の帰りに早速調査に行こう。高山は放課後、予定はあるか?」
倉屋敷は何度か頷きながら、ノートの「旧生駒町庁舎」と書かれた部分に黄色のペンで丸をつけた。
放課後、倉屋敷について行く形で高山ははじめて、旧生駒町庁舎へやってきた。立派な石造りの門に横に長い木造の佇まいは庁舎と言うよりは、学校に近い印象を受けた。存在感のわりにひっそりとそこある。
「今は自治会館として使われているらしい」口角を上げてそう言う倉屋敷。
そんな倉屋敷をみて、高山は少しほっとした。
二人の通う緑ヶ丘中学校から旧生駒庁舎までは徒歩20分程度だった。
だが、高山にはその20分がどうしようもなく長く感じられた。何を話すでもなく、むしろ、昨日借りた数学のノートの事が喉に刺さった魚の小骨のように気になって、話しかけられもせず。
とにかく居心地の悪い時間だった。
「しまってるよね?」
ごくごく自然に口のドアノブに手を掛けるが、真鍮製のノブは回らなかった。
「やはり開いてないか」
「え、入れないの?」
「今は自治会館としてしか使われてないから、開いてないだろうなとは思ってた」
あっけらかんとそういった、倉屋敷はさっさと踵を返して歩き出す
その背中を見ながら高山は思った、
わざわざ来た意味とは・・・。
〇
石造りの門を出るとすぐに車道があり、生活道なのでそこそこの交通量がある。
倉屋敷は右を見て左を見て右を見てから素早く道路を横断した。高山も後に続いて渡った。
その先には少し斜めに傾いていて、佇まいで言うなら旧生駒町庁舎よりも古そうな民家があり、玄関が開きっぱなしでその中へ倉屋敷を迷いなく入って行く、慌てて
「ちょっと勝手に入るのは駄目だよ」高山が中を覗き込むようにして言うと、
「ください!」倉屋敷は10円と書かれた札の入っている箱から棒状のスナック菓子を2つ手に取ってから大きな声ではっきりと言った。
「なんだぁ、駄菓子屋だったんだ」
玄関を入ったところは土間になっており、所狭しと見覚えのある駄菓子が並んでいた。薄暗くて駄菓子に気が付かなかった。
奥から姿を現したお婆さんに20円を渡した倉屋敷は「行こう」と駄菓子屋を出て、再び歩き出す。
「え、早っ、ちょっと待ってよ!」
高山としてはもう少し駄菓子屋の中を見たかったのに、と抗議も意味も込めて少し悪態をつきつつ倉屋敷の後を追う。
駄菓子屋を出てから7分ほど歩いて階段を上った小高いところに山崎町公園がある、金木犀と桜の木以外はベンチしかない公園。
金法寺と山崎町の自治会館も隣接している。高山はこの会館で子供会の活動をしたことがあったし、この道は通り慣れた道でもある。
ちなみに、この会館には大きな太鼓が置いてある。
「あんなところに駄菓子屋あったなんて知らなかった」
「高山はこのあたりに住んでいるのだろう?」
「そうだけど、駄菓子屋は駸々堂まで行ってた」
「駸々堂・・・」倉屋敷は指をあごの所に当てながら、少し考えてから「知らないな。私は、あの辺りに住んでるんだ」と眼前に聳える生駒山の中腹あたりを指さした。地形がとても特徴的な所だ。
「あの辺りって宝山寺の辺だよね」
「あぁ、ケーブルの宝山寺駅近くに住んでる」
「通学大変じゃない?」
緑ヶ丘中学校は生駒山の麓にある。倉屋敷のように生駒山の中腹辺りから通学している生徒も多く、高山ら平地組からしたら毎日がハイキングをしているように思えて、正直げんなりする。
「小学校からそうだったから。今更どうということもない」倉屋敷は駄菓子屋で買ったお菓子を高山に差し出しながらそういった。
「くれるの?ありがとう!」
「無理に付き合わせたから、それに私はさっきの駄菓子屋につぶれてほしくないから」
高山の嬉しそうな声に表情を柔らかくしながら倉屋敷は続けていう。
「発表の作らないとだしそんなの良いのに、お菓子2つ買っただけで?」
「あぁ、私のお小遣いではそんなに応援できないけど、なんとかできないかと父さんに相談したら、塵も積もれば山となる、そう父さんに教えてもらったんだ」
「へぇ」
達成感に満ちた横顔を見ながら高山はいまいち意味が分からなかったが、とりあえず、今度あの駄菓子屋へお菓子を買いに行こうとだけは思った。
その日の夜、高山がいつも通りベットの上でマンガを読んでいると「倉屋敷さんから電話よ」と母親が部屋に子機を持ってきた。
「もしもし」普段、家の電話で話すことが少ないからか少し緊張する。
「夜にすまない、実は発表のことで言い忘れたことがあったんだ」
発表のタイトルを明日決めたいから考えてきてくれ。端的にそれを伝えると倉屋敷は電話を切った。
公園では色々なことを話した。小学校でのことや、生駒市が大好きな事、将来小説家か漫画家になりたい事。高山は、得体の知れない不思議な存在だった倉屋敷との仲がぐっと近づいたように感じられただけに、用件だけの電話に突き放されたように思えて、なぜか納得がいかなかった。
口を尖らせたまま子機を返しに行って母親から「何の電話?」と聞かれ「学校の発表の事」と返事をしてから、公園で倉屋敷が話していた{塵も積もれば山となる}について聞いてみた。すると、思い他深い意味があるようだったので、増してあの駄菓子屋に行かなければと思った。
部屋に戻って再びベットに寝転がってマンガの続きを読みながら、頭の片隅で「発表にタイトルなんているのかな?先生そんなこと言ってなかったけどなー」などと考えながら、
捲ったページで高山は「これだ!」とひらめきに似た満足感と共に。タイトルが決まった。
正しくはタイトル候補が。
翌日の放課後、図書室で倉屋敷と合流した高山は開口一番「発表のタイトルなんだけどさっ!」そう口調を弾ませて言った。
「考えてきてくれたのか」
A4用紙5枚をホチキスで止めた物をカバンから出しながら倉屋敷は言う。
「プレタポルテってどうかな?」
「プレタポルテか・・・・」
高山の提案を聞いて、倉屋敷は机に視線を落として、少し考えていたようだったが、
「良いと思う。発表のタイトルはそれでいこう」そう言って、机の上に出したコピー用紙の余白に、サインペンで大きく{プレタポルテ}と端正な字で書いた。
書き込む倉屋敷の横顔が心なしか嬉しそうに見えたので、高山は嬉しくなった。