表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/80

2

 右腕に提げた一杯になった買い物袋の重さに耐えながらマンションの三階までエレベータで上がり、何とか玄関の鍵を回してドアを開けた。日が傾きかけたこの時間帯だから、という事情とは無関係に薄暗さがリビングまで続いているのを目にして、自分に「ただいま」という気力もない。


 電気を点け、狭い玄関で靴を脱ぐ。栗色のローヒールを靴棚にしまう時に右足を踏ん張ると、足の甲に(かす)かな(しび)れが走った。普段は底のぺたんとしたゴムシューズばかりだから、たまの外出時に低くてもヒールのあるものを履くと、腱が()ってしまうのだろう。

 スリッパに履き替え、フローリングのリビング・ダイニングまで歩く。食卓に使っている結婚時に購入したテーブルの上に買い物袋を二つ降ろしたが、その下に幾つも傷を見つけて、そろそろ買い替えた方がいいのかしら、と思わないでもない。


 自室に戻り、一旦イヤリングを外してブラウスをトレーナーに着替えると、キッチンの蛇口の水で手を洗った。

 エプロンはどこに掛けたものかと見回すと、食卓の椅子の背にぶら下がっていた。淡い赤と青でチェックになったものだ。娘の灯里(ともり)が小学生の頃にプレゼントしてくれたものを、何度も洗って使っている。既に端がほつれ放題で、穴が空いたところはアップリケで埋めてある。

 新しい物はいつでも買える。

 そんな時代だから、私は少しでも長く使ってあげたいと、いつも思ってしまう。


 ――そうだ。


 私は今日のキャンドル教室で購入した小さなラベンダーのアロマキャンドルを取り出して、それに火を灯した。テーブルの上に置いて眺めながら夕食を作ろう。

 材料は白菜とえのき茸、椎茸、白滝、ネギ、それに焼き豆腐。後はグラム千円のお肉にした。特別な日ではないけれど、そういうものを家族に提供したくなる時がある。今日はすき焼きだった。


 アロマキャンドルの脇にあった携帯電話がブルブルと音を立てる。エプロンの裾で指を(ぬぐ)い、画面をタッチすると、娘からだった。


> 晩ごはんいらない


 わかった。と返事をして、途中だった材料の仕込みに戻る。これで保広も帰ってこなければ一人ですき焼きだ。




「ごちそうさまでした」


 結局肉じゃがに内容を変更して、随分(ずいぶん)と材料費が高くついたものだと溜息を落とす。夫からの連絡はまだなかったが、いつもみたいに飲んでから十二時を越えて帰ってくるのだろう。ひょっとすると朝になって「すまん。昨日は泊まりだった」という連絡が、謝罪のスタンプ付きで送られてくるだけかも知れない。

 家族六人用の食器洗い機に、朝食時の三人分の食器と、夕食時の一人分を入れておく。軽くお湯で濯ぐのだけれど、どうも手洗いをしたい衝動にかられてしまう。たぶん私には食器洗い機は向いていないのだ。それでも夫の営業先の人のお勧め品を断るという選択はなかった。


 自室に戻り、ノートパソコンを起動する。右下の時刻を見て友理恵の付き合いで見ている連続ドラマが始まっていると思ったけれど、テレビの録画機能に任せておいて、私はブラウザを立ち上げた。

 調べたのは「ドロシーズ」という、今日行ったお店だ。鮮やかな炎を灯した色とりどりのキャンドルが広げられた背景に「DOROTHY’S」という文字が入っている。


『あなたの人生に、あなただけの灯火を。

 わたしたちはあなたの目の前を照らすお手伝いをしています。』


 月に二回から四回程度キャンドル教室を開催していることも書かれていて、クリックすると幾つか教室の風景を写したものが掲載されたページが開いた。どれも私や友理恵のような子育てを終えた年代の主婦のようで、ただその四枚目の隅っこにスタッフとして働いていたあの鳥井という青年が写り込んでいた。

 他にも店のオーナーである金森という男性のプロフィールが掲載されていて、イギリスやフィンランドでアロマキャンドルについて勉強したこと等が書かれている。実物の金森はもっと色黒で逞しい感じだったが、写真になると彫りの深い野性味のあるイケメン風に見えた。


 ぼんやり眺めている間に電話が鳴っていたようだ。全然気づかなかった。

 私は慌てて部屋を出て、リビングの電話に出る。


「はい、もしもし、浅野です」

「あ、夜分にすみません。本日ドロシーズのキャンドル教室にいらした浅野様で宜しいでしょうか」


 男性の声だ。金森のものにしてはやや幼い。


「はい、浅野です」

「実はオーナーの金森の方から、本日は材料や器具の準備がされていなかった非礼をお()びしたいということでして」

「あ、ええ、別に構いませんよ。ちゃんとロウソクも作れましたし」

「ですが、オーナーも是非直接お詫びしたいと言っておりまして、それでお時間の都合がつく時にご一緒に食事などしたいと」


 驚いた。これはお詫びの形を借りたデートのお誘いだろう。友理恵を気に入ったのだろうか。確かに彼女は同性の私から見ても、年齢の割には可愛らしい女性だった。


「えっと、その、友理恵……あ、榊さんにも聞いてみないとすぐには返事できませんけど」

「はい、それで構いません。もしご都合がお分かりになりましたら、お店に電話して下さい」

「ええ、わかりました」

「それでは、失礼します」

「はい……」


 受話器を置いて、ひとまず友理恵にLINEで確認する。彼女は当然行くと答えると思ったが、五分ほど後に返事があり、


> (おご)られてやりましょうよ。


 サムズアップのスタンプ付きで、喜んでいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ