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35 迎え

 侍従の邸から城に戻ったロンは、トワの伝言を届けるべくケイの執務室を訪れた。部屋に入ったロンをケイは睨みつけ、鬼のような形相で胸倉を掴んだ。穏やかでない状況に、ロンは慌てたように両手を上げる。

「なんだなんだ、どうした?」

「それはこっちの台詞だ。トワはどうした?」

 身長差があるからケイはロンを見上げている状態なのだが、今にも殺されそうな威圧感だ。

「侍従の両親に乞われて少し話をして帰るって。“姫を連れて行くから心配するな”っていう言付けを預かって来たんだよ」

「そんなもの、真に受けるな」

 どんと胸を押されて突き放される。

「ええ~理不尽」

 ちゃんとトワの言うとおりにしたのに、ケイに怒られるという。

「さっき、これが届いた」

 もう一度、どんと胸に拳が当たる。ケイの手には紙が握られている。それを受け取ってロンは紙を開く。

「“従者は預かった。返してほしくば侍従の妹を訪ねよ”」

 手紙の内容をロンが読み上げる。

「なんだこれ? 誘拐みたいじゃねえか」

「なぜみすみす置いてきた?」

「いやだって、トワが残るって…あ、おいどこ行く?」

 執務室を出て行こうとするケイをロンは呼び止める。

「迎えに行く」

「いやいや、俺の伝言聞いてた? トワの“心配するな”は、“来んな”って意味だろ」

 振り向いたケイがじろりと睨む。

「こんなの、おまえをおびき出すための罠だろう。おまえが行ったら、相手の思うつぼだ」

 だからこそ、トワはロンに伝言をさせたのだろう。

「知るか」

「待てって」

 ドアを開けようとするケイの腕をロンが掴む。

「ああ見えて、あいつは手練てだれだ。そんなに心配しなくても…」

 自分を睨みつけるケイの眼に気圧されるように、ロンはそっと手を離した。

 “氷の王子様”などと称されるケイのあだ名は、その硬質な見た目と低いテンションからだが、怒っているように見えるときでさえ熱のないその瞳の冷たさに対する畏怖でもあった。

 けれど、今のケイの瞳は怒りに燃えている。見た目はいつもどおりなのに、その冷たさの奥に灼熱の炎を抱えているような、そんな怒りだった。

 この怒りを鎮めるには、トワを連れて来るしかないことを、ロンは理屈抜きで悟った。

 ケイは背を向けて執務室を出ていく。

 黙って事の成り行きを見ていた補佐官が、今日の仕事はもう終わりにしますね、とロンに告げた。

「…おまえ、ケイに甘くないか?」

「必要な仕事はもう終えましたから」

 出来た補佐官は、そう言って書類を片付け始める。

「…あんな殿下、初めて見ました」

 ぽつりと補佐官が言った。

「厳しいことはおっしゃいますけど、あまり感情的になる方ではないので」

「ああ、あいつなぁ」

 皇太子として振る舞うケイは、あまり感情の起伏を表に出さない。愛想がいいほうではないから、不機嫌だと勘違いされることも多いが、それほど感情の中心は動いていない。

「あんなに怒るのは、俺も久しぶりに見た」

 友人であるロンには、ケイは他の人に見せるよりも多くの感情を見せてくれているという自負はあるが、それでも、ケイが怒ることは稀だ。怒るにはエネルギーが要る。そのエネルギーを注ぐほど、強い執着を抱いているものが少ないのだ。

 

 ケイの本質は、たぎるような熱い激情を、氷の器に隠し持っているような、そんな人間なのだと思う。

 だが、意識的にか無意識にか、心の奥底に燃える炎を、幾重にも包んで隠して、滅多なことでは発露させない。

 そういう人間だと、ロンはケイを理解していた。


 その引き金がこんなに近くにいるのは、いいことなんだろうか、それとも危険なことなんだろうか。


 複雑な思いで、ロンはトワが無事に戻って来ることを祈る。彼が無事でなければ、あの家の者は、ケイに瞬殺されるだろう。



 トワは侍従の家を出ると、城へ急いだ。自分がケイをおびき寄せるための囮なのだとしたら、一刻も早くこの場所を離れないといけない。

 道の向こうから、自分に向かって突進してくる騎馬にトワが気づいた時、もう馬は眼前に迫っていて、姿勢を低くした馬上の人物に腕をグイと掴まれて持ち上げられる。トワを馬の上で横抱きにした状態で、男は馬をUターンさせる。

 誰や、この人さらい、と思うよりも前に、迎えだと悟る。

「なんでここにおんの?」

 トワが持ち上げられたと同時に飛び立って、馬がUターンする間は上空を舞っていた姫が、その男の肩に降り立った。赤いドラゴンの羽の手前に、綺麗な横顔の線が見える。美しい彫刻のような眉をひそめてこちらを見た男は、

「迎えに来た」

 と不機嫌そうに告げる。

「将軍から伝言聞かんかった?」

「聞いた」

「じゃあ、なんで?」

 あの伝言の意味がわからないケイではあるまい。

「心配だったから」

「…っ、あかんやん。たかが従者一人いなくなったくらいで、王子殿下が出張ってきたら」

「そう思うなら、自分の身を危険にさらすような真似はよせ」

「…それは、ごめんやけど…」

 トワが自ら罠に足を突っ込むようなことをしなければ、ケイが迎えに来ることもなかったのだ。

「それで、どういう状況だ?」

 問われてトワは、ここに至るまでの経緯をかいつまんで説明した。黒い影が侍従の遺体に憑いていたこと、それを追って侍従の家に行ったこと、侍従の妹が気になって会ってみたら黒い影に囚われていたこと。

「生霊みたいな感じの魔術やと思うけど、とりあえず、向こうに返しておいたから、しばらくは大丈夫やと思う」

 あの影は魔術によって送り込まれたものだから、その術を返す(・・)ことでトワは対抗した。術は返されることでその威力と同じだけのダメージを術者に与える。きっと今頃、術者は暫く術を扱えないほどのダメージを受けているだろうから、しばらくはちょっかいを出されることはないだろう。

「ところで、あの、この状態でお城まで帰るん?」

 トワは馬を操るケイに横抱きにされているから、お姫様抱っこのような状態でケイの膝の上にいることになる。顔の距離は近いし、体は密着しているし、これは非常に恥ずかしい体勢だ。

「ちゃんと掴まっておけよ」

 トワの意図が分かっているだろうに、あさっての返事をして、ケイは馬の腹を蹴った。さらにスピードを上げた馬に振り落とされないように、トワはケイに必死で掴まらなければならなかった。

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