この世界は今造られた。
この世界が ゲームだと俺だけが知っている。
ってサブタイトルにしても良かったのか?
だめだよね
魂というものは 絶対世界の存在で 絶対世界を知らなければ語れない。
ただし この世界は相対世界であって 相対世界のツールである言語ではすべてを説明するのは困難である。
この世界は絶対世界をベースにした 相対世界の箱庭です、
絶対世界の基本ルールは単純であるが 相対的には理解不能に陥りやすい。
ルール 絶対世界にあるものは 全て最初からあり増えもせず減りもせず
最後まである 最初も最後も実際には無く あるのは今 あるものだけで 不滅です。
無いものは 最後まで無いとも言い換えることもできますから
時間も過去も未来もなく あるものは今だけである。
その世界の中に存在する 相対世界の仮想空間がこの世界です。
この相対世界のエネルギーは ルールに従い 不滅ですから一定だといえます。
平行世界パラレルワールドは最初からあれば存在しますが
過去や未来、現在からの選択肢で新たなパラレルワールドが存在することは
新たなエネルギーが必要になるような存在としてありえません。
現実世界の時間は 刹那の瞬間瞬間に生まれる新たな今の世界が
流れているような錯覚を与えているだけです。
物理法則も時間を変数に組み込んでいる限り正確な物理法則が創れるはずもなく
常に修正が必要になる理由でもあります。
内包されるエネルギーの揺らぎとでもいうのでしょうかね
世界が動いてるとか流れているという様な現象がないと
相対世界が成り立たないのですが 特別な法則などでなく、
あるものが刹那の時に変わりゆく世界で複雑に密度が変化してるだけになります。
この世界の発見や発明は すでに最初からあるものを見つけただけにすぎません、
あるものを 子供たちが粘土細工をするように創り出すもの と言い換えてもいいでしょう。
魂とはその世界で限られたリソースの中で工夫して 面白いものを創り出す遊びを楽しむ存在です。
絶対世界のルールによって 貴賤もなく優劣も存在しません、
絶対世界は全てが一つですので あなたの魂も 私の魂も同じ存在となりますが
相対世界では その事を忘れて このゲームを楽しむ存在です。
マルチプレイのゲームを 一人の人が複数のプレーヤーとして遊ぶのですから
その存在を忘れてなければ楽しめませんよね、
肉体、精神はひとつの駒であって この世界でプレイするために
楽しむために参加するのです。
人間だけでなく 有機無機にかかわらず 魂が存在するのです。
ある意味肉体と精神だけで 自我に目覚めてないと デスゲームでしかないのですけどね。
魂は死にませんが 肉体は死んでしまえばゲームオーバーになってしまいますから。
死ぬと 魂は世界に戻っって世界とひとつになりますが、たいていはまた戻ってくるそうです。
輪廻とか言いますけど 実際は輪廻ではありませんし、
前世の記憶ってのもこの世界の記録 アカシックレコードの中にあって
誰でも引き出すことができるもので ブッダのような輪廻から外れるってのも
実際には誤解でしかないといえます。
駒の数だけの人生の記憶、記録かな それが存在します。
やろうと思えば
リセマラも可能というわけです。
記憶をなくすから裏技 チートと呼べる方法を編み出した存在も居るかもしれませんけど、
絶対世界のルールは 基本なんでもありです。
魂の存在理解できたでしょうか?
22年 2月1日追記
絶対的概念 絶対的真理というものを知るためには
一番簡単に説明しているものが 仏教の般若心経です
それでも難しいと思う人が多いのも事実、
ヒンズー教の聖典と呼ばれる バーガットギーターや
道教の基となった 老子の道徳経や
完全な物が残されていないがヘルメス文書も参考書としては良いと思います。
日本語訳がある点でね
老子道徳経は 日本語訳の物はひとつだけですが
色々なバージョンが存在していて 中の話の内容が違う話の物もありますが
基本的に古代中国における 生きていくためのマニュアルとしての六経、五経に加えて
遺跡から出土されています。
四書五経は後に成り立ったものです。
参考書と言っているのは 訳した人が絶対的概念を理解していない事に加え
多くの人が 口伝として介在してるのだと思うが
絶対的概念でない部分が多く存在することで
唯一 般若心経だけが無事なのが少しありがたい。
色即是空などといっても解らない人がおおいでしょうけどね。
ネクラノミコン 第一章
根暗の未婚 間違いではない 事実だし。
あの小説好きなんだよなぁ