34 囚われの
「どうぞお座りになってください。お茶を淹れますわ」
セイナに席を勧められて、トワは広いテーブルの端に座る。
部屋にはトワとセイナしかいないので、幼いながらもセイナがホスト役のようになってお茶を準備する。年の頃はヨウ王子よりも少し年長だろうか。体の動きは幼い少女のそれだが、所作はどこか大人びている。
これが普通の状態であれば、幼い子が一生懸命大人の真似をしてお茶を淹れてくれているとほほえましく見ていられるのだが、今は違和感しかない。その正体を探ろうとトワはさりげなく少女を観察する。
セイナは紅茶のカップをトワの前に置き、それから、トワから少し距離を取った対面の席に自分の分のカップを置いて座る。
「お茶に毒など入れておりませんから、召し上がってくださいな」
そう言ってセイナは自分の紅茶を飲んで見せる。
「ありがとうございます」
礼は言うものの、トワは紅茶に手を付けはしない。セイナがそれに気分を害した様子はない。
「僕をここへ呼んだ理由はなんでしょうか?」
単刀直入にトワは訊いた。邸の外で侍従の両親とトワが話している時、助けを求めるように窓からこちらを見ていたのは、この少女なのだ。それが気になって、明らかに不自然な誘いに乗った。ただ、あの少女と、この目の前にいるセイナは、同一人物とは思えないほど雰囲気が違っている。
「心配なさらなくても、殿下がいらっしゃれば、あなたはお帰りいただいて結構ですわ」
つまり、ケイを呼ぶための囮ということか。まあ、そんなことだろうと思ったから、保険は掛けておいた。
「殿下は来ないと思いますよ」
トワの帰りが遅くなったとしても来なくていいという意味で「姫を連れて行きますから、心配しないでください」と伝言するようにロンに頼んだのだ。
「ここに殿下が来られないことなんて、おわかりでしょう?」
ケイは長年親しんだ人間の葬送にだって出られないのだ。彼が罪びとであるというだけで。そんな家になど来られるわけがない。
「だからあなたを人質にしたんじゃないの」
そのこと自体は隠す気はないらしい。侍従の遺体に憑りついていた影と、この少女のまとう影は同じものだ。あの影は、トワをここに誘い込むためのものだったと考えていいだろう。
というか、そもそも、今喋っているのがセイナではないことも隠す気はないようだ。侍従の妹の身体を使って話しているこの相手が、侍従の妹を人質にして彼を操った人物なのだろう。つまり、ケイから大切な人を奪った張本人ということだ。
「あなたとケイを会わせるつもりはありません」
ケイを悲しませるような人間に、会わせたいわけがない。
「馴れ馴れしくあの方を呼び捨てにしないでちょうだい!」
ガシャリと音を立てて紅茶のカップが揺れた。
「…僕とケイが仲がいいのは気に入らないのに、彼が僕を迎えに来ることは疑わないんですね」
「…っ!」
その瞬間、ティーカップが飛んできた。トワは少し首を傾げてそれを避ける。カップはトワの横を通り過ぎたが、紅茶が少し掛かってシャツにシミを作る。ああ、後で洗濯をしなければ。紅茶は早く洗濯しないと跡が残ってしまう。などと頭の片隅でどうでもいいことをトワは思う。
その後ろでカップが壁に当たって割れた音がした。紅茶もぶちまけているだろうから、片づけが大変そうだな、と思った時、トワの頬に小さな痛みが走る。割れたカップの破片でも飛んできたのだろう。
「僕に傷を付けたら、ケイはたぶんあなたを許しませんよ。『おまえは俺のものだから、勝手に体に傷を作るな』って言われているんで」
相手の顔に浮かぶ表情は、盛大に勘違いしているのだろうが、言われたのは本当のことだし、相手がどんな風に受け取るかなんてトワの知ったことではない。
「ふざけたことを言わないで! あの方に相応しいのはわたくしよ!」
「そうですか」
感情のこもらない声でトワは応える。
「あなたなんかが現れる前から、あの方はわたくしと結ばれるって決まっていたのよ」
ということは、今現在彼女はケイと結ばれてはいないということだ。
「わたくしは、あの方の婚約者なのだから」
意味がわからない。
トワが知らないだけかもしれないが、ヤナ以外の婚約者の話は聞いたことがないし、ヤナが皇后になった後に新たな婚約者ができたとも聞いていない。こんな幼子相手であっても、ケイは叶うはずのない約束はしないだろうから、侍従の妹と会った時に「将来殿下のお嫁さんになりたい」などという可愛い戯言に付き合ったとも思えない。
「セイナさまと殿下では身分が違い過ぎるのでは?」
一応探りを入れてみる。
「こんな下級貴族の娘と一緒にしないでちょうだい!」
つまり、彼女はセイナではないということだ。
「では、あなたは誰なんです?」
「本来ならば、わたくしがあの方の婚約者になるはずだったのよ」
ヤナが婚約者になる以前の婚約者、ということか? いや、この口ぶりでは、それを阻止されたということか。
「あなたが婚約者だと言うのならば、こんなことをしなくても会えるのでは?」
我ながら意地の悪い質問をする。普通の手段では会えないから、こんな回りくどい方法を取るのだろう。
「…まあ、あなたが誰であったとしても、ケイには会わせませんけどね」
「あなたの意見なんて聞いてないわ」
「僕も、あなたの意図なんてどうでもいいです」
そう言うトワの声は静かだが、目に込められた強い力にセイナは動きを止めた。その隙に、トワは肩に止まっていた姫をセイナに向かわせる。正面から凄い勢いで飛んできたドラゴンに怯んでセイナはビクッとする。その瞬間、セイナからはみ出した黒い影を姫は鋭い爪で掴んでトワのほうに戻って来る。
ところが、トワがその影の端を掴む、すんでのところで黒い影は消えてしまった。
突如、部屋の窓が割れ、ゴオッという音と共にすさまじい風がトワの前を横切る。とっさにトワは両手で頭を覆う。姫も風から守るように翼を広げてトワを庇う。
「おにいさま…!」
トワが顔を上げた時、目に飛び込んできたのは、セイナを抱えて彼女にナイフを突きつける、死んだ侍従の姿だった。
「この子を傷つけられたくなければ、おとなしくしてください」
侍従の声がそう告げる。
「……侍従さん……生きていたんですか…?」
ひゅっと風を切る音がした次の瞬間、侍従の身体は吹っ飛んだ。
「なんて、言うわけないでしょ」
トワに思い切り回し蹴りを喰らった侍従の身体は、壁に打ち付けられてもんどりうつ。それを見つめるトワの目は冷ややかだ。なぜ憑りつく先を生きた少女から、死んだ人間に変えたのかは知らないが、死んだ人間相手のほうがトワは気を遣わなくて済む。
侍従の身体から浮いた影をひっ掴むと、トワはそれを一気に引き抜く。手を離さぬまま掌に魔力を集めて、影の向こうに返す。
影は怯えたように消え、部屋は静寂に包まれた。
トワは、壁にもたれかかる侍従の遺体を抱え、部屋の中にあったソファに寝かせる。影の乗り移った侍従を蹴飛ばすことに罪悪感はないが、さすがにこの状態で放って帰るのは心が痛む。
振り向いた部屋は、砕け散った窓に、壁に飛び散る紅茶と粉々のティーカップ、という大惨事のあとのような状態だった。
トワはへたりと座り込んだ少女に近づいて片膝をつくと、努めて優しい声を出した。
「セイナさま、大丈夫ですか?」
何が起こったのか分からない様子で、呆然としたようにセイナはこくこくと頭を上下した。身体を乗っ取られていた時の記憶があるかどうかも不明である。
「ご両親を呼んで、片づけをお願いしてもらっていいですか?」
「え、あの、はい…」
トワはにっこりと微笑んで、有無を言わさずセイナを頷かせた。




