20 ナイトキャップ
寝室のテーブルに並べられた料理を見て、風呂上がりのケイが驚いたように聞いた。
「どうしたんだ、これ?」
「いや、僕もね、厨房の皆さんから軽食にって寄越されて。そんで、こっちは侍従さんたちからナイトキャップにって、お酒」
ケイの仕事はいつもより早く切り上げたようなのだが、その間、食事を取っていないと聞いたので、トワは厨房に軽食を頼んだ。ケイの風呂上りに合わせてもらいに行ったら、量がおかしい。多くないかと一応厨房に伝えたが、これは俺たちの気持ちだから持って行ってくれと頼まれた。トワも食べていいから、と。
酒のほうは、ケイの仕事終わりに合わせて、就寝準備を整えて自分の部屋を出ていくトワを、侍従たちが掴まえてナイトキャップ用にと寄越したものだ。だが、量がおかしい。本来、寝酒は寝入りをよくするために少量のアルコールを飲むはずだが、これではやけ酒の量である。多くないかと言ってみたが、俺たちの気持ちだから、トワも飲んでいいから、と押し付けられた。
というわけで、テーブルには軽食とは思えない量の料理が並び、何本もの酒瓶が用意されているので、宴会状態である。
「たぶん、みんなケイを元気づけたくて、その気持ちなんよ」
侍従が起こした事件は公にはなっていないが、宮中の人たちの耳には入っているのだろう。部隊が一つ動いたとなれば、隠し切れるはずもないことは、ケイも承知している。
「そうか」
ソファに座ったケイは、はにかんだような顔で料理と酒瓶を見つめた。その様子から、みんなの気持ちはケイに届いているのだとトワは理解した。
ケイはトワを見遣り、ソファの隣の席をポンポンと叩く。トワに座れ、という意味だ。
素直に隣に収まると、「有り難くいただこう。おまえも付き合え」とケイが言った。
料理はどれも美味しく、酒も高級なものばかりだった。トワは酒が弱いので、チビチビ舐める程度にしていたが、ケイはいける口のようで、けっこうなハイペースで飲んでいる。ちょっと酒量が多くないかと心配にもなるが、見た目に変化がないので、酔ってはいないのだろうか。
「あんな、僕、ケイに言わないといけないことがあってん」
そう切り出したトワに、ケイが視線で「何を?」と問いかける。
「侍従さんに会うたよ」
「あいつ、余計なことを…」
それがロンの差し金だとケイにはすぐに察しがついたらしい。
「将軍を叱らんといてな。会うって決めたんは僕やから」
そうトワに言われてしまうと、ケイはロンを責められない。
「うん」
続きを促すようにケイは相槌を打つ。
「あんな、侍従さんな、ケイのことが大好きやねん。これだけは絶対、ほんと」
「…わかっている」
グイっと酒を飲み干して、ケイは小さく言った。
「侍従さんは、ケイを裏切るつもりなんてなくて、ケイのためなら命を差し出してもいいって…」
「いらん、そんなもの」
抑揚のない低い声が返って来る。
「そんなものより、側で働く人間のほうがよほど役に立つ」
その口調と言葉は、まるで切り捨てるようで、言葉足らずというか言葉のチョイスが上手くないというか。言葉だけを取れば、人の命をなんとも思わないような冷たい印象を与える。
その上、ケイは無表情だ。
ケイの側にいて、トワには、彼の無表情は二種類あることがわかって来た。ひとつは、本当に何も考えていないとき。もうひとつは、自分の感情を悟られまいと押し込めているとき。
今は後者だ。
「命なんか差し出さんでええから、側にいて欲しかってんな?」
ケイの言葉の意味を確認すれば、こくんと小さく頷いた。
その小さな子どもみたいな仕種に、トワは微笑む。
侍従だった彼が、なぜケイがトワだけに寝室に入ることを許すのかと言っていたが、たぶん、こういうことなのだろう。
侍従に一人での入室を認めないのは、過去に襲われたのが理由かもしれない。だが、そもそも、あまり寝室に立ち入られたくないのは、おそらく、表では常に凛とした皇太子を務めているケイには、皇太子でいる必要のない空間が必要で、それが寝室だったのだ。
その寝室に入るのは、ケイを皇太子として見る必要のない人物。ケイが皇太子として振る舞う必要のない相手。
つまり、トワである。
「僕には愚痴をこぼしてもええねんで? そのためにここにいるんやから」
トワを見遣るケイの目は、大きな黒目が潤んでいるようで、母親に甘える子どものような顔をするから、抱き締めてやりたくなる。
「……あいつは、ばかだ」
ケイはソファの上に片足を引き寄せ、両手で抱え込んでその膝に顎を乗せる。
「俺のことが好きなら、ずっと側にいればいいものを。なんでわざわざ離れていくんだ」
ケイもわかっているのだ。侍従が好んでケイを裏切るような真似をしたのではないことを。ヤナの言葉を遮ったことからわかるように、ケイもその可能性を考慮している。だが、なんの確証もないし、真相を暴いたところで誰も幸せにならない。
だからと言って、事件を起こした人間を野放しにすることはできない。それは国の秩序に関わる。
ケイは、膝の上に腕を置いて、そこに突っ伏した。
「…だいたいあいつは、小さい頃から日和見で変なところで空気を読むっていうか、人の顔色ばっかりうかがって、おまえはどうしたいんだって聞いても俺やヤナの言うとおりでいいとか言いやがって、だから俺はおまえがどうしたいか聞いているのに…」
例のお経のような調子で文句を言っていたケイが、急に静かになった。
「ケイ?」
様子をうかがうと、自分の腕に突っ伏したまま、ケイは目をつぶっていた。寝たな、こりゃ。ケイが手にしたままだった酒のグラスを取り上げて、テーブルに置く。
しばらくそのまま寝ていたケイが、もぞもぞと動いてソファに丸まった。猫が寝ているみたいなその寝方は可愛いが、疲れているだろうからちゃんと寝てほしい。
仕方なくトワは立ち上がり、ベッドの上掛けをめくる。戻ってきて、今度はソファの上にケイを仰向けにする。わきの下あたりと膝裏に腕を通して抱き上げる。昼間ケイがやってくれたのと反対である。トワにだって、ケイをベッドに運ぶくらいの力はある。
ゆっくりと慎重にケイをベッドに運んで寝かせる。ほっと息をついたその瞬間、ガッとケイの腕がトワの首に回る。そのままベッドに引き込まれ、声を上げる暇もなく抱き込まれた。
ケイの胸に頭を抱えられる形になって、トワはジタバタとしてみる。
「は? え? ちょっと、ケイ!? 離して」
何度か背中や脇腹を叩くが、目は閉じられたままだ。ぎゅうと抱き締める手が離される気配もない。
こいつ、抱き枕かなんかと勘違いしてへんか。
すうすうと安らかな寝息が少し上から聞こえてくるので、どついたろかと思っていた気も削がれる。だんだん、仔猫がお気に入りのぬいぐるみを抱きかかえて眠っているのを見ているみたいな気がしてくる。
トワも酔っぱらっていたから、なんだかどうでもよくなって、もう抵抗する気にもならなくて溜め息とともに体の力を抜いた。
「もう、どうなっても知らへんからな」
ここでこのまま眠ることに伴う面倒ごとはいくつも思いつくが、正直トワの眠気もピークだった。すべてをケイのせいにして、トワは目をつぶる。
不思議な感覚だった。なぜかケイの匂いは無性に懐かしい。その香りに包まれて眠るのは、心地がよかった。




