こうしてヒーローは学級委員に謝った
「……」
「……」
金曜日。テスト直前ということもありこの日は丸一日自習、教師も準備のために職員室やらに籠っているので大多数の学生はお喋りに興じているが、俺達はカップルだからといちゃついている余裕は無い。俺達の学校はテストの下位は補習となり貴重な夏休みを奪われてしまう。赤点を回避すればいいとかそんな次元では無いので俺達のようなブランクがある人間は周りが遊んでいる間にどうにかして差を埋めなければいけない。
「数学は……平均取れそう……化学は……うーん……」
「英語全然わかんねぇ……賢そうなやつのノートコピーさせて貰うか。しかしぼっちだから誰が賢いのかがわからないんだよな……」
ファミレスでコピーさせて貰ったノートだけでは真面目に授業を受けてきたクラスメイトと戦うのは難しい。このクラスで一番賢そうな人間は誰だろうかと教室の中をキョロキョロする俺の視線の先では、黒髪ロングヘアーを靡かせた、凛とした少女が黙々と参考書を眺めていた。確かこのクラスの学級委員だ。
「緋村さん、ちょっといいかな」
「……? 何かしら」
「ちょっと英語のノート貸してもらえないかな、すぐコピーして返すからさ」
彼女の席まで向かい声をかけ、怪訝そうにこちらを向く彼女にノートを貸して欲しいとあくまでにこやかに頼み込む。近くの席からは『緋村さん可哀想、あの不良に絡まれて』的な視線を感じるが、自分の悪評でも何でも使うものは使う。それくらい夏休みは奪われたくはないのだ。少し怯えながらもノートを貸してくれる展開を期待していたのだが、目の前の彼女は俺を軽蔑するような目で睨む。
「……皆が真面目に授業を受けてる時にサボって、テスト前にはその成果を横取りしようだなんて、随分都合がいいのね」
そして淡々と反論しようが無い正論を俺に叩き込み、彼女が俺に反抗してくるとは誰も思っていなかったようで教室の空気がざわめく。断られるとは思っていなかったため俺も言葉に詰まり気まずい沈黙が流れる中、気づけば美蘭がニコニコしながら隣に立っていた。
「学級委員さ~ん? 大人しくノートを貸した方が身の為ですよ? 剣道と合気道が得意らしいですけど、私のヒーローさんは拳一つで全てを破壊するんです。女の子だからって手加減なんてしませんよ? 私もヒーローさんの機嫌を損ねるとベッドの上でむーっ」
美蘭は彼女のことが嫌いなのだろうか、いい加減なことを言いながら俺の威を借りて脅しをかけようとする。これ以上事態をややこしくさせない為に美蘭の口を手で塞ぎ、ひとまず目の前の彼女に深々とお辞儀をした。
「いや、緋村さんの言う通りだ、ごめん。俺は自力で頑張るよ。……ただサボってた俺と違って彼女は病気でしばらく学校に来れなかったんだ、俺じゃとてもじゃないが彼女に勉強は教えられない。学級委員なんだろう? 彼女を助けるために、どうかこの通り」
女の子に手をあげる勇気なんて持ち合わせていないし、確かに目の前の彼女は武道家特有の隙の無さを醸し出している。ヒーローになるために筋トレをしたり格闘技を勉強したりはしたが所詮は我流、あの時3人に喧嘩で勝ったのも望んでいたシチュエーションでハイになっていて痛みを忘れていたからであり、目の前の少女にタイマンで勝てるかわからない。美蘭は彼女をボコボコにすることを望んでいそうだが、そもそもそれをしたところで今度は仲良く退学になりかねないので、俺と違って不登校になった理由も知られていない彼女を利用することにした。
「……わかったわ。英語だけでいいの?」
「ぷはっ。……私はヒーローさんと違って英語は得意なんです! 英語以外全部ください!」
俺の誠実さが伝わったようで、緋村さんはカバンからノートを数枚取り出して美蘭に問いかける。俺がノートを借りるために利用されたのが気に食わないらしく、無情にも美蘭は英語以外のノートを持ってコピーを取るために教室を出て行ってしまった。彼女を見送った後、自習を続けるかと席に戻ろうとする俺であったが、緋村さんはそんな俺に英語のノートを差し出してくる。
「……いいの?」
「貴方が補習になったら、補習組が怯えて集中出来なくなるでしょうしね。学級委員としては、それよりは別の誰かを補習にさせる方を選ぶわ」
補習になった方が皆の迷惑だなんて厳しい言葉を頂きながらも、ペコペコと感謝しながら美蘭にバレないようにこっそりコピーを取るのだった。放課後になり、追い込みをかけるために美蘭とファミレスに向かうと、彼女は見せびらかすようにコピーした緋村さんのノートを机に広げる。
「ふふん、ヒーローさんには見せてあげませんよ。私をダシにするし、あの女を殴らないし。一人で補習になってください」
「緋村さんを殴ったら俺は学校に来れなくなってまた美蘭は独りぼっちだよ。……そういえばあの格ゲーのキャラに緋村さんに似てる子がいたけど、ひょっとして嫌いな人って」
「そうですよ、あの女だけは許せません!」
やたらと緋村さんを敵視する彼女に、あの日ゲームセンターでの彼女の発言を思い出す。嫌いな人に似てるキャラがいるという理由で女の子らしくもない格闘ゲームをやり始めた彼女であったが、確かにあのゲームには緋村さんによく似た剣士キャラがいた。余程腹が立っているのか折角取ったノートのコピーを破りそうになる彼女からノートを取り上げ、自然な形で自分も見ながら話を聞くことに。
「何があったのさ。確かに性格きつそうな感じはするけど」
「一年の時も同じクラスだったんですけど、その時から気に食わなかったんですよ。一匹狼って感じで。友達もいませんよ多分」
「クラスメイトにも頼られてるし、部活でも慕われてるみたいだけど……高校に入って対応間違えてぼっちになった美蘭と一緒にしちゃあ可哀想だよ」
「誰の味方なんですかヒーローさんは! しかも、しかもですよ? 私が二年生になって学校来なくなった時に……」
緋村さんはぼっちだと主張する美蘭だが、友達を作らない、と友達を作れないは全然違う。サボり気味ではあり、まともに授業は聞かなかったものの一応大半は学校に来ていたので緋村さんの交友関係もある程度は知っているが、優等生組と楽しそうに喋る光景も、俺と違って真面目に授業は受けていたであろうクラスメイトに勉強を教える光景も見たことがあるし、学級委員としても剣道部員としても周囲に慕われているようだった。陽キャのように親友や友人を作ってはしゃいだり遊びに行ったりしないだけで、孤独の印象は全くない。美蘭以外には感じが悪いと嫌われている訳でも無さそうな彼女に一方的に憎悪を抱く美蘭は、怒りに任せドリンクバーのグラスを握りつぶそうとするが、彼女の握力では手を真っ赤にするだけで終わってしまう。ドン、と机にグラスを置き核心について話そうとしているようなので、真面目に聞こうとノートを読むのを辞めたのだが、
「家に来てくれなかったんですよ!」
「……」
あまりにも意味不明な理由を述べ始めたので、無言でノートに目を通すことにする。
「普通学級委員といったら、クラスメイトが不登校になったら家まで様子を見にくるものですよね!? 私の親戚は1年間学級委員に来て貰ってましたよ! なのにあの女は何もしなかったんです! 内心目的で学級委員になったってことですよ!」
「空想と現実をごっちゃにしてやがる……ようするに、ぼっちだと思ってた緋村さんにシンパシー感じて、不登校になった時に家まで来て話を聞いてもらって、ついでに友達になろうと思ってたら作戦が完全失敗して逆恨みしてるわけだね」
「あんなのと友達になんてなりたくありません! この話は終わり! 勉強に集中です!」
これがもう少しシリアスな理由ならばヒーローとして介入して仲を修復しようという気にもなったが、100対0で美蘭が悪いのでどうすることもできない。可哀想な彼女の思考回路が糖分でどうにかなるように祈りながらパフェを奢り、テスト勉強を続ける。すっかり夜になり高校生はそろそろ追い出される時間帯。そろそろお開きにするかと帰り支度を始める俺であったが彼女は勉強ばかりで気分転換がしたかったようで、
「最後にクイズゲームで勝負です!」
ファミレスの窓から見えるゲームセンターを指さし、俺に挑戦状を叩きつけた。