6 皇太子の従者
コウ国の皇太子ケイには、少し毛色の変わった従者がいる。東の小国トウ国出身の異国人。ゆるくウェーブした黒髪の襟足が肩に少しつくくらいの長さで、大きくぱっちりとした、食堂の女中曰く「まん丸おめめ」の愛らしい顔立ちをしている。
「トワ、庭の花を剪定していたからね、あんたの気に入ってたのをもらっておいたよ」
「ありがとう、レミさん」
花を受け取って嬉しそうに微笑む。トウ国独特の訛りの言葉の柔らかさと、柔和な笑顔が宮中の女性たちの心をわしづかみにしていた。コウ国では名前をそのまま呼ぶのが普通だが、トワは使用人に対してもトウ国風に敬称をつけて呼ぶ。誰に対しても礼儀正しい。それが宮中の使用人たちのトワへの印象だった。
そして、トワは宮中の女性から感謝されていることがある。
「ねえ、今日の皇太子殿下を見た?」
「見たわよ、麗しかったわぁ」
「今まで軍服姿くらいしかお目にかかれなかったけど、トワが来てからいろんな服を着てくださるようになったものね」
「もう、今日のなんて、王子様すぎて鼻血出そうでした」
という会話が日々王宮のどこかでされているとかいないとか。
もともとケイは服装にあまり頓着がない。時と場合に合わせて着るものは心得ているし、必要に応じてそれ相応の衣装に袖を通すが、自分がこれが着たいと主張するようなこだわりはない。強いて言えば、動きづらいものはあまり着たくない、という程度である。
それゆえに、日ごろの服装は、何も考えなくていいからという理由で軍服ばかりだった。執務に不都合がないという理由で選ばれていた。
トワは、ケイの部屋のクローゼットに詰まったたくさんの服を見て、これを着るのも皇太子の務めだとケイを説き伏せた。最初は乗り気でなかったケイも、多くの職人が携わって、丹念に作り上げられた服を着ないのは職人に失礼だ、これを着て、この国の文化の高さと国力を示すのも仕事のうちだ、とまでトワが言うので、トワに衣装係をさせることで妥協した。
トワにしてみれば、いくら平時用の服とはいえ、軍服は戦闘に特化したものだから、机仕事には向かないだろうという考えから、クローゼットの服を着るよう促しただけである。せっかく見事な服と美貌があるのに、それを活かさないのはもったいないという、ちょっとした遊び心も、まあ、多少はあった。
普通に勧めても、ケイは面倒くさがって着てくれないと思ったので、これは仕事だと言い張った。(意外と素直に聞いてくれた。あと、めちゃくちゃ侍従に感謝された。)
それから、トワは朝の身支度のときに、その日の予定に合わせた服をケイにコーディネートするようになった。ケイは何を着ても似合う。まるで毎日ファッションショーである。
評判は上記のとおりである。
なぜか補佐官には前以上に睨まれたけど。
「その花、どうするんだ?」
ケイに訊かれて
「飾りますよ、ここに」
とトワは答える。
「自分の部屋に飾ればいいだろう」
自室に花を飾られそうになって嫌そうな顔をするケイに、トワは言い返す。
「僕、部屋に帰るの寝るときだけですもん」
「……」
ケイは口が達者ではない。そのうえ、トワが自室に帰る時間が短いのは、ひとえに侍従には認められている交代制が、トワには認められていないからだ。侍従は宮中の役職として存在するが、トワはケイの私的な従者。つまり、全部ケイのせいである。
「殿下は毎日お疲れでしょう。お花でも見て癒されてください」
「…別に、花を見たからといって疲れが取れるわけではないだろう。睡眠じゃあるまいし。花に机やペンのような役割があるとは思えない」
ケイの基本の考え方は、必要だからそこにある、である。執務室同様、この部屋にも役割を持って置かれたものばかりである。ちなみに、私室の応接間には客人を呼ぶこともあるから、部屋の印象を格調高いものにするという目的での調度品や装飾品は置かれている。たぶん侍従が選んだものだが。
「花を見て、季節を感じることは、心を休めるひとつの方法なんですよ。この花を見て綺麗と思わないわけじゃないんでしょう」
「まあ、綺麗だとは思うが」
興味深そうに姫が花のにおいをくんくん嗅ぐので、姫の興味を引くものとして花を置くことは許可された。
「それで、今日の仕事放棄の理由はなんですか?」
昼間に自室にいることの少ないケイが、現在トワが花を花瓶に生けているケイの自室にいる理由は、仕事放棄に他ならなかった。と言っても、休憩と言って執務室を出てきただけで、本当に職務放棄をするわけではないのだろうが。
周りに侍従がいるからトワは丁寧な話し方をしているが、皇太子にこんなことを言えるのはトワくらいである。
「あいつら、性懲りもなく、また同じような提案書を持ってきやがった」
執務室が凍り付いていたあれだろうか、とトワは先日のことを思う。ら、ということは、同じような提案をする人間が複数人いるということだ。提案書の中身を聞いてよいものか逡巡するが、ケイはむすっとして説明する気はなさそうだ。
「皇太子殿下のお妃探しですよ」
代わりに侍従が教えてくれた。これが初めてではないのだろう。
「先日から、頻繁に政略結婚の提案書や釣書が持って来られましてね」
「…それはもしかして、僕を愛玩用だと言ったことと関係あります?」
「いや、それは……」
言葉を濁すということは、そうなのだろう。
「殿下が言葉遣い間違うからそういうことになるんです。自業自得です。ていうか、僕巻き添えじゃないですか」
どこかの大臣のあらぬ心配がこれに繋がっているということは、『愛玩用』が間違った意味で広まっているということではなかろうか。迷惑だ。
「さっさと結婚でも婚約でもしてください」
皇太子妃がいないことは知っていたが、この様子では愛妃もいない。この年齢になって皇太子が結婚していないとなれば、早く世継ぎをとせっつかれるのも当然だろう。そういう自分も結婚していないが、兄などは自分の年にはもう三児の父だった。
「……女は嫌いではないが……理解できん」
いや、過去に何があったんだ。なぜ虚空を見つめるんだ? でも嫌いじゃなくて良かったよ。
「理解できなくて当然です。女性とは未知の生物です。姫と共存するつもりで接してください」
未知の生物ドラゴンを手懐ける手腕とその顔があれば何とかなるでしょう!
「…あれは、俺の手には負えない」
姫が? それとも女が?
ていうか、ほんまに過去に何があったん!?
という、和やかな会話を、お化けでも見るみたいな顔で補佐官が聞いていた。見るのか聞くのかどっちやねん、とは、この際訊かないでほしい。
「どうかしたんですか?」
きょとんとトワが補佐官を見上げる。
「あ、いえ…」
補佐官の知るケイの通常の受け答えは「ああ」「うん」「そうか」「わかった」「却下」くらいしかバリエーションない。こちらの一方的な説明に相槌を打ち、結論を告げることがほとんどだ。仕事の指示なども勿論あるが、テンポよく会話が進むということはあまりない。
「殿下、補佐官さん迎えに来たんで、そろそろ戻ったらどうですか? 見合い話の愚痴なら、後で聞くんで」
トワに言われてケイはしぶしぶ立ち上がった。そのことも補佐官を驚愕させる。ケイは職務は生真面目にこなすし、臣下の進言にも耳を傾けてくれる。だが、圧倒的存在感ゆえに人に従うという印象があまりない。
危険人物かもしれない、と補佐官はトワを睨むに至った。