アントン村6
魔物避け、魔法結界の魔道具。
その管理について書斎でガエタノから教えを受けた。ガエタノは新しい羊皮紙の束をテオに渡し、筆記用具を用意させた。
「テオ、なぜ魔法を学びたいと思った?」
「なぜ? あまり深く考えたことはありません。役に立ちそうだ、面白そうだと……いえ、役に立つ事を知っています。とても興味深いことも知っています。だから学びたいです」
「ふむ。どうやらおまえとはいろいろ話をする時間も作らねばならんようだ。そうだな、毎日夕食後に話しをするとしよう。さて、おまえの両親は魔術師だった」
「はい」
「ふたりとも優秀な魔術師だった。おまえにも魔術師の才能がある。持って生まれたものに加えて、特異な状態にあるからな。魔術師になるのに十分な魔力の量がある」
「魔力の量、ですか? 自分ではどのくらいの量があるかわかりません」
「量は訓練でだんだんわかってくる。それとお前の両親の話は……もう少し待ってくれ。両親の才能を受けつぎ、さらに召喚魔法で何かと一緒になったおまえは、魔術師になるべきだ。生きていくには食わなくてはならん。モルンにも食わせねばな」
モルンはテオの横で、おとなしく話を聞いている。
「人は皆、働かなくてはならん。食い扶持を稼ぐためにな。魔術師になれば、おまえなら食っていくのに困らんだろう。だが、魔術師には義務がともなう。人々を守るのが魔術師の第一の義務だ」
「人々を守るのですか」
「ああ、そうだ。それが義務だ。おのれの才能を生かす喜びでもある」
テオは黙ってうなずいた。
「魔法結界の魔道具は、アントン村の生命線だ。魔物の侵入を許せば死者がでる。アントン村の漁業、塩業、農業が立ち行かなくなり、いずれは滅ぶ。それを防ぐのが私、魔術師ガエタノの務めだ」
「アントン村には中央に村全体を守る一番大きな結界魔道具が置かれている。広場の塔だな。南と西には、その次に大きな魔道具が置かれている。南と西は山と森、もっと先は未開の森につながり、そこには多くの魔物がいる」
テオはガエタノの説明を書きとめた。
「北の魔道具は塩田を守る。漁師たちを守るのは、小舟につけた魔道具と漁師ひとりに一つ小さいものを持たせている。それぞれの赤珠の管理、魔力の充填と交換が魔術師の仕事だ。魔力が切れていないかを毎日確認させるのは、長の責任だ。村ノ長、漁師ノ長、農ノ長、塩ノ長だな。それぞれの配下が日に一度は確認する」
モルンは、テオが書く様子を熱心に見ていた。
……書いているペンに飛びかかってくるかな。手を出さないでね。
「魔道具が正常に作動しているかどうかを、五日から十日ごとに確認する。不具合があれば予備の魔道具と交換し、修理できるものは修理する。手に負えないものは、領主に報告して交換させる」
モルンは飛びかかるのではなく、テオのすぐ横に座りなおした。書いたものが見える位置に移動したように思えた。
その後もガエタノから、誰が何をしているのかの説明が続く。
「最後に、重要な点だ。村人とあまり親しくなるな。彼らは、結界魔道具が自分たちの命を守っていることを忘れがちだ。魔物は、小さいものが荷物に混じって入ってきたりする。だが、それも年に一度あるかないかだ。守られすぎている。魔道具の確認と赤珠の交換を忘れてしまう。その時は、魔術師が命令を出して、罰を与えなくてはならない。親しくなりすぎると命令を聞かぬようになる。魔術師の命令は、領主と国からの命令なのだ。ほどほどの距離感をたもて」
そこまで話すと、ガエタノはテオの書いた羊皮紙を確認した。
「ふむ。語彙も理解力も要点のまとめ方も、悪くない」
そう言って羊皮紙から視線を移して、テオをじっと見つめた。
「まるで、どこかで教育を受けたことがあるように思える。魔術師ノ工舎の徒弟よりも、よほど程度がいい」
……そうなのだろうか? だんだん存在の境界がわからなくなっている。大人だった記憶もあるような。人間じゃない、記憶も?
ガエタノから赤珠への充填に速度を要求された。
「充填の魔道具並みに速くなれ。何かあった時に、緊急に赤珠に魔力を充填できるようにな」
その日から魔法書を読みながら空いている手で、常に充填と吸収の訓練をするようになった。
テオを眺めているか、膝の上で寝ているかだったモルンが、魔法書を一緒に読むように机に座ってきた。テオがページをめくろうとすると小さな前足が押さえ、先に進ませてもらえない。
モルンは魔法書を見ながら低くゴロゴロと喉を鳴らす。時折「ミー」と「ニャー」と「ガァ」が混じったような「ミギャ」という変な声を出している。
……ふふ、自分も勉強に参加しているつもりかな。
モルンの様子が、魔力充填と吸収の訓練でも違ってきた。いままでは小さい赤珠を転がして遊んでいたのが、赤珠に前足の肉球をのせたままでじっとしている。
「どうしたモルン。僕のまねかい」
「ミギャ」
黒い赤珠が、うっすらと赤くなった。
「え?」
モルンがテオを見上げて小首をかしげた。そのままでいると赤珠が黒くなった。
「ミギャ」
「……できるのか?」
モルンは赤珠にのせていた肉球を、てしてしと舐めた。テオは慌ててモルンを抱き上げて、ガエタノの書斎にいった。
「ガエタノ! モルンが充填と吸収をした!」
「なにを言ってる」
ガエタノは書き物の手を止めた。
テオはモルンを机に下ろし、赤珠を目の前に置いた。
モルンは赤珠の匂いを嗅いでまたぐと、前足で砂をかける動作をした。「ニャー」と声を出し「なにか?」というようにテオを見上げた。
「テオ。どうしたんだ?」
「モルンが、この子が赤珠に手をかけて、赤珠に魔力充填したんだ! すぐに吸収して赤珠は黒くなった!」
「ニャー」
「この子猫がか?」
「モルン、もう一度やってみて」
そう言われたモルンは、テオが自分の前に置いた赤珠を、前足でちょいちょいと突っついた。コロッと転がった赤珠に、おしりを振って飛びかかる。
「テオ?」
「さっきは確かに充填したんです! 吸収も!」
「……」
モルンは赤珠を前足で転がして、机から落とした。次はガエタノの書いていた羊皮紙の下に何かがいると、覗きこんでお尻をふる。ガエタノが不思議そうに見ていると、羊皮紙の下に飛び込んでいった。
「あ! こら! テオ! この子を連れていきなさい!」
ガエタノが、モルンの上から慌てて羊皮紙を取り上げ、テオをにらんだ。テオはモルンを抱きあげて、退散した。
部屋に戻るとモルンを机の上に下ろす。テオは、椅子に腰掛けて大きくため息をついた。
「ニャ」
モルンは机の上でテオを見て鳴く。テオが黒い赤珠を、前足が届くところにおいた。
「モルン、もう一度やってみせてよ」
肉球を赤珠にのせて、テオを見つめる。
「ミギャ」
赤珠はほんのり赤くなった。ガエタノのところに戻ろうとして腰を浮かせたが、思いとどまった。
「ふー。どうしてそれをしなかったのかな」
「ニャ」
「他の人には知られたくないのかな」
「ミギャ」
また、赤珠を明滅させた。
……考えられるのは、火事場での治癒だろうな。ガエタノは、目の色のことは「わからん」とだけだったけど。あの時、僕の魔力で治したことが、テオとの融合に似たものだったとしたら。僕とモルンが融合した、そう考えればモルンの様子に納得がいく。ドゥーエとセッテ、ミーアと子猫たちはどうだろう?
それから一緒に魔法書を読み、一緒に充填と吸収の訓練をした。机の上に出ている最初に読んだ魔法書を、前足で押さえ「ニャン」というので、復習を兼ねて再読する。
穀物粉に水と塩を加えて練る。三日ほど熟成させ、細切りにして茹でる。
保存肉と根菜でスープを作り、茹でた細切りを入れてさらに煮込む。仕上げに削った羊乳のチーズをたっぷりかける。
アントン村特産、小魚のオレア油漬けが味の決め手だ。これがブリ婆さんの自慢料理。
お昼にブリ婆さんの自慢料理を、モルンと仲良く食べた。
食べ終えると、ガエタノに外出するとことわって、ドゥーエを訪ねた。ドゥーエはお使いでいなかったので、母親にその後の様子を聞いてみる。
「もともとミーアはおとなしくて、かしこい子だったけど、火事からはもっと賢くなった気がするのよ。今もテオとモルンがくるちょっと前から、玄関の戸の前で待ってたわ」
ドゥーエの母親が答えてくれた。ドゥーエとセッテ、他の子猫たちには別段おかしなところはないという。モルンが、子猫たちと遊んでいるのを見ていて気がついた。
「他の子は、もう大きくなってきたんだね。モルンはあまり変わってないけど」
「あら、そうね。みんなよく食べ、よく寝て、よく遊ぶ。元気な子たちよ。ドゥーエもセッテもね」
「よかった。また、様子を聞きに来ますね。あ、そうそう。ドゥーエが、夢にうなされるとかない? セッテがぐずりやすくなったとか?」
「ううん、ドゥーエもセッテも元気いっぱいよ。どうして?」
「火事とか、悪い事があったあとは、具合が悪くなることがあるんです。急に火事のことを思い出して怖くなったりとか。お母さんとお父さんもドゥーエとセッテを心配したことで心に傷をうけているかもしれません」
「心に傷? 思い出すとドキドキするけど気分が悪くなるとかはないわね。新しい家のことで手いっぱいね」
「できるだけ家族一緒にすごして、もう安心なんだ、もう大丈夫なんだと話し合ってください。火傷は治せたけど、心の傷は家族が注意しなくてはいけません」
ドゥーエの家を出ると、モルンが服から這いだしてきて、テオの肩の上にのった。テオに顔をこすりつけた。
「ふふ、甘えてるのか?」
「ミギャ」
モルンが小さく鳴く。
それからしばらくは「ギャ」とか「グッ」、「アー」、「オオン」などと、声をだす。
「どうしたモルン、変な声だな。喉に骨が引っかかってる? お昼に大きな魚は出なかったはずだけど。大丈夫か?」
テオは肩の上のモルンの背中をトントンと軽く叩いた。
「グッ、ケェ、オッ、ケッ、ケェ、ケェオ……」
「急いで帰ろう。走るから肩から下りてこい、ほら」
テオは、手を差し伸べてモルンを肩から下ろそうとした。
「テオ」
「え?」
「テオ、テオ」
耳もとでした声に、テオはモルンを見ようと首をまわした。
「もう一度言ってごらん、モルン」
「テオ。モ、モル、モルン」
お読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、感想、評価、ブックマークをお願いします。
励みになります、よろしくお願いいたします。
※「カクヨム」「アルファポリス」にも投稿しています。