25 王子様の事情
「だけど、おまえを殺せる自信はない」
こんなことを、言うつもりはなかった。
なのに、トワと話しているうちに、先ほどの父帝の言葉が頭をよぎり、そんなことが口をついて出た。
珍しく父から食事を一緒にするようにと命じられたのは、嫌な予感しかなかったが、断るわけにもいかなかった。
食事をしながら、連絡事項のように父帝が言う。
「三日後から皇后の姪が行儀見習いに来る。面倒を見るように」
ヤナの姪であれば、ヤナの侍女として行儀見習いをすることになる。勝手にすればいいと思うのだが、わざわざケイに告げるのだから、別の意図があるのだろう。
「それから、そろそろヨウの剣の稽古を始める。ケイ、おまえが見ろ」
「はい」
ヨウの剣の稽古をケイが付けることになるのは、別段不思議なことではない。基礎の教師は別に付くだろうが、身内の年長者が技術を教えることはよくあることだ。
「まだヨウに剣は早いのではないでしょうか」
と、ヤナは心配する。
「あにうえに剣をおしえていただけるのですか? うれしい。ぼく、がんばります!」
だが、当の本人であるヨウは乗り気だ。
幼いヨウは可愛いし、素直に自分を慕ってくれるのも嬉しいから、剣の稽古を付けること自体に問題はない。
だが、このタイミングで同時に話があったということは、ヤナの姪がヨウの剣の稽古に侍女として付き従うことになり、ケイと一緒になる時間があるということだ。
つまりは、遠回しな見合いだ。
「…陛下は、ずいぶんと彼の家に気を遣っていらっしゃる」
ヤナとヨウの手前、ケイは迂遠な言い方をするが、要するに、ヤナの実家との繋がりを強め過ぎではないか、と言いたいのだ。確かに実力者だが、一つの家との強い結びつきは、他との軋轢を生む。
「別にそういうわけではない。おまえが、より当家に利益をもたらす、たとえばトウ国の姫でも連れて来るのであれば、それでもかまわん」
「……」
「そういえば、トウ国の者を側に置いているそうだな」
「…それが何か」
「まあ、遊びはほどほどにしておけよ」
誰がどんな風に伝えたのかは知らないが、ろくでもない仕方なのはわかったので、見つけ次第締め上げようと思っているのを一切顔に出さずにケイは沈黙を貫く。
皇后と幼い王子の前なので、父が直接的な物言いをしなかっただけましか。
ヤナとヨウが退席するタイミングでケイも辞そうとすると、父に呼び止められた。
「ケイ、そのトウ国の者は使えそうか?」
先ほど終わったはずの話を再度持ち出すとは、何か気になることでもあるのかとケイは身構える。
「…使える、とは?」
「おまえが囲っているのだから、トウ国王家の者ではないのか」
「…わかりません」
父帝の耳に妙な噂を入れた奴、見つけたら本当にしばき倒す。と心に誓いながら、ケイは平静を装う。
「例の王子ということはないか?」
「…どうでしょうか。彼の国は、嫡男以外の情報は秘匿していますから、確かめようがありません」
「その者が、『平定者の目』であったとしてもかまわん。利用できるものは利用しろ。だが、もし我が国に仇をなすようなら、殺せ」
ケイは肯定も否定もせず、一礼して踵を返した。再び呼び止められないように、足早にその場を去る。一応、このような話を幼いヨウの前でしないだけの良識は父にもあるようだ。
「……そんな、自信…要らんよ…」
そう呟くトワに、ケイは手を伸ばす。
──初めてなんだ。
ケイの手がトワの頬に触れたことで、トワとケイは見つめ合うように互いを見合う。トワの大きな瞳に自分が映ったことに、そして柔らかな肌から伝わる温もりに、ケイは無意識にまなじりを緩める。
唇にケイの指先が触れて、トワがピクリと反応する。
口の端に付いたクリームを拭ったケイの親指が離れていくのを、トワはぼんやりと眺めていた。
その指先を、ケイがぺろりと舐める。
「…甘い」
何をしても絵になる男である。伏せた目に、形のいい唇から覗く赤い舌。少しかすれた低くて甘い声。
この男、無駄に顔がいいだけに質が悪い。
「……こんの天然王子! ビックリしたやん!」
いろんなことが一度に起きた気がして、混乱したトワは、とりあえず抗議の声を上げた。
「なん、今の!? 僕、キスでもされんのかと思たわ!」
「そんなことでおまえを繋ぎとめられるなら、いくらでもする」
「…は?」
まん丸お目目が落っこちそうなほどトワは目を見開く。
それから、少し考えて、手にしていたケーキの皿とフォークをテーブルに置き、ケイに向き直る。
「何かあったん?」
じっとケイの顔を見る。
「別に、何も」
露骨に視線を逸らされて、ケイの横顔だけが見える。
「嘘やん。ケイ、嘘つくの下手くそやねんから」
「初めて言われたぞ、そんなこと。たいてい、何を考えているかわからないって言われる」
「そんなん、ケイのおもてっかわしか見てへん奴の言葉やろ」
トワはケイの肩を掴んで自分のほうを向かせる。
「皇帝陛下になんか言われた?」
ケイの黒目が不安げに揺れる。ほら、ケイの目はこんなにもおしゃべりだ。
「俺は、おまえが何者であってもかまわない。でも、あの人にとってはそうじゃない」
利用価値のないものには、どこまででも冷酷になれる人だ。それが王として必要な資質なのだとしたら、そんなもの、欲しくない。
「…そら、王様やし、王子の側に訳わからん奴いたら、嫌やろ」
皇帝の言葉をケイが伝える気はなさそうなので、トワも聞かない。
「別にあの人は、俺のことを心配しているわけじゃない」
利用価値があれば、重宝される。せめて、無害なら、目こぼしされるだろう。
「──おまえが、真実だけを話しているとは思っていない」
失くした記憶、鹿の角の文様のペンダント、王宮での暮らしに困らない知識、防御に特化した剣術。霊獣との自然な接し方。
「でも、俺は、おまえなら、なんでもいいんだ」
のんびりとした話し方、柔らかな微笑み。緩く癖のある黒い髪、大きな瞳。当たり前のように隣にいて、些細な変化に気づいて、寄り添うように労わってくれる。
「……なんでもって、……それは、たとえ…僕が、間者かもしれなくても?」
「それと、おまえが大事なこととは別だ」
初めてなんだ。
誰かにこんなに側にいて欲しいと願うのは。
いつか離れていくかもなんて考えたくもない。




