26 女神
「なあ、いいだろ、トワ?」
「ええ…あんまり気乗りせえへん」
「そんな言うなよ。おまえだって嫌じゃないだろ?」
「嫌とかではないけど、…だって、ケイ、しつこいねんもん」
「いや、それはさ、トワとするのが楽しいから、つい、長くできればいいなって」
「僕、毎回大変やねん。疲れ切って、しばらく動かれへん」
先日初めてしたときから、何度か誘われて付き合った。それ自体は嫌ではない。ただ、こいつは、ほんま、体力おばけやねん。しんどいねん、付き合うの。毎回先に音を上げてしまう。
「ごめんて。あっさりするように気を付けるから、な、今日だけでも」
「そう言って、なし崩し的にする気やろ?」
バレたか、と顔に書いてはる。誰やねん、こいつのことを無表情だとか何考えてるかわからないとか言った奴。いや、確かに肝心なことは言わへんし、何考えてるかわからんところがあるのは確かやけど、今は手に取るようにわかる。
こいつは、ただ、俺としとうてしゃーない。
「…ダメ?」
こちらの顔を覗き込むように小首を傾げて、きゅるきゅると黒い瞳が上目遣いで見てくる。くっ…、可愛ええな!
「しゃあないな。でも、一日一回だけやで!」
「…っし! 可愛がってやるからな、トワ!」
軽く拳を握った後、キラキラした笑顔でケイが言った。早まったかもしれないと、トワは了承したことを早々に後悔する。
何の話かと言えば、剣術の手合わせである。
今日からケイの弟のヨウ王子の剣術の稽古が始まる。その稽古に付き合ってほしいとトワはケイに頼まれたのだ。従者であるトワに命令せずに頼むところがケイの面白いところだが、それはたぶん、鍛錬場に行ったなら、ただ行くだけでは終わらないからだ。ヨウ王子の稽古が終われば、おそらくケイは自分の鍛錬を始め、トワはそれに付き合って当然のように手合わせすることになるだろう。
トウ国の剣術はコウ国とは基礎が異なる。だから見慣れないトワの太刀筋をケイは面白がり、トワとの手合わせを楽しんでいるようだった。
ヨウ王子の剣術の稽古は、基礎を教えるのは専門の教師が付き、ケイは実践部分の指導をするようになっていた。
基本の型は事前に教師がヨウに教えているようで、ケイとの稽古では、教師とともに型のおさらいをし、実践として打ち合いをするときにケイが対戦相手になる形だ。その中でケイからもヨウにアドバイスをする。
ケイの従者はトワ一人で、ヨウには、ヨウの侍従とヤナの侍女がついていた。侍女は見ない顔だと思っていたら、新入りということで、稽古が始まる前にヨウがケイに紹介していた。
「あにうえ、あたらしくははうえの侍女になったレニです」
侍女を連れてきたヨウに、ケイは、よくできました。というような顔をして微笑んだ。
次に侍女に向けた顔は安定の無表情だ。
「俺のことは気にしなくていい。ヨウをきちんと見てやってくれ」
「かしこましました」
そう言って頭を下げた侍女は、まだ年若いが、育ちのよさそうな手入れの行き届いた娘だった。
わざわざ侍女を紹介するなんて奇妙だと思ったが、そういえば、少し前に皇后のところに新しく入った侍女が、実は皇后の姪が行儀見習いに来ているのだと城の女中たちが噂していたなと思い出し、トワは合点がいった。
次から次へと、ご苦労なことで、と、他人事ながら、トワは半ば感心してしまう。
先日の、ケイのあの気になる発言は、これと何か関係があるのかと疑ってしまう。このあたり、自分も大概疑り深いなと、自分が疑われる立場であるくせに、そんなことを考えてしまう。
「──おまえが、真実だけを話しているとは思っていない」
それは、ケイがトワについて、何かしら不審に思っている点があるということだ。トワには、疑われるだけの理由がある。それは自覚している。なのに、ケイに疑われていることが、トワにはひどく辛い。
あれから、ケイの態度は何も変わらない。それどころか、ケイのトワを見る目は、相変わらず優しい。
それに…
「俺は、おまえなら、なんでもいいんだ」
あれでは、まるで…──
「トワ」
名前を呼ばれて、はっとする。
「トワ! きいてる?」
高い声が名前を呼び、すぐ近くにヨウ王子が立って自分を見上げていた。
「あ…、ヨウ殿下。どうなさいましたか」
「だから、手合わせしようって」
「え…?」
困ってケイを見遣れば、ケイが付き合ってやれという顔をする。おそらく、ケイはヨウと打ち合うとき、あからさまに手加減しているので、ヨウとしては、もう少し力の差がない相手と対戦したいのだろう。そして、ぼーっと稽古を眺めているトワに照準を合わせた。
ケイがトワの腕を引いて耳に口を寄せる。
「手加減はしていいが、絶対に負けるな」
どういうことかとケイを見遣ると、小声で説明する。
「そう簡単に大人に勝てるわけがないことを教えてやってくれ」
なんだかよくわからないが、トワがヨウと手合わせすることは決定事項で、負けないことも決定事項だ。鍛錬用の模造刀を手にしたトワは、ヨウ王子と向き合う。「始め」と教師の声がかかり、ヨウが剣を向けてくる。
この歳できちんと剣を握って型通りの動きができるあたり、筋はいいのだろう。だが、圧倒的に力と経験と体力が足りない。トワはヨウの剣を受け止めつつ、頃合いを見計らう。ちらとケイの顔を覗って、ケイが頷いたのを合図に動く。
トワの剣に攻撃を跳ね返されてふらついたヨウに、トワは踏み込んでその剣を自分の剣先ですくい上げる。トワに飛ばされた剣は、くるくると円を描いてから、ケイの手の中に納まった。
その様子を呆然と見ていたヨウは、ケイが自分を見ていることに気づくと、はっとしたようにトワに向き直り、素手でトワに向かって行った。
「そこまでだ。ヨウ、今のでおまえは死んだ」
突っ込んできたヨウを、トワは片手で抱きとめる。
幼い少年相手に、なかなかの台詞を吐くケイを、トワもヨウと一緒になって見つめる。
「ただでさえ弱いおまえが、丸腰で敵うわけがない。今取るべき行動は、これ以上攻撃されないように逃げることだ」
悔しかったのか、ヨウはケイに似た黒目がちの瞳に涙を浮かべて唇を噛みしめている。
「おまえが侍従たちに勝てたのは、わざと負けてくれていたからだ。稽古を始めたばかりのおまえが、鍛錬を積んだ大人に勝てるわけがないだろう」
ケイとの稽古が始まる前に、基礎の型を教わったヨウは侍従相手に対戦型の稽古もしていたのだが、そこではいつも侍従が負けてくれていた。それは幼いヨウのやる気を出させるための気遣いだったのだが、ヨウはそのことを知らない。だからヨウは、トワにならば勝てるかもしれないと思ったのだろう。
「今のおまえが学ぶべきことは、大人を負かすことではない。どうやったら自分を襲ってくる大人から逃れられるか。そっちのほうがよほど大事だ」
諭すように言うケイの言葉を、ヨウは黙って聞いていた。唇を引き結んで必死にこらえようとしていたが、やがて、瞳から溢れた涙が、ポロポロと零れ落ちる。
一番近くにいたトワが、しゃがんでヨウの頬に流れる涙をハンカチで拭う。
「ケイ殿下は怒っているのではなくて、今のヨウ殿下に必要なことを教えようとなさっていることは、ヨウ殿下もわかっていらっしゃいますよね?」
こくんと頷いたヨウに、トワは微笑みかける。
「それがわかっていれば大丈夫です。ヨウ殿下はきっとお強くなられますよ」
トワの顔をじっと見ていたヨウが、幼いケイみたいな顔をして笑う。
「…トワ、まるで、めがみさまみたいだ」
無邪気なヨウの言葉に、なんと返そうかトワが困惑していると、近くに来たケイがぽんとトワの頭に手を乗せた。
「そうだな。まるで慈愛の女神だな」
その言葉は、ヨウへの肯定なのだろうが、トワはツッコむべきかどうか悩んだ。
女神は女やねん!




