21 噂
翌朝、目を覚ましたトワは、がっちり抱き枕状態だった。うん、まあ、なんていうか、朝起きて最初に見るのが男の寝顔っていうのもね。とびっきりの美人やけど。
寝顔まで美しいケイの美貌に見惚れることなく、トワは起こしにかかる。
「ケイ、起きて」
何度か背中を叩くが、起きる気配がないので、しゃーないな、と身をかがめて一気に頭を上げる。
「ぃだっ!?」
トワに顎を頭突きされて、ケイは変な声とともに目を開けた。
「おはようさん。よく眠れた?」
腕の中からトワに見上げられて、ケイは混乱する。
「??? ん? あれ? トワ、なんで? …あと、顎が痛い」
「僕がこの状態でいるのは、ぜんぶケイのせいやから。あと、顎が痛いのは頭突いたからや。僕の頭も痛いねんで」
冷静に言ってくるが、上目遣いで見てくるトワは大変可愛い。いやいや、そんなことより、男二人で抱き合って一つのベッドに眠っているのは異常事態だ。
「…えーと、俺、ゆうべなんかした?」
「したな」
「え?」
「人を抱き枕にしてぐーすか寝よって、おかげでこっちは変な体勢で腕痛い」
「…ごめん」
しゅんとして謝るケイは、まるで耳を垂れた猫である。最初に抱いていた不愛想な皇太子の印象はもうどこかに行ってしまった。
「このまま侍従さんを呼び込んで僕の身の潔白を訴えるのと、ケイからあとで説明するのと、どっちがいい?」
「…あとで説明する」
「わかった。じゃあ、いい加減手を離してくれる?」
トワに言われるまで無意識にトワを抱き締めていた腕をケイが慌てて解く。
「おまえ意外と酔うててんな。見た目変わらんから、気付かなかった。まあ、僕も酔っぱらってて、いろいろ面倒になったんやけど」
起き上がったトワはベッドを降り、服のしわを伸ばしつつ、ソファに向かう。
「僕ここで寝てたことにしよか? そのほうがええやろ」
ソファをぽんぽんと叩いてトワは提案する。「ああ」とケイは頷くが、ベッドに体は起こしたものの、まだ寝ぼけた顔でトワを見ている。
トワはテーブルに広げたままの皿を片付け始め、少しして、応接間に気配を感じて寝室のドアを開けた。
「入ってきて大丈夫ですよ」
ドアの向こうにトワが声を掛けると、恐る恐るといった感じで二人の侍従がドアから顔を出した。
「おはようございます。すみません、遅くなって。ゆうべ、飲みすぎてしまって、そのままソファで寝てしまったんです」
そう言いながら、トワは皿を片付ける。片づけを手伝う侍従に礼を言い、「片付けてる途中で眠くなっちゃったんですよね」と自然な流れで説明をする。
ベッドの上からその様子を見ていたケイは、それに乗ることにした。
「トワ」
座ったまま声を掛ける。やってきたトワに目配せをして、続きの台詞を言う。
「頭が痛い」
「だから言ったでしょう、飲みすぎだって」
心得たとばかりにトワは反応し、水を持ってきてケイに飲ませる。
それらの小芝居で事情を理解した侍従たちは、おそらくほっと胸をなでおろしたことだろう。
ケイの二日酔いは、まあ嘘なのだが、侍従も自分たちがトワに持たせた酒が原因だと思っているので、小言を言うこともないだろう。
ケイが二日酔いを申告したところで、お構いなしに仕事は降って湧く。ケイはいつもどおりに仕事に行った。
その間、トワもいつもどおりに侍従たちと仕事をするだけなのだが、微妙に居心地が悪い。侍従の一人が事件の犯人だったことも理由の一つだが、やはりこれは、トワの朝帰り事件が原因なのだろう。正確には、そのままケイの身支度と朝食まで付き合っているから、帰ってもいないのだが。
皇太子の部屋に従者が泊まるのは、いろいろ問題アリだ。トワもそれがわかっているから、ケイの腕から抜けようと試みた。面倒になって諦めたけど。
「僕、晩餐会用にお花の準備をしてきますね」
明日にはナム公子とその妹サーヤが帰国するため、今晩は送別の晩餐が予定されている。そこに飾る花は、サーヤが好きなピンク色のバラがメインと決まったので、摘み取りの役を買って出た。侍従の一人が一緒に行こうかと言ってくれたが、それを断って、体よく逃げた。
庭師の許可を得てバラを摘むトワの足元を、ちょこちょこと姫がついて回る。ちなみに昨夜は男二人にベッドを占領されたので、ベッドの端で寝ていた。ごめんやで、姫。
今日は多くの花が要るので、摘んだバラは花籠に入れていく。
「ほら、見ろよ、あれ」
「ああ、殿下の“お気に入り”」
バラ園近くの通路を通りがかった若い役人らしき男二人がトワを指差す。人を指差したらあきません、と思いつつ、トワは気付かぬふりをする。
「他人に興味のない王子が、ずいぶんご執心って話だ」
他人やったら、そら興味ないでしょうね。
「あの“氷の王子様”を、どうやってたらし込んだんだか」
おもろいあだ名付けてんな。上っ面しか見てへん奴の命名やな。
と、表面上は知らん顔で、トワはいちいち心の中でツッコミを入れていた。
「それで極めつけは、あれ。王子の侍従が嫉妬して事件を起こしたって」
「王子のご寵愛をめぐって侍従と従者の泥沼ってか」
ああ、これがロンの言っていた三文芝居の噂か。なるほど、ケイが聞かせたくなかったわけだ。出がけに侍従が同行を申し出てくれたのは、昨日ケイが護衛を付けてくれたのと同じ理由だったのだろうか。それならば悪いことをした。
「あの王子様、すました顔して、古くから仕えてる侍従と新入り、どっちともよろしくしてたってことだろ。お盛んなことで」
「そりゃあ、ナムの姫も嫁ぎたくないだろうな」
バラを摘む手を止めて、トワは顔を上げる。ケイを悪し様に言う男たちの顔をじっと凝視したものだから、相手とばっちり目が合った。
トワの透明な視線に、男たちは怯む。
感情が読めないトワの顔は、ケイの無機質な無表情とは異なり、どこか愁いを含んでいるようにも見える。それは神殿の女神像に汚れた手で触ってしまったような気分にさせて、男たちは、青ざめて赤面するという器用なことをやってのけた。
さわり、と風が吹いて、トワの髪を揺らす。
男たちは、それにビクリとして、さらにトワの背後を見て、怯えたように逃げ去って行った。
「噂では、トウ国の妖術を使ってケイをたぶらかしたとか」
振り向くと、ヤナが侍女を引き連れていた。ヤナの後ろにいる侍女が顔色を悪くしているから、その噂をヤナに教えたのは彼女で、まさかヤナが本人にそれをぶつけるとは思っていなかったのだろう。
「僕に妖術は使えません」
トウ国は、他国から見れば神秘のベールに包まれた国だから、そんな尾ひれも付くのかもしれない。
「あんな噂を立てられて、わたくしのところへ来ていればよかったと後悔したのではなくて?」
「ああいう人たちは、何をしても言いますよ」
皇后のもとにトワが行ったのなら、皇后に取り入ったと噂されるだけだ。
「噂を聞いて、なんとも思わないの?」
意外にも冷めた反応を返すトワに、思わずヤナは詰め寄った。
「下世話ですねぇ」
トワは感想を求められたから素直に答えただけだが、トウ国訛りで言われたそれが、ヤナには遥か高みから見下ろしているように聞こえた。
「…あなたのせいでしょ。あなたのせいで、こんな、ケイが揶揄されるような…」
「僕のせい、でもいいですけど」
皇后の話を遮るようなことは、本来は許されぬことだが、トワは気に留めた風でもなく続けた。
「皇后陛下は、殿下がただ手をこまねいていると思ってらっしゃるんですか?」
ヤナに向けられたトワの目は、最初に見たときと同じように澄んでいるけれど、今はその奥に深いものを感じる。
「何か対策があると言うの?」
「いえ、たぶん、あえての放置です。以前、あなたの噂が飛び交ったときのように」
「……」
昨日の今日で、あんな末端の、ケイのことをよく知らないような役人の端くれみたいな人間にまで、噂が行き渡っているのは、むしろ不自然だ。それならば、噂は故意に流布されたと考えるほうが自然だ。ケイがあんな噂を自分で流すわけがないから、流したのは“向こう”の陣営だろう。内容が下世話なほうがセンセーショナルに伝搬する。本来の理由を隠すにはうってつけだ。
ケイのほうでも、事件の真相などを語りたくはないから、あえて知らん顔をしたのだろう。そうすることで、彼の起こした事件は謀反ではなく痴情のもつれ程度で済む。
「そうすれば、彼の命は守れる。ひいては、あなたと、ヨウ王子を守ることにもなる」
大事なものを守るためなら、自分の名誉など顧みない。ケイはたぶん、そういう男だと、トワは理解している。
痴情も何も、彼のケイに対する感情はそういう類のものではないし、トワとケイの関係もそんなことは、これっぽっちもない。今朝の朝帰り事件で噂に真実味が加わってしまいそうだが、ケイはそれさえも利用しそうだ。
「…まるで、ケイの心を知ったふうね」
ケイが、彼にとって不利益な噂を放っておく理由には、心当たりがあるのだろう、ヤナは苦しそうに眉をひそめる。
「あなたが一番の理解者だとでも言いたいのかしら」
「そんなつもりはありません。ただ、僕は、真相をペラペラしゃべらない良識と覚悟はあるつもりですよ」
知っているけれど話さない。それはすべてケイのために。そう言われた気がして、ヤナは唇を噛みしめた。




