アントン村1
ほらほら 猫がいくよ
しっぽをたてて 猫のお嬢さまがいくよ
大きなお耳に長いしっぽ 白いステキな毛なみ
猫のお嬢さまがいくよ
踊るように歩いていくよ 飛びはねていくよ
さあさ いっしょに いっしょに 踊ろ 踊ろ
猫と いっしょに いっしょに 踊ろ 踊ろ
「猫のお嬢さま」 イゼルニア民謡
テオが憶えている母の記憶は、「温かいものからはなされた」という、かすかなもの。
父親のことは、まったく記憶にない。
いくつの時だったのか、世話をしてくれるブリ婆さんに「ブリ婆さんがおかあさんなの?」とたずねたが、テオの父も母も死んだと教えられた。幼すぎて死とはなにかわからなかった。自分は連れていってもらえなかったと思っている。
家から外にでられる歳になると、まわりの子供たちと遊ぶようになった。子供たちには、自分たちの両親や兄弟姉妹がそばにいた。
テオは、彼らから自分も同じように笑顔を向けられると思ったが、冷たく追いはらわれた。
家族に向ける子供たちの笑顔を見るたびに、テオの胸を鋭い刃がつきさす。その痛みのままに、他の子供たちを泣かせた。それが、寂しさの裏返しなのだとは、理解できるはずもない。
村の子供たちをいじめ、テオに叩かれるのを怖がった子をしたがえた。テオは、村じゅうでいたずらをした。
漁業と塩業、農業の村、アントン。その村に数多く住みついている猫たちに水をかけ、追いまわした。猫たちは、テオに気づくと尻尾をふくらませて近づかなくなった。
牛や羊たちにも、乳をださなくなるほどひどいいたずらをした。村共同の食料を面白半分にくすねた。捕まって、漁師や農場の働き手からひどく殴られるのが日常になった。
テオが村人に冷たくされる原因は、一緒に暮らす魔術師ガエタノのせいでもあった。
ガエタノはアントン村の結界を管理する魔術師。漁業でも塩業でも農業でも、ガエタノが管理する、魔物よけの結界がなければ成りたたない。村人からは、尊敬され感謝されてもおかしくない。だが、嫌われていた。
魔術師ガエタノは、村の共同体に積極的に加わらなかった。
ガエタノは、自分たち村人を見下している。
何かあるごとに、自分たちの感謝を必ずもとめる。
結界以外の魔法、治癒魔法などに法外な支払いをもとめる。
魔術師であることを鼻にかけていると、村人の多くがそう考えていた。
結界の管理に対する報酬は、遠くに住む領主から支払われる。
生活に必要な村での買い物には、きちんと支払いをしている。さんざん値切ったあとでだが。
テオは、村人から魔術師ガエタノの身内、同類と見られ、はじめからのけ者だった。
魔術師ガエタノの家、その仄暗い地下室。
胸が悪くなる獣脂ろうそくの臭いがよどんでいた。ほかの匂いも混じっている。さまざまな薬草の匂い。濡れた毛皮の匂い。わずかに混じる、血の匂い。
部屋の床には、細かな文字と複雑な模様で描かれた魔法陣が淡い光を放っていた。
ガエタノが、暗い色の古びたローブを身にまとい、魔法陣の縁にたっていた。秀でた額から汗が吹きだし、白いものが交じる長いひげも汗でよれていた。
左腕に分厚い大判の書物を広げて持ち、右の手のひらを魔法陣に向けて広げている。書物に目をやりながら、低い声でなにかをとなえた。
やがて魔法陣の光が増し、ガエタノの声が大きくなる。
「来たれ。我が呼びかけに応えよ。我が命に従いて来たれ。来たりて我に仕えよ!」
右手が光を発し、魔法陣の光が強まる。しかし、すぐに瞬いて消えてしまった。臭い煙を上げる獣脂ろうそくのうす暗い明かりだけが部屋にのこった。
「クッ! だめか」
光のさった部屋で、ガエタノは荒い息をしてガックリと膝をついた。
左腕の書物を床におき、両腕で自らの体を抱きしめてうずくまる。
しばらくして息が整うと、ゆっくりと立ちあがり、よろけるような足取りで部屋をでていった。
小さな人影が、置かれている木箱と樽の陰からでてきた。人影はしばらく部屋の扉をうかがい、ひとつうなずいて、床に広げられた書物に近づく。
揺らめくわずかな明かりが照らすその姿は、幼い少年、テオだった。
書物の前に膝をつき、テオは右手を魔法陣にむける。左手の指で書物の文字を追い、たどたどしく小さな声でとなえだした。魔法陣に光が戻り右手に光が浮かぶと、少し声が大きくなる。
「来たれ。我が呼びかけに応えよ。我が」
右手の光が急に大きくなる。その光は流れとなって、魔法陣の中心に勢いよく吸い込まれていく。
「あっ!」
小さく驚きの声を出し、光の流出を止めようと左手で右手をにぎったが、光の流出は止まらない。
ヴォンッ!
音とともに流出が終わり、テオは床にたおれこんだ。
魔法陣の光は消え、再び獣脂ろうそくの明かりだけがのこった。
どこともわからない場所。
幾つかの光がゆっくりとぶつかり、ひとつになる。
テオの意識が、さけんでいた。
「くそっ。くそっ。アイツのせいだ。くるしい。いやだ」
テオの意識と溶け合うように別の、複数の意識がたずねた。
『あなたはだれですか?』
『何者だ?』
『何がおきた?』
別の意識たちは、テオにそう問いかけた。
「僕は悪くない。みんなが悪い」
『聞こえますか? あなたは誰ですか?』
「さむい。いたい。もういやだ。僕は悪くない。アイツが、みんなが、悪い」
『男の子?』
『幼いのか?』
『思いがはいってくる。感情が、意識が混じりあってくる』
『テオ。テオドロスというのか』
「僕は悪くない。くそっ、もっとみんなをいじめてやる。みっともなく泣け。逆らうな。いつも僕を見ろ。みんな僕を見ろ。僕だけを見て、いうことをきけ」
『くっ、手に負えない子なのか』
『テオ、落ち着いて。聞こえてる?』
「なぜ。なぜ。僕はひとりなの。ひとりにしないで。どこにいるの。おかあさん!」
『テオ、テオドロス、落ち着いて』
『母親の記憶? だが、はっきりしない。ぬくもりもうすい』
「おかあさん、やわらかくて、あたたかいおかあさん。うらやましい。ねたましい。気にいらない。ほしい。ほしい。おかあさん、僕をみて……」
テオの意識が薄れ、感じられなくなった。
『おい、テオ? まだ、そこにいるようだが』
『心を、閉ざした?』
別の意識たちは、テオの意識と記憶が、深いところに沈んでいることに気がついた。
『何がおきたんだ?』
『どうなったんだ?』
『私はだれだ?』
『俺はだれだ? テオ? 夢?』
びっしょりと寝汗をかいて、寝苦しさに目がさめる。顔が誰かにぬぐわれる。ハッとして目をひらく。何度かまばたきをして焦点が定まり、見えたのは、しわ深い顔だった。無表情な顔だが、その目は優しげに見えた。
「あ、え?」
「ふん、目がさめたかい。ほら、着替えな。びしょぬれだ」
「あ、ああ」
ブリ婆さんは、汗をかいたテオの体を布でていねいにふき、着替えさせてくれた。
「まったくもう、こんなに汗かいて。どこが悪いのかね。テオは手間がかかってしょうがない」
着替えの間ずっと、ぶちぶちと小言をいいつづけた。
「お手間をかけさせて、すみません」
そうあやまると、老婆は驚いて不思議そうに顔をのぞきこんだ。
……ん? テオ? 私はテオ? 俺はテオ? 僕は、ああ、そう、僕はテオだ。
ガエタノがテオの部屋にはいってきた。
「ブリージダ、テオは生きのびたか?」
老婆は黙ってうなずいた。テオは寝台に身をおこしていた。
「ちっ。この! なんてことしてくれた!」
ガエタノは、ツカツカと歩み寄るとテオの頬を殴りつけた。テオの唇から血がしたたる。
「十年もかかって貯めた魔力を、それを、無駄にしたんだぞ!」
両腕をあげて身をかばうテオを、ガエタノはなおも殴りつけた。殴りつづけるガエタノを、一緒にはいってきた老年の下働き、チプリノがとめた。
「旦那、これ以上はテオが死んじまいます。もうそのくらいにしてやってください」
荒い息をつくガエタノが、憎々しげにテオを見つめて手をとめた。
「いたずらで済むことじゃない! 苦労して準備した召喚魔法陣が、精霊召喚がだめになったんだぞ!」
……ああ、魔法陣を使ったんだった。
「ご、ごめんなさい。お、おかあさんに、おかあさんに会いたかったんです。ごめんなさい」
ガエタノは目を細め、いぶかしげにテオを見つめた。
「ふん、悪たれ小僧が素直にあやまるとはな。自分のしたことの……ん? おまえ? こいつの目はこんなだったか?」
ガエタノの言葉に、チプリノとブリ婆さんがあらためてテオを見つめた。ブリ婆さんは窓によると、鎧戸を開け放して部屋に朝のひかりをいれる。
「目の色が。あんた、目の色どうしたんだい」
「髪が、髪の色も変になった」
「ふむ。もっと濃い茶色の髪だったはずだ。目も色がちがう」
「旦那、目が、右と左で色がちがってます。金と青?」
テオは、三人の会話を聞いて自分の髪をさわっていた。
「さあさ、テオの傷の手当をするかね。おとがめはまたあとにしとくれ。チプリノ、お湯を持ってきておくれ」
ブリ婆さんは、テオの血を拭き取り始めた。ガエタノはしばらくテオを凝視していたが、足音高く部屋をでていった。
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