アントン村2
テオは、殴られた顔が腫れて、熱をだした。ブリ婆さんが、羊乳の入ったかゆを作って世話をしてくれた。その日は寝台からでることをとめられた。
翌日、テオはガエタノから書斎によばれた。
テオは、まるで初めて書斎にはいったかのように、置かれている調度品や道具類、書棚の本をながめる。
「おまえは魔法陣の横で倒れていた。なにをした?」
昨日の激高した様子とはちがい静かなガエタノの問いに、テオは姿勢を正してこたえた。
「地下室のすみにかくれて、ガエタノが魔法を使うのを、のぞいていました」
「それで、自分でも試してみたか。魔法書を詠唱したんだな。読み書きはだいぶ前に少し教えただけのはずだ」
「はい。本当は、あの本が読めたわけではないです。ガエタノがとなえていたことを真似しました」
「あれがどんな魔法かわかっているのか?」
「なにかを呼ぶ魔法だと。前に盗み聞きしたガエタノの独り言から、そう思いました。おかあさんを呼べないかと思いました」
「おまえ、話し方が変わったな。髪の色が明るい茶色になり、目の色は濃い茶色だったのが、灰色、黄色、青色。左右が違っているように見える。テオ。テオドロス。おまえは、本当にテオドロスか?」
「ゆうべ、僕は、なにかと一緒になりました。あわさった。そう、なにかと融合しました」
「融合? 『融合』という言葉はどこからでてきた?」
「言葉? そうかテオの知らない言葉か。『融合』、僕の中で何かがあわさり、そこからでてきた言葉。たぶんそういうことだと思います」
「……」
「僕には、僕を、テオを他人と、自分ではない存在と、考えている部分があります」
ガエタノは片眉をあげ、いきなり立ちあがり書棚にむかう。何冊かの本を手に取り開いたあとで、じっと天井を見上げる。その間テオは静かに立っていた。
「実体化ではなく依り代か。必要だったのは依り代なのか。結局、まったくの失敗ではなかったのか」
ガエタノは天井からテオに目を移してつぶやき、その後、幾つもの質問をした。
ガエタノが納得するまで質問に答えたあとで、テオが願いを口にした。
「ガエタノ、僕に魔法を教えてください。お願いします」
「ふん、いいだろう。もとから、おまえには魔法を教えるつもりだった。だが、おまえは悪たれ小僧で、勉強を放りだして、ちっとも家にいない。夜に帰ってくれば、すぐに寝てしまう。おまえの父も母も魔術師だ。いまいましいが、才能はあるはず。読み書きと一緒に魔法を教えることにする」
「ありがとうございます」
ガエタノは書棚から本を抜き出し、羊皮紙の束と筆記用具とともにテオに手わたす。
「この魔法書を読め。わからない言葉は羊皮紙に書きだせ」
その日から、テオの、魔術師としての訓練が始まった。
翌朝、テオは、ブリ婆さんが用意した朝食、羊乳と卵が入った穀物かゆを食べ終えると、村に用があると家をでた。
アントン村は南北に細長い。東側が海に面している。
北は低い岩山と森が連なり、街道が通っている。西と南側は直ぐに険しい山。
東の海岸沿い、崖の隙間にある低い岩場と砂浜に、塩田がある。砂浜は、作業小屋が建てられ、小舟を引き上げられるようにもなっている。砂浜から低い丘に向けて家々と農地、放牧地が続いている。
ガエタノの家は、村の一番高いところに建てられていた。
テオは、坂をくだり一番近い家の前で足をとめた。家の戸口でためらっていると、いきなり肩をつかまれて、体がまわされる。
パンッ!
テオの頬が、ぶたれて大きな音がした。
「えっ?」
「えっ? ええっー!」
……ああ、ベッティ。
少女が、叩いた自分の手とテオの顔を交互に見ている。
「テオ、その顔。あたし?」
「ベッティ。あ、ああ、この顔か。はれてひどいのは君が叩いたからじゃないよ。ガエタノにしかられたんだ。でも、いきなり叩かれるとは」
ベッティが驚くのも無理はなかった。テオのまぶたも頬も唇も、赤黒いあざになり、ひどくはれている。
「しかられた……テオ、あんた、かあさんに抱きついたでしょ。おかげでしぼった乳を落として台無しになったの。あんたの悪さのおかげで、ひどい事になったのよ」
「ああ、そうだった。ごめんなさい。もうしません」
「え?」
「あやまります。ごめんなさい」
「ど、どうしたの? テオがあやまるなんて、気持ちわるい」
叩いて乱れた栗色の髪をかきあげて、テオを見下ろした。
……ほんとにみんなに迷惑かけてたんだな。
少女は、赤ん坊のテオに乳をくれたダーリアの娘、乳姉弟ベッティーナ。
「うらやましかったんだ。ダーリアのような、あんなやさしいかあさんがいるベッティが、うらやましかった。本当の弟ならいいのにと」
「……テオ。……髪とその目。テオよね?」
「うん、テオだよ。うーん、上手くいえないけど、僕は少し変わったんだ。もうみんなに迷惑をかけるようなことはしない。これからみんなのところにいくところ。許してもらえないのはわかってるけど、もうしないと話にいく」
「……」
ベッティの家の扉をたたき、ダーリアにこれまでかけた迷惑をあやまった。
「テオ、あんたその顔!」
ダーリアはテオの顔を見ておどろき、ガエタノをせめた。テオは、自分が悪かったんだ、もう殴られるようなことはしないからと、笑顔をみせた。
そこから海までの家を一軒一軒、話してまわった。ほとんどの家では、テオの顔を見ると直ぐに戸が閉ざされる。外から大声で思っていることを伝えたが、反応はなかった。
浜までおりる間に出会った子供たちと話して、もう二度といじめないと約束する。子供たちはみんな怯えた目で、納得のいかない顔をしていた。
浜にいた漁師のおかみさんたち、早く戻った漁師たちとも話をした。
ガエタノの家から浜までの間に、気になる視線がテオに向けられていた。
家々や通りの陰から、じっとテオを見つめ、うしろをついてくる視線。浜での話を終えて振り返ると、村じゅうの猫たちが、遠巻きに見つめていた。
テオは猫たちの中でも一番大きな猫、村のみんなが親しみを込めて「親方」と呼ぶ雄のキジトラ白の猫に近づいた。
「親方。みんな。いたずらしてごめんなさい。もう嫌なことはしないと約束します」
親方をはじめ猫たちは、じっとテオを見つめているが、尻尾はふくらんでいない。
その日から村のどこにいっても、テオを見つめる猫の視線と目があうようになった。
家に戻り、魔法書の続きを読んでいると、ガエタノに呼ばれた。書斎に入ると、追加の魔法書とともに、楕円の木板を渡される。
「それは魔力を赤珠に充填する魔道具だ。この袋にはいっているのが赤珠だ。魔物の体内で、まれに生みだされる魔力の塊だ」
袋の中から指先ほどの大きさの黒い石を取りだす。
「この赤珠は魔力を蓄えるのに使う。黒いこれはいまは魔力が空だ。この板のくぼみに置いて、横の金属に手をのせて、自分の魔力を流す」
ガエタノがやってみせてくれた。赤珠は黒から赤に色が変わる。
「これで充填は終わりだ。色が変わった赤珠から、吸収すれば魔力は戻ってくる」
板の上の赤珠が黒くなった。
「魔力の吸収は、おまえの両親と私にしか出来なかった。あのふたりの子ならおまえにもできるかもしれん。魔力を流し吸収する。繰り返し訓練すれば、自分の魔力量が増やせる。魔法は何よりも魔力量が重要だ。いつも訓練しろ」
部屋に戻り、赤珠に魔力を充填する訓練を始めた。最初は上手く出来なかった。自分の中にある魔力が、感じとれない。
ふと、あの夜、魔法陣を使ったあの時、右手が光って何かが流れたことを思い出した。
……あれが魔力か。いや、他にも魔力を使った記憶がある。テオの記憶じゃない?
右手の記憶を手がかりに、体の魔力が感じ取れないか、手や指を動かす。そのうちに体の中に、どこか深いところに、なにかがあるような気がしてきた。
ブリ婆さんの夕食に呼ぶ声も聞こえずに、訓練に集中した。
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