アントン村7
……口が動いてる! モルンが、猫がしゃべった!
テオはモルンを肩から抱きおろした。
……村の猫はしゃべっていない。往来で猫と話し合うのはまずいか?
テオは急いで家に戻ると、自室の机の上にモルンを下ろした。
「モルン。……しゃべれるのか? 人の言葉が話せるのか?」
「テオ、モルン。ベ、ベ。ブ、ブ」
モルンは、まるで発声を確かめているようにいろいろな音、言葉を口にする。
「テ、テオ。テオ、ボクは、しゃべれ、るよ」
モルンが、そう言ってうなずいく。
「声を真似しているだけじゃなくて、意味もわかるの?」
「モルン、ボクのなまえはモルンだよ、っていったでしょ。いみも、わかる。テオのなまえはテオ。ブリばあさんにチプリノ。ちょっとこわい、ガエタノが、かぞく」
「うーん、猫が、動物が話している記憶はないな。……でも、しゃべる生き物の記憶は、人間以外の記憶が、ある。なぜ、モルンはしゃべれるようになったんだろう。やっぱりあの時の魔法かな」
モルンが小首をかしげた。
「テオはボクのなかにもいる。いた? ほかのねこもいる。テオじゃないヒトも。いきものじゃないヒトも」
「やっぱり融合か。僕が譲った魔力と一緒に、別な存在も譲ったのか」
「ボクといっしょになってきたから、べつになっていないよ。モルンはモルンひとり」
それからモルンが疲れて昼寝するまで、二人でおしゃべりをした。
……しゃべれるモルン。しゃべる猫。珍しい猫。見世物。標本。実験。解剖。あまり人に知られないほうがいいのか。ガエタノに相談すべきか。
その日の夕食時、モルンは一言もしゃべらなかった。ほぐされた魚を食べ、満足そうに「ニャ」と鳴いて前足で口の周りをキレイにするだけだった。
ガエタノの書斎で融合についての話をする時になっても、テオはモルンのことを話すべきか決めかねていた。
「今夜は話ではなく、少し違ったことをする。そこの寝椅子に横になりなさい」
テオが部屋の隅に置かれた長椅子に横になると、モルンが胸に乗ってきた。ゴロゴロといいながら足を体の下に折りたたむ。
「これからすることは少し複雑な魔法だ。人の心に魔法をかける。精神魔法と呼ばれるものだ。使い手はかなり限られる。テオの心に分け入り、そこにあるものを確認する魔法と言っていいだろう」
「僕の心にですか?」
「ああ、おまえの心に、テオと誰がいるのかが確認できるかもしれん。ちょうどいい、胸の上のモルンを見つめて、心を静かにするように」
「はい」
ガエタノがテオの額に手をかざした。
「心が落ち着いたら目を閉じて、ゆっくり呼吸をしなさい。長く吸って細く長く息を吐いて」
ガエタノは、テオの呼吸が規則的になったのを見届けて、詠唱をして質問を始めた。
「そこにいるあなたは誰ですか?」
「……テオ」
「テオと一緒にいる、あなたは誰ですか?」
「テオ。僕。私……私は、俺は……誰だろう? ああ、テオと一緒になったんだ。融合したんだな」
「……」
「そうか、死んだのかもしれない。私は死んだのだろうか?」
「あなたはどこの国の人ですか?」
「どこの国? 私の国?」
『ガエタノよ。我を呼びし、魔術師ガエタノよ』
テオの口からそれまでとは全くちがった、太く低い声がする。
「べ、別の声?」
『我らはそなたが呼び出したもの。なぜかは我らにもわからぬが、我らは、テオと一つとなっていく。我らは、我ら全てがテオとなる』
「テ、テオはそこに、無事でいるのですか? 死んだのではないんでしょうね!」
『テオはいる。ここで我らと生きている。傷ついたその心を、我らが護っている。もうまもなくひとつになる。ひとつになってテオとして生きていく』
「あなたは、何者なのですか?」
『我らは、風。空を翔るもの。地を駆けるもの。海をいくもの。闇に生きるもの。我らは光。全ての存在の幸せを祈るもの』
「……」
「ニャア」
テオの胸の上でモルンが声をだす。
『そう、おまえの言う通りだ、モルン。我らの分身よ。我らは共に生きてゆくのだ』
「モルンも?」
『魔術師ガエタノよ、案ずるな。テオを信じよ。そなたの愛した友の子、テオを信じよ』
「どうしてそれを……」
『そなたが我らを呼んだ時に、そなたとも少し混じった。我らはもうまもなくテオとなる。願わくは我らを、テオを愛してほしい。誰もが、この世の全てが、それを求めてやまぬのだから』
「……」
テオが目を開けたとき、ガエタノは片手で目を覆っていた。
「ガエタノ、どうでした?」
ガエタノは顔から手を放し、ゆっくりとテオとモルンをみた。
「テオ、どこまで憶えている?」
「……ゆっくり呼吸しなさいと言われて、そこからは憶えていない」
モルンは、テオの胸の上で両前足を伸ばす。片足ずつ指を広げては閉じる、胸を押して揉んでいるようなしぐさをする。ゴロゴロと喉を鳴らした。
「モルン。あ、痛っ! モルンってば、もう。痛っ! 爪は立てないで」
「ふふふ、ははは。テオよ、どうやら、あまり心配しなくても良いような気がしてきた。精神魔法はここまでとしよう」
「ガエタノ。その、モルンなんだけど」
「ん?」
胸の上で揉んでいるモルンの動きに顔をひきつらせて、テオが報告した。
「実は、モルンが、言葉をしゃべるようになったんです」
モルンがピタッと動きを止めて、そーっとガエタノを見上げた。
「言葉をしゃべる? 人の言葉を話すのか?」
「ええ」
「言葉を話すか。そうか。テオ、おまえの中にいる存在がモルンに言っていた。モルンはテオの分身だと。共に生きていく分身だとな。なれば、言葉を話してもおかしくはないだろうな」
「僕の分身?」
「まあ、テオとモルンは、いわば兄弟ってことだな。もうすぐおまえの中の存在は一つに、テオになると言っていた。自分のなかで別の存在という感覚はなくなるのだろう」
「ボクとテオは、きょうだい。そういうことなんだね」
モルンを見て、ガエタノは目をむいた。
「本当に言葉を話しているな。喉の構造はどうなっているのか」
「しってるよ。『せいたい』というのでしょ。なかのソンザイがたすけてくれたんだよ」
モルンがガエタノの疑問に答える。
「助けた? ふーむ。面白い」
「ガエタノ、モルンが話せることは、他の人に教えても大丈夫かな?」
「そうだな、大丈夫だろう。テオ、おまえは自分が村で、何と呼ばれているか知っているのか?」
「僕が?」
「ああ、おまえがだ。奇跡の子。みんなそう呼んでいる。丸焦げになった猫を生き返らせた、とな」
「は?」
「だから、おまえが話のできる猫を連れていても、害は受けないだろう。好奇の目で見られはしてもな。おまえの機嫌を損ねたら、いざという時に奇跡を使ってもらえないからな。治してもらいたいなどの願いは、私と村ノ長でおさえている。だが」
テオは、ガエタノの続きをまつ。
「アントン村には教会がない。領主が、アントン村に置かせていない。もし、よその街や領地で教会に知られれば、問題になるかもしれん」
「教会に?」
「ああ、勝手な理屈をつけて騒ぐ奴らだからな。それよりもさっきのことだが」
ガエタノは、存在たちとどんな会話がされたのか、詳しく語って聞かせた。
「その存在たちの正体については調べてはみるが、混じり合ってしまえばわからなくなるだろう。悪いものではなさそうだが、気をつけていることにしよう」
その日から、モルンも魔法の訓練を始めた。ふたりの間で質問や感想が飛び交い、にぎやかな訓練になる。
「この赤珠なら大きさは同じくらいかな」
「うん。じゃあ競争、競争」
「よし! どっちが速くこの五個に充填できるか! よーい。始め!」
「ボクの勝ちー!」
「いや! 僕だよ! 僕の方が速かった! 僕の勝ち!」
「ボクだよー!」
「僕! じゃ、もう一回! 今度は吸収して充填! よーい、始め!」
チプリノに手伝ってもらい、庭に訓練場を作った。
裏山に続く斜面をけずり、攻撃魔法の的として木の杭を立てる。もう使わなくなった樽や桶、木箱、石板を積みあげたり、立てかけたりする。
モルンが、前足をあげて、石板の的に向けて火炎弾を放つ。的に当たると大きく爆発した。
「ねえモルン。モルンの火炎弾は派手に爆発するね」
「いいでしょー! おっきな爆発―! あの火事のかたきうちー! でっかい火でかたきうちー!」
「いや、モルンさん、よくわからんのですが。でもね、僕は火炎弾なら温度が高い方がいいと思うんだけど」
テオが手を向けて放った火炎弾は大きく爆発はしなかったが、的の石を赤く溶かした。
「ええー。やっぱり大きな爆発!」
「でも、威力は、温度が高いほうが大きいはず!」
「そうだろうけど。ん? あ、ねえテオ。ボクが『どーん』って爆発させて注意を引いて、テオの高い温度で相手をやっつけるってのは?」
「注意を引いて? あ、煙幕に使えるかな。よし同時に撃とう!」
的が爆発と着弾で小刻みにゆれた。
「もっと工夫できそうだね。二人で攻撃する方法をいろいろ試してみようよ」
「うんうん、二人でいっしょに!」
数日経つうちに、ブリ婆さんもチプリノも、モルンが言葉を話していることに慣れてきた。
「ねえ、ねえ、ブリ婆さん。今夜のお魚、美味しかった! あんまり塩辛くなかった!」
「そうかい、ありがとね。モルン用に少し長く塩抜きしたからね。明日はこれでパイを焼こうかね」
「やったー! ボク、パイ大好きー!」
テオは、ブリ婆さんと話しているモルンを見てほほ笑んだ。
テオとモルンが、笑い合って村の道を歩いていく。
ふたりを見た人々は、最初はどこが変なのか気がつかなかった。モルンが「こんにちは」とあいさつすると、驚いた顔を貼り付けたまま同じように固まった。
「あ、ベッティだー! こんにちはー!」
ベッティは、テオのあたりからした聞き慣れない声に、キョトンと立ち止まった。
「あ、ああ、テオ、こんにちは」
「こんにちはベッティ。農場にお手伝い?」
「う、うん」
ベッティは横目でモルンをみる。
「こ、こんにちは、モルン。元気?」
「うん、元気だよー! 今日はお天気だから、農場は気持ちよさそうだねー!」
「え? え? ええっー! モ、モルンがお話してる!」
「うん、ボク、しゃべれるように練習したんだ!」
「うーん、かわいい!」
ベッティは手を伸ばして、モルンのあごの下をかいた。
「ベッティのほうが、かわいいよ。今日も笑顔がとってもステキだね」
モルンが伸ばされたベッティの手を、前足の肉球でポンポンしてほめる。
「ありがとー! うれしー! ちょっと、テオ。モルンを見習って、あんたもこれくらい言いなさいよ」
「え?」
テオが目をパチクリさせた。
「うーん、モルンかわいい!」
この日から、ベッティは会うたびに、いつまでもモルンとおしゃべりをするようになった。
ドゥーエたちも驚いた。
「ねえねえ、モルン。ミーアの子供たちがなんて言っているのか、教えてくれる?」
「うん、いいよ」
しばらくモルンと子猫たちが「ニャア」「ニャア」会話して、ドゥーエに答えた。
「あのね、お魚はきらいじゃないけど、お魚よりお肉を食べたいって。お腹いっぱいお肉を食べたいんだって。それと、ほぞん肉は、もっと塩辛くないようにしてって」
「え? ええ、わ、わかったわ」
ドゥーエの笑顔がひきつったものになった。
ガエタノから、そろそろ商隊が来る頃合いだと聞いた二日後のことだった。自室で充填と吸収の訓練をしている時に、急にモルンが顔をあげた。
「変だ! なんか変だ!」
「どうしたモルン?」
モルンは自分用の扉から飛びだしていった。
「モルン!」
テオが追いかけて玄関までくると、モルンが村の北を見つめ、二本足で立ち上がっていた。
「いるっ! いるよっ!」
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