9 舞踏会
そして、舞踏会は華やかに開会された。天井の高い壮麗なホールは、天頂部分がガラス張りになっていて、夜空が見える。ホール中央に優美な曲線を持つ階段が左右対称に配され、そこから繋がるバルコニーの前に、大小さまざまなシャンデリアがきらめいている。ガラス製ではなく、真鍮製なのが、ホールの天蓋と合わせて荘厳な雰囲気を出していた。トウ国では見ない建築様式に、トワは思わず天井を見上げて観察してしまいそうになる。
フロアには、きらびやかな老若男女が集まっている。コウ国の貴族たちが、己の財力を競うように華麗な衣装を見せつけ合っていた。ホールの端のほうには豪華な料理が並ぶ。ただ、舞踏会では手を付けられることはほとんどない。控室以外では食べないのが普通なのだ。これは、あとで使用人たちに下げ渡されるので、すべて廃棄というわけではない。
知識では知っていても、トウ国では歓待の宴は開くことはあっても、舞踏会はないので、トワにとっては初めての舞踏会である。
トワは現在、給仕用のお仕着せを身に着けてホールに立っていた。給仕が足りないから手伝ってほしいと侍従に頼まれたのだ。料理はほとんど食べない出席者たちも、飲み物を勧めるのを会話の糸口にするなど、飲み物は社交の手段のひとつとして利用するので、会場には多くの給仕が配されている。
トワもグラスを乗せたトレイを持って会場を歩いていた。護身用のグラスも乗っているが、それは巧みに取られないようにしている。
遠目にケイが見える。今朝、あんなに舞踏会を嫌がっていたケイは、キラキラとまばゆいオーラを放ちながら、ナム公国の公子とその妹の相手をしている。背筋を伸ばし、優雅な立ち居振る舞いのケイは、たとえその端正な顔に何の表情も乗っていなくても、つま先から頭の先まで、まさに貴公子の中の貴公子。
ほんまに目がつぶれるくらいまぶしい。
あれ、本当に今朝の不機嫌なおっさんと同一人物ですか? 誰あれ?と問いたくなるほど、完全に完璧な王子様を体現している。「舞踏会のときは、かんっぺきな王子様」って、女中が噂してたな。なるほどね。
公子の妹は、噂のとおり確かに可愛らしい顔立ちをしていた。兄である公子も美形である。が、完全に存在感という意味でケイが圧勝していた。
ケイの近くの最も上座に座るのが、コウ国の皇帝で、ケイの父親だ。威風堂々たる風格を備えている。トワは初めてその顔を見た。
その隣にいるのは、皇后だ。皇帝とはかなりの年の差があり、ケイの妻だと言われたほうが納得する。第二王子は、まだ成人していないので、こういった場には出てこない。
権謀術数渦巻く宮廷の、国賓を迎えた舞踏会。さてはて、何が起こるやら。と、トワは高みの見物を決めていたのだが、これが意外と忙しい。
事前のレクチャーでは、覚えがいいと褒められたが、護身用のグラスを取られないようにしつつ、声を掛けてくる女性には、にこにこ笑顔を張り付けて聞こえないふりをし、何の目的でしつこく誘ってくるのかわからないおっさんには護身用グラスを渡したいのを堪えて、やはりスルーする。
慣れない給仕の仕事をしながらケイを観察していたものの、新しいグラスを補充している間に見失ってしまった。
あれ?と思って貴賓席に目を凝らしていると、後ろから腕を引かれた。
「なぜここにいる?」
至近距離にケイの顔があって驚く。
「あ、えっと、人手不足だから手伝ってほしいって侍従さんに頼まれて…」
聞こえなかったのか、ケイが身をかがめてトワの口に耳を寄せるから、もう一度同じことを言う。騒がしい会場で声を届けるには、これくらい距離を縮めないと聞こえないのだ。
「そんな話、聞いてないぞ」
「え、でも、侍従さんから聞いてるんじゃ…」
「どの口がそれを言う?」
むにっと口の端の頬をつままれて、トワは目をぱちくりする。
侍従に頼まれた仕事だから、当然ケイには侍従から報告が行っているものと思っていた。いや、ケイが言うのは、直接報告しろということだろう。トワはケイの従者なのだから。トワがケイから直接聞きたかったと言ったから、ケイはこの舞踏会については割と詳細に教えてくれたではないか。
「すみまひぇんれひた」
これは自分の落ち度だな、とトワは素直に謝った。
「ふはっ…」
堪え切れないというように、ケイが笑った。幼い弟を見るような、甘い笑顔だった。
ケイを見上げるトワの目から、一瞬にしてその笑顔が消えた。辺りが暗くなったからだ。ケイの頭上できらめいていた大きなシャンデリアが消えている。一番大きなものだけでなく、その周りに配された小さなシャンデリアも、半数くらいは灯が消えている。
生き残ったシャンデリアで、なんとかそれが判別できた。
そして、天蓋を覆っていた雲が切れると、大きな満月がガラスの天井に現れ、月明かりに人影が浮かぶ。
灯が消えた大シャンデリアの上に、ぶら下がる黒い影。
「怪人だ!」
誰かが叫んだ。
フードを被った人影が、ゆらりゆらりと揺れる。
怪しげな人物の登場に、会場警備に配置されていた騎士たちは動き出そうとしたが、誰よりも素早く反応したのは、ケイだった。
気が付いた時には、もうトワの隣から消えていた。
勢いよく会場を走り抜けると、そのままのスピードで階段を駆け上がる。手すりに飛び乗り、その反動でバルコニーの手すりを蹴ると、灯りが消えていた小さいシャンデリアに飛び乗った。その勢いで小シャンデリアは弧を描いて大シャンデリアに近づき、ぶつかる前にケイが大シャンデリアに飛び移る。
怪人と勢いよく飛び込んできたケイ二人分の体重を支えきれなくなった大シャンデリアは、滑車をきしませて下に降りてくる。シャンデリアはろうそくの火をつけるために、滑車で下に降ろせる仕組みになっているのだ。
勢いよく落ちるバランスの悪いシャンデリアの上にも関わらず、ケイはあっという間に怪人にたどり着き、その腕を怪人の頸に巻き付ける。皇帝の出席する舞踏会では、帯剣は許されないから、ケイも丸腰なのだ。
ぐっと力を込めた腕に、怪人はぐったりと頭を落とす。それでも、ケイの腕が緩む気配はない。
シャンデリアを見上げているトワの目に、月明かりでケイの顔が見えた。
なんの色も映さない、真っ暗闇のような目にも、その顔にも、感情は見えなくて、彫刻のようにただ美しいだけのケイに、トワは戦慄する。
「まずい!」
殺してしまう!
咄嗟にトワは、トレイを置き、護身用の酒が入ったグラスを掴んで走り出す。
「殿下ぁ!」
もう床近くにまで落ち切っていたシャンデリアの、生き残っていたろうそくを手に取ってグラスに近づける。ボッと小さな音がして青白い炎が上がる。腰が立たなくなるくらいのアルコールなら火がつくだろうと思っていたが、無事についた。
「お見事にございます!!」
暗い中に光る不思議な青い光と、芝居がかって張り上げたトワの声に、会場の注目が集まる。トワに給仕を頼んだ侍従に導かれて避難しようとしていた公子の妹も、足を止めてこちらを見ている。
落ちてきたシャンデリアの脇に立ってケイに向かって叫ぶトワに、ケイの目も降りて、視線が合う。その眼に光が戻ったのを見て、トワは安堵した。
くるりと会場を振り向いたトワは、舞踏会の招待客たちを観客に見立てて、そのまま演技を続ける。
「皆さま、いかがでございましたか? 近頃巷で話題という芝居の趣向を取り入れた余興は?」
静まり返っていた会場にざわめきが起こる。
「少し驚かせてしまいましたか? 勢いあまってシャンデリアの灯を消してしまったのはご愛敬とお許しくださいませ」
周りを見渡しながら、“観客”に話しかける。
「楽しんでいただけましたか?」
近くにいた令嬢たちに、トワはぱちんと片目をつぶって合図を送る。一瞬頬を赤く染めた彼女たちは、意図を汲み取ってくれたのか、ぱちぱちと拍手をしてくれた。そこから拍手が会場に広がっていく。
「お芝居だったの、あれ」
「噂の怪人ね」
「じゃあ、あれは人形?」
ケイの腕でぐったりとしている人影は、シャンデリアの周りに集まって来た騎士たちによって降ろされている。
もう一押し、とトワはケイを振り返る。
「殿下」
手を差し伸べてシャンデリアから降りるよう促す。シャンデリアの上からトワを見つめていたケイは、ややあってから、トワの手を取った。ケイはトワに導かれて、トワの隣まで降りてきた。その手を引いて耳に口を寄せる。
トワの言葉にケイは眉間にしわを寄せたが、「やれ」と念押すようにアイコンタクトを取る。一瞬目を伏せたケイは、トワから青い灯のついたグラスを受け取ると、観客に向けて、よく通る声で告げる。
「皆の者、今宵は素晴らしい月夜だ。このまま、月明かりのダンスと洒落込もうではないか」
青い灯を掲げるケイは、月に照らされて、物語の世界から抜け出してきたかのようだ。
ケイはグラスに息を吹きかけて炎を消す。すると、辺りは、月明かりと、残ったシャンデリアの灯だけの幻想的な景色になった。ケイからうやうやしくグラスを受け取ったトワは、ケイに最後の一押しをさせる。
「姫君、私と踊っていただけますか?」
他の令嬢たちと同じように、頬を紅潮させて拍手をしていたナム公子の妹サーヤに、ケイはダンスのお誘いの手を差し出す。
「ええ、はい、よろこんで!」
公女がケイの手を取って、月夜のダンスが始まれば、それはまるでおとぎの国の物語のような絵になった。