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 その週末の金曜に、ホテルのランチビュッフェをご馳走してもらうことになり、私と友理恵は予約時間の十分ほど前にラウンジに到着した。

 待っていたのは金森ではなく、あの鳥井という青年だけで、白シャツにダークグレィのジャケットというシンプルな見た目が、店でスタッフをしていた時のエプロン姿からはだいぶ印象が異なっていて、私たちを見つけて手を挙げてくれるまで、こんな若い人も平日のホテルランチになんて来るんだと思っていた。


「本日はご馳走になります」

「宜しくお願いします」

「あ、いえ。それがですね」


 頭を軽く下げようとしたところで、鳥井が後頭部を小さく()く。


「本日オーナーの金森の方が急用が入りまして。それでスタッフの俺がお二人の相手をする、ということになってしまって」

「じゃあ逆に良かったじゃない。ねえ」


 友理恵は片目を(つぶ)る。


「こんな綺麗なお姉さん二人と食事なんて、そうそうない体験でしょ?」

「そうですね」


 苦笑なのか愛想笑いなのか、鳥井は友理恵に笑い返したが、


「彼、困ってるわよ。友理恵って、いつもこの調子なんです」


 私はそっと助け舟を出してあげる。


「いえ。確かにお二人ともお綺麗なんで、緊張してます」

「いい子じゃない。今日は大当たりね、海月」

「だからほら、また困らせてるって。ねえ?」


 少し照れて(うつむ)くと、その長い睫毛(まつげ)が彼の目を薄く隠した。

 私たちは受付で名前を告げると、プレートを手にして、長机の上の大皿に盛られた創作フレンチを適当に取り分ける。私はサラダを中心に鶏肉を人参や牛蒡(ごぼう)などと固めたものを()せた。食事メニュー以外にもデザートコーナーが充実していて、友理恵は後で全種類のケーキを制覇すると言っていた。

 予約してあった席は丸テーブルになっていて、四人が対角線に並ぶように椅子が置かれていたけれど、私と彼がちょうど向かい合うようにして座る形になった。


「あ、ごめん。ちょっと席外すわ。先に食べてて」

「ええ」


 友理恵はスマートフォンを手に、小走りに行ってしまう。


「あの、これってどれだけ食べてもいいんですよね?」

「ええ、そうよ」

「そうですか。じゃあ、もっと取ってこようかな」


 もっとと言うが、既にプレートにはローストビーフや魚介類のフライ、数種類のサイコロ状の肉を串に刺したものなんかでいっぱいだった。


「それ食べてからにしたら? 時間はゆっくりあるし」

「そうですね。ええ。すいません。慣れてないもんで」


 腰を浮かしかけた彼は座り直し、備え付けのフォークやナイフは使わずに割り箸を手に、食べ始めた。それがまるで子供みたいで、私は笑いたいのを我慢する。


「食べないんですか?」

「あ、ええ。食べますよ。えっと、鳥井さん、でいいんですよね」

「ええ、鳥井祐二(とりいゆうじ)って言います」


 ――え。


 男性の名前を聞いて心臓が止まりそうになった経験は、今まで一度もなかった。


「えっと、鳥井……」

「祐二です。ネに右の祐の方で」

「鳥井、祐二さん……」


 その名前を繰り返す。


 ――祐二。


 それはどこにでも見つけられる、割とありふれた名前だと思う。けれど私にとっては記憶の片隅で未だに(うずくま)っている、とても大切な名前だった。


「どうかしましたか?」

「いえ、美味しそうだなって」

「ええ。この牛肉、うまいですよ」


 私はひとまず温野菜のサラダを口に運ぶ。ドレッシングが甘く味付けされていて、少し胡椒(こしょう)が効き過ぎな気がしたけれど、家でも再現してみようかな、と思うくらいには美味しかった。ただ、喉を通り過ぎる頃にはその味は、彼がどういう人間なんだろうかという思考に負けてしまう。


「あの、ごめんなさいね」


 慌てて戻ってきた友理恵は、椅子に置いていったバッグを手にして謝る。


「実はちょっと急用が入って。あとは二人で楽しんで。海月、また後で連絡するね。じゃあ」

「あとは二人でって、そんな」

「いいじゃないの。たまには若い男と一緒の空気でも吸い込みなさい」


 笑顔を見せてから、鳥井に小さく手を振って、彼女は行ってしまう。

 私はその背を見送り、彼に苦笑を見せた。


「なんか、忙しい人ですね」

「学生時代からああなの。男にも女にもモテたからね。あちこちで未だに引っ張りだこ。どうして私なんかと仲良くしてくれているのか、実はちょっと謎なのよ」

「学生時代って高校ですか?」

「ううん。大学から。不思議と気が合って、もうかれこれ」


 指折り数えると二十八年にもなり、私は慌てて唇に人差し指を当てる。


「年齢の話は内緒ということで」

「そんな。とても四十七歳には見えませんから」


 そう言ってしまってから鳥井は「あ」と口を開いた。


「そういう鳥井君はいくつなの?」

「俺は今年の十一月で二十六になります」

「そっか」


 娘の灯里の二つ上ということは親子でもおかしくない年齢差ということだった。


「店はアルバイトなの?」

「バイトというか、金森さんには色々と世話になってるんで。それに俺、こんなんですけど、アロマとか興味あって。少し勉強させてもらってるんです」

「そうなんだ」

「意外、ですよね」

「ううん。全然そんなことない。ちゃんと自分で勉強して、それを仕事にしようとしているんでしょ? 私は大学を出てすぐに結婚してしまったから、人生と仕事が随分遠い暮らしを長い間してきちゃったんだ」


 そんな話をしたからだろうか、鳥井の目が、急に真面目になって私に向けられた。


「あの」

「ん?」

「ちょっとだけ相談乗ってもらっても、いいですか?」


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