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29 死を乞う王子

 トワが放った矢は、突如湖から現れた黒い影を射抜いた。影が霧散すると同時に矢も消える。少しの間宙を漂っていた黒い霧は、再び影を形作る。しかも、数を増やして。カラスの形を取った影がトワとケイをめがけて襲ってくる。

 ケイは剣を取って応戦し、離れたところにいるカラスにはトワが弓で攻撃する。だが、剣で斬っても、矢を射られても、カラスは霧となって再びカラスに戻ることを繰り返す。

「ケイ、なるべく同じ方向に追い払って」

 ケイと背中合わせの状態で、トワは弓を引き絞りつつ指示を出す。

「わかった」

 斬っても無駄なことはわかったので、ケイは影を斬ることはせず、誘導するように剣を薙ぐ。カラスは、剣が当たっても死にはしないが、物理的な攻撃自体は避けるので、ケイの巧みな剣さばきで一方向に固まりつつある。

 少し離れた箇所にいるカラスを、トワの矢が射る。カラスが霧散する前に、矢が光を放って影を取り込み、存在ごと焼き尽くしていく。

 木に繋いでいた馬が、その光に驚いて声を上げ暴れ始める。ケイはトワの側を離れ、馬をなだめに行く。下手に暴れれば馬自身が怪我をしてしまう。ケイは馬の首筋を撫でてなだめながら、剣を振るってカラスを追い払う。

 そのカラスをトワが矢で射かける。トワの操る矢は、どこからか、弦につがえる直前にトワの手に現れて、放たれると意思を持ったようにカラスめがけて飛んで行き、不思議な光でカラスを形作る霧を消していく。

 しばらくして、辺りを飛んでいたカラスは見えなくなった。

「追い払ったか? なんだ、あれは?」

 落ち着きを取り戻した馬の側から、ケイがトワのほうに戻って来る。

「妖魔の幻影みたいなもんやと思うけど…」

 妖魔とは、魔力を帯びた獣である。霊獣に類するものではあるが、霊獣が高貴で聖なるものと考えられている一方、霊獣よりも下等で、より獣的なものと言われている。人に対して攻撃的なものを特に指して妖魔と言い、それ以外を妖獣と呼ぶことが多い。

「それで物理的な攻撃が効かないのか」

 納得したようにケイが言う。それを見て、思わずトワは呟いた。

「ケイは、僕を信用しすぎや」

「ん? 嘘なのか?」

 ケイはおそらく、トワが妖魔に素早く反応し、物理攻撃が効かないとわかったらすぐに対処法を変えたことから、トワがあの妖魔の正体を知っていると思って聞いてきただけだろう。

「嘘やないけど…」

 首を傾げてこちらを見ているケイに、トワは眉尻を下げる。

 嘘は言っていない。ただ、あのような妖魔は、術者が使役していることが多く、その術者に心当たりがあることを言っていないだけだ。

 トワは矢をつがえた弓をケイのほうに向ける。ケイは立ち止まってトワを見つめる。

 トワの手を離れた矢は、空を切り、その風がケイの髪を揺らす。そして、ケイの背後に迫っていた黒い影を捕えて、蒸発させるように影を消す。

「…なんで自分に弓を向けられてるのに平然としてるん?」

 トワの問いかけに、ケイは「どうした?」と言いたげに答える。

「だって、トワの目の動きを見れば、俺を攻撃するんじゃないってことはわかるし、俺に対する殺気は感じない」

 動じなさ過ぎて怖い。

「…僕のこの弓に対するコメントは?」

「すごいな」

「そうやなくて。急にこんなん出てくるの変やろ」

 トワは遠乗りに弓は持って来ていない。というか、今の今まで、トワがケイの前で弓を持っていたことはない。

「それがおまえの得物か」

「そうやけど、そうばかりとも言えへん」

「つまり、状況に応じて変えるということだな」

「うん、まあ…」

「おまえの剣術が防御に力を割り振ってるから、攻撃は別の何かがあるんだろうと思っていたが、こういうことなのかと納得している」

 トワの攻撃の基本スタイルは、魔術──トウ国では単に『術』と呼ぶが──によるものだ。魔力を練り上げて、それを掌に集めてエネルギー波のように直接攻撃に用いることもあるし、状況に合わせて武器を物理的に具現化することもある。今回は、飛び回るカラスを捕えるのに適した弓の形をとり、物理的攻撃が効かないので影を浄化する光を加えた。

 この世界では、魔力や魔術といったものの存在は当たり前であり、魔術を操る人間も奇異の目で見られることはない。ただ、トワのように攻撃に魔力を使える人間は希少である。だから、おそらくケイは、知識としては魔術を知っていても、それほど何度も間近で見たことがあるとは思えない。

「理解が早くて助かるけど、めっちゃ順応するな?」

 トウ国においては、術の使い手はそれなりにいるが、他国ではそれほど多くないはずだ。コウ国では、貴族と呼ばれる身分の者はほとんど魔力を有してはいるが、魔術のような発露をする者は、ほぼいないと聞いている。

「一応、幼いときに魔術の勉強はしている。魔術の教師曰く、俺は魔力量は多いが、魔術を使うセンスはゼロらしい」

 おそらく、ケイのフィジカルの強さや身体能力の高さは、潤沢な魔力量によって下支えされたものなのだろう。また、霊獣であるドラゴンとの意思疎通が可能なのも、魔力量の多さが影響しているのかもしれない。

 であれば、もしかしたらケイは最初から、トワの魔力にも気づいていたのかもしれない。

「ケイは僕が丸腰だから大丈夫って言うてたけど、僕は武器を魔力で作ることができるわけやから」

「うん」と、なんてことのないようにケイが相槌を打つ。

「つまり、僕はいつでもケイを攻撃できることになるんよ」

 ケイは、トワが武器を持っていないことを理由に、トワが自分に害をなさないと言っていたが、その理論は成立しなくなってしまう。

「なるほど」

 そう言いつつ、ケイはトワが自分を攻撃するとは思っていない様子である。

「だから、もう少し、僕を警戒したほうがええと思うねん」

「なんでおまえを警戒するんだ?」

 首を傾げてこちらを見遣る、ケイの無垢な黒い瞳にトワはますます眉尻を下げる。

「もしからしたら、暗殺者かもしれへんやろ」

「おまえがどういう意図で俺のもとに来たのかはわからないが、おまえから殺気を感じたことはない」

 その言葉の端から、トワがただの迷子ではないことをケイは悟っていたのだと感じる。

「わかるんだ、俺、そういうの。昔、俺が侍従を殺した話は知ってるか?」

「うん、ちょっと聞いた」

「その侍従は、最初から怪しいってわけじゃなかったけど、途中からちょっと危ないなって思ってて、あの時は、それまでにない殺気を感じたから、わざと誘い込んで隙を見せ、襲ってきたところを反撃した。俺は別に、それくらいのことは平気でやる」

 そこで、ケイは自嘲気味に小さく笑った。

「まあ、侍従の裏切りに気づかなかった奴が何言ってんだって感じかもしれないが」

 ここで言う侍従は、今回の事件を起こした例の彼のことだろう。だが、彼はケイを殺そうとしたわけではないので、殺気は感じなくて当然かもしれない。

「…もし、おまえが暗殺者だというのなら、最後までそれを俺に気づかせないでくれ」

 目を伏せたケイは、小さな声でぽつりと言った。

「俺にそうと気づかせないままで、そっと殺してくれ」

 自らの死を乞う王子に、トワは切なくなる。ケイは下を向いてしまっているから、表情は見えない。長い睫毛が作る陰が、ケイの目元に落ちて儚く揺れる。

 この人は、こんなに脆く見えただろうか? いつも背筋を伸ばして、まっすぐ前を見ているような人だと思っていた。大切なものを守るためなら、自らが盾になることも厭わない。そんな、強い人だと思っていた。

 だけど、強いものほど、壊れるときは一瞬だ。

 

 ──いつか、この人は、壊れてしまうかもしれない。

「強いものほど、壊れるときは一瞬」というのは、本当は『オランダの涙』みたいに、強化ガラスは通常のガラスよりも強いが、壊れるときは一瞬にして粉々になる、というニュアンスにしたかったのですが、文章力がそこまで至りませんでした。

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