7 国賓
悠久の時が流れている、と他国から言われるほど、トウ国はゆったりとした国民性だが、そのことを差し引いても、トワから見るケイは多忙であった。
その理由に合点がいったのは、城の使用人からの情報が入ってくるようになったからだ。しばらく王宮で生活していれば、元来人好きする質のトワには顔なじみが増えた。
庭で花をもらった帰りに、トワは掃除係の女中たちから手を振られる。忙しそうに働く彼女らに「大変そうだね」と声を掛ける。
「ほら、もうすぐナムの公子さまがいらっしゃるでしょ。だから、あちこち綺麗にしないといけなくて」
「一日中掃除しっぱなしで、手荒れがひどいのよ」
「じゃあ、この花をお湯に入れて、手浴するといいよ」
持っていたオレンジ色の花をトワは女中に渡す。ケイの部屋に飾る花をもらいに行った時に、顔なじみの庭師からもらった金盞花だ。外用薬として肌荒れに効くし、ハーブティーにしてもよい。キク科のアレルギーがある人や妊娠中などの使用は注意が必要だが、お湯に花を入れて手をつけるくらいなら、おそらく問題ないだろう。トウ国でも使われている薬草だ。
「わあ、ありがとう、トワは物知りね」
「どういたしまして」
女中たちと別れてトワはケイの部屋に向かう。今日もケイは遅いだろうが、昼間のうちに部屋を整えておく。
案の定、ケイの帰りは今日も遅かった。いつもどおりにケイの髪を乾かしながら、トワは城の使用人たちから聞いたことを話す。
「ナム公国の公子さまが、妹君と一緒に、殿下を訪ねていらっしゃるそうやね」
公子とは王子と同義だ。ナム公国は、もとは隣国セム国の領土だったが、現在は独立してナム公が治めている。コウ国の南側にある隣国だ。面積は、小国と言われるトウ国の半分程度しかない。コウ国とは同盟関係にあるが、一部では、コウ国の属国と揶揄されている。とはいえ、独立国家ではあるので、公子が来るということは、国賓を迎えることになる。
「ああ。おかげで、クソが付くほど忙しい」
姫は寝ぼけ眼だが、小さくケイにじゃれついている。その相手をしながらケイは相槌を打つ。
国賓が来るということは、彼らの滞在に必要な部屋の確保、歓待の準備、滞在スケジュールの調整、滞在中の接待など、決め事や調整事が増える。それに加えて日常業務もあるのだから、城全体が多忙になる。
「僕、この話、殿下から聞きたかったなぁ」
「え?」
振り向いたケイがきょとんとした顔で見上げる。
「言ってなかったか?」
「聞いてません」
「…そうか」
おそらくは、このような大きな行事は昨日今日決まったことではない。トワが来る前からの決定事項だったから、ケイにとっては当たり前すぎてトワに伝えることを失念していたのだろう。もしかしたら、トワを拾ったあの遠乗りは、忙しくなる前の息抜きだったのかもしれない。そうは言っても、知っていればトワの対応も変わったというのに。
「それは…、悪かった」
もとの体勢にもどって再びトワに背を向けたケイが殊勝に謝る。
「ナム公国とは同盟関係にあるから、昨年、ナムがセム国に攻め入られた際に、我が国に助けを求めてきた。我が国は援軍を送ることにし、その援軍の将として俺が遣わされた」
戦に勝利して、コウ国軍は引き揚げているが、戦争の傷跡はナム公国に残り、同盟国としてコウ国は復興を支援してきた。
「ついでに言うと、その遠征の時に、ナム公国の海岸で姫を拾ってきた」
姫はケイの膝に顎を乗せて寝息を立て始めている。
ナム公国の海岸線には入り組んだ絶壁があり、そこにドラゴンが営巣しているという噂だった。実際に姫がそこで育てられていたのか、海から流れ着いたのかは不明だ。
「今回は、復興の目途がついたとかで、一年前の援軍のお礼も兼ねて、公子が訪れるという話だ」
「それで、舞踏会の主催も殿下がすることになるんやね」
「そういうことだ」
公子は国賓とはいえ、コウ国にとっては小国の王子。皇帝自らが歓待するほどではないというのが大国の対応なのだろう。そもそも、ケイにお礼に来るのだから、どうしても対応はケイがおもだってすることになる。それで、ここ最近の忙しさというわけだ。
「公子が来た翌日の夜、歓待の宴として舞踏会が開かれる。皇帝ももちろん出席はするが、ホスト役は俺に任された」
公子とその妹を迎えて、皇太子主催の舞踏会が開かれる。それほどおかしいところはないように感じるが、引っかかる点がひとつ。
「なんで妹を連れて来るんかな?」
普通は妻を連れて来るだろう。
「ナム公国の公子はまだ若く、結婚していないから、妻の代わりに妹を連れて来るそうだ」
若い公子の妹となれば、当然若い娘である。そして未婚である。なんとなく、そこに透けて見える意図をトワは拾う。
「…あわよくば、殿下の妻に、ってとこですか」
ただのお礼に来るのなら、公子が一人で来ても問題ないはずである。舞踏会が開かれることを想定して連れを用意したとも考えられるが、舞踏会は男女ペアでの出席が基本とはいえ、王族はその限りではない。それに、他国からの客人ならば、誰か適当な貴族の娘が相手役として見繕われるだろう。
それを、わざわざ歳若い妹を連れて来るというのだから、ケイと引き合わせることが目的と取れなくもない。かつての宗主国である隣国に攻め入られて、同盟国に助けを求めざるを得ない国の国力が高いとは思えない。大国コウ国の援助が欲しいか、あるいは、いっそのこと属国になることが望みか。娘を未来のコウ国皇帝に差し出すことで保護を求めているのかもしれない。
「あんな小国の娘を娶ったところで、なんの役に立つというんだ」
無表情にケイが言う。コウ国側のメリットは、ナム公の娘を娶れば、ナム公国を属国にする大義名分が得られるというところだろうか。ケイの口ぶりでは、今初めてそのことを考えたというよりは、既に誰かに提案されて、結論を出しているといった感じだ。
あの凍り付くような執務室の空気を生み出した提案書が、もしやそれだったのだろうか。
「いや、もしかしたら、すんごい美人かも。会ったことはないんやろ」
ケイがソファの背もたれに背中を預けて首を反らすから、髪を拭いていたタオルがケイと背もたれに挟まれてトワは身動きが取れなくなる。背もたれに頭を乗せた状態で、ケイがトワを見上げる。どの角度から見ても絵になる美しい男である。
「……おまえ以上に興味を引く美人なら、考える」
「……えっと、それはどういう…?」
思わず下を向いてしまっていたから、見つめ合う形になってしまった。ケイの黒い瞳は、まっすぐにトワを射抜き、トワは目を逸らしたくなる。ところが、下から伸びてきたケイの手が頬に触れて、トワは捕らえられたように動けなくなる。
「……トワ、何を隠している?」
唐突に、核心を衝く。
「急に、どうしたん?」
跳ね上がる鼓動を悟られないように、トワは笑顔を作る。
「…いや、なんとなく、おまえは俺に本心を見せない気がしたから」
すっと手を引いて、ケイは体を起こす。トワの手にあるタオルはケイから解放されて、再びトワの目の前には、ケイの後ろ姿だけが見える。
「さっきみたいに、俺の口から聞きたかったとか、言ってくれることもあるんだと思って。それなら、おまえが考えていることを、知りたいと…」
…これは、ごまかされたのか? それとも、本当に今、そう思ったから言っているのか?
「そうやねぇ。それやったら、僕もう眠いから、さっさと寝てくれへん?」
平静を装ってそう言うと、ケイが振り向いて「すまん」と笑った。どこか、仕方ないなと、出来の悪い弟を見守る兄みたいな笑顔だった。
(この物語を書くきっかけとなったニュースの元ネタを見た姫の反応)
姫はガクブルしながらトワの後ろに隠れ、その陰からつぶらな瞳でケイを見ている。その警戒を感じ取ったケイが困ったように優しく甘い声で呼ぶ。
「姫、おいで。食べたりしないから」
「ピィー…(困惑)」
「しゃーないなぁ」
その様子を見ていたトワが姫を抱き上げ、ケイのもとに歩み寄る。トワにくっつく姫を抱えたまま、トワはケイの膝に着席する。
「……ま、いっか」
どこか満足気にケイはトワの頭を撫でた。
…と、いう妄想がはかどりました!