テツと彦じい
昔むかしあるところにテツという、それはそれは手のつけられない暴れん坊がおりました。
テツは父上や母上が止めるのも聞かず、毎日毎日、泥棒や浪人たちが住んでいるぼろ長屋に出かけては一日中過ごしていました。
テツは子供だてらに強面の男たちと対等にやり合うので、すっかり長屋の有名人になってしまいました。
そんな長屋の住人たちの中で、テツの一番のお気に入りは彦じいと呼ばれるおじいさんでした。
彦じいは若いころはとてもたくさんの悪いことをしてきた人で、テツは彦じいの昔ばなしを聞くのが大好きでした。
「おりゃあな、そりゃあ悪いことをたくさんしてきたさ。だけどな、人を苦しめるようなこたぁ一度だってしてねえよ?
おりゃあ盗みはしたけど、盗っても困らんような金持ちからしか盗っちゃいねえ。それも誰一人傷つけずにな。
押し込んで殺して奪う。そんなのは外道のすることだ。おりゃあ悪だが外道じゃねえ」
それが彦じいの口ぐせでした。
テツは彦じいが大好きでした。父上と母上よりも好きでした。
彦じいもテツのことを自分の孫のようにかわいがっていました。
彦じいはいつも堂々としていて、曲がったことが大嫌いな人で、怒るととても怖い人でした。
ぼろ長屋の荒くれ者も、彦じいには頭が上がりません。
「オレ、彦じいみたいな立派な悪になる!」
ある日テツは、彦じいの昔ばなしを聞いたあと、そんなことを言いました。しかし彦じいは、いつものように笑ってはくれませんでした。
「なあ、テツ。おりゃあもう長くねえ。お前さんもいつまでもこんなとこに来てちゃあなんねえよ。
お前さんは、いつか立派なお役人さまになる……。おりゃあそれが楽しみなのさ」
「なんでだよ。彦じいは役人なんか嫌いだろ?」
「お前さんなら別だ、テツ。
おりゃあたちのことをよく知ってるやつが偉くなれば、おりゃあたちに優しい世にしてくれるだろ? お前さんならそれができる」
「オレは偉くなんか……!」
「なあテツ、貧しいってのは良くねえなあ。どんなに気のいい奴も貧しさの前にゃあ敵わねえ。
脅し、盗み、殺し……。悪いと分かってても手を出しちまう。貧しさってやつは人を鬼にしちまうなあ」
テツはなにも言えなくなってしまいました。
彦じいと自分のいる場所が、とてもとても遠くに離れてしまったような気がして、なんとも悲しくて、なんともさびしい気持ちになったからです。
「テツ、偉くなって貧しいやつがいなくなる世を作ってくれよ」
「うるせえ! オレは偉くなんかなんねえからな!」
彦じいは、ふくれてそっぽを向くテツを、優しい笑顔で見つめていました。
そして夜になり、テツが自分の屋敷に帰るとき、空に星が流れていきました。
「よおテツ! 見えたか? 流れ星だ! 願いごと言ったか?」
彦じいが子どものようにはしゃぎながら、夜空を指さしました。
「……星が流れるのは誰かが死んだ時だって聞いた。死に様に人の願いなんか叶えるもんかよ」
テツはまだ少し機嫌が直らず、怒ったように返事をしました。
「なあテツ知ってるか? 悪人は死んだら閻魔様に地獄に落とされるんだとよ。
だからよ、閻魔様の前で、おりゃあ最後にいいことしたんで地獄は勘弁してくだせぇよって言えるように、最期くらい、誰かの願いを叶えてえのさ。それが流れ星だ。
だから星を見たら、願いをかけてやるのが人助けってもんだ」
「……彦じい。それ本当かよ。聞いたことねえよ」
「おおとも、こりゃあ悪の間じゃ有名な話だ。知らねえやつぁいねえ。
だからよテツ。おりゃあ死んだときはでっかい星になって流れるからよ。願いをたくさん言ってくれよ?
おりゃあ、さんざん悪いことしたからよ。ひとつ程度の願いごとじゃあ極楽にいけそうにねえんだ。
なあ、ところでテツ、お前さんの願いってなんだよ。先に聞いといてやる。言ってみな」
「言うかよ」
「ケチくせえこと言うない。ほら、言えよ!」
「やだね!」
二人はそんなことを言い合って、追いかけっこをして帰りました。
気がつくと二人はいつの間にか仲良く笑いあい、仲直りをしていました。
ある日のこと、テツがいつものように外へ出ようとしたら、母上に閉じ込められてしまいました。
といってもこの母上はテツの本当の母上ではありませんでした。
「お前はあいかわらず卑しい者たちと過ごして! 恥を知りなさい! 反省するまでこの蔵からは出しませんからね!」
「うるせえ! オレの勝手だろ! 出しやがれ!」
テツは病気になった彦じいの看病をしていました。本当は家に帰らずにずっと彦じいの傍にいたかったのです。
でも彦じいはそれだけはだめだと言って、必ずテツを家に帰していました。
「そのような汚い言葉遣い……。家の名に傷がつきます! 反省なさい!」
閉じ込められたテツは3日たって、ようやく蔵から出してもらいました。外はもう真っ暗です。
「これに懲りたら少しは母上の言うことを聞くように」
父上の小言を聞きながら蔵から出たテツは、池にうつり込んだ光に驚き、空を見上げました。
夜空にとても長い尾をひいた――燃えるような青白い星が流れて行ったのです。
(……ウソだろ……!?)
テツは夢中で木を登り、屋敷の塀を飛び越えました。
もうテツの耳には、父上の声も母上の声も聞こえません。
(ウソだ! 彦じいのはずがねえ! 彦じい……! 死んだら承知しねえからな!)
テツは走りました。鼻緒が切れ、下駄が脱げても気にも止めずに走りました。
星の尾はまだうっすらと残っています。テツは星に祈りました。
(彦じい元気になれ……! 彦じい長生きしろ……! 彦じい死ぬな……!)
それから十年あまりの月日が経ち、何度も飢饉が起きました。
貧しい人たちがあふれ、盗みに手を出してしまう人も増えてしまいました。
それでも、とある役人が貧しい人たちに食べ物や寝床を与え、仕事の口利きなどをはじめたところ、少しずつ悪事に手を出す人は減っていきました。
今ではそこで世話になった者たちが立派になって、そのお役人がはじめた、貧しい者たちを助ける仕事を手伝うようになりました。
少しずつ、荒くれ者のたむろするような、ぼろ長屋の姿は減っていきました。
ある晩、親子が縁側に腰かけて、仲良く夜空を眺めていると、空に細く尾を引いた星が流れていきました。
「父上! 流れ星ですよ! 願いごとをしましょう!」
子どもの方が先に流れ星を見つけ、夜空を指差しながら、父上を見上げました。
でも父上は黙って消えていく流れ星を見つめるだけでした。
「父上……?」
子どもは心配になって父上に声をかけました。まるで泣いているような気がしたからです。
父上は子どもの頭をなでながら答えました。
「……いやあ、俺の知ってる流れ星はよお、俺の願いを何ひとつ叶えてくれねえどころか、俺にてめえの願いを叶えさせやがった、とんでもねえやつだったなあと思い出してよお」
「え? そんな流れ星がいたんですか? それはずいぶんとあんまりですね!」
子どもの言葉に父上は笑いました。
そして、それはそれは穏やかな笑顔で夜空を見上げると、こう言ったのでした。
「そうさ……。俺は本当に……、とんでもねえ悪の流れ星に気に入られちまったのさ……」
おしまい。
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