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19 友情

 牢から戻って来たトワを、待っていたロンが少し安堵したように迎えた。

「どうだった?」

「話したら意味がないのでは?」

 短剣をロンに返しながらトワは答える。

「そりゃ、まあ、そうだけどよ」

「侍従さんが殿下を好きだってことだけは伝えますよ」

「ああ…、あいつなぁ、子どもの頃からケイを好きだったからなぁ」

「お知り合いですか?」

「…まあ、幼馴染みたいなもんかな。俺はケイの剣術の稽古仲間で、ヤナはケイの婚約者で、あいつはヤナの従者」

 ずっと続くと思っていた関係性は、年を取るにつれて変化していった。ロンとケイの友人関係は続いているが、仕事上ではどうしても皇太子と臣下になってしまう。そして、ヤナの立場の変化で彼らはケイとの関係を変えざるを得なかった。

 そこへきて、トワの登場である。

「ケイがおまえを気に入っているのは一目瞭然だったから、あいつも複雑な気持ちだっただろう」

 そんなことを言われても、トワの知ったことではない。

「侍従さんの事情なんて知りません。可哀そうなのは殿下です」

 彼らの関係性や気持ちに、バランスを崩すような衝撃を与えたのはトワの存在かもしれない。けれど、きっかけはどうあれ、決断したのは彼自身だ。

 幼い頃からの馴染みである侍従を失うケイの心中はいかばかりか。

 自分がこんなことを言える立場ではないことは重々承知の上で、しかしトワは、そう思わずにはいられなかった。

「ケイは立場上、こんなことには慣れている。だから、小さい頃から、どこか人を信用していないし、完全には警戒を解かない」

 幼い頃からケイを見てきたロンには、ケイの諦めのようなものが伝わっていた。仕事では、その人の能力を信用して任せるということを、ごく自然にやってのけるケイだが、心の面では常に鎧をまとっている気がする。

「……『悲しい』に、慣れるなんてこと、ありませんよ」

 伏し目がちに呟くトワの声は、優しくて、哀しい。少し震えるその声に、長い睫毛に隠れる瞳から、零れるものがありはしないかとロンはハラハラした。そんなことになったら、直接の原因が自分になくても、ケイに怒られる気がする。

 手懐けるのに時間が掛かる猫のようなところのあるケイが、こんなに短期間で他人を懐に入れたことが不思議だったが、トワのこういう、人の心にそっと寄り添うところが、ケイを癒しているのかもしれない。


 だから、あんな顔をするのか。


 サーヤを助け出したあとで見た、トワに向けるケイの顔は、今思い出してもソワソワしてしまう。


 あんな、砂糖菓子みたいな顔、戦場で会った奴ならみんなブッ飛ぶぞ。


 赤夜叉、と恐れられる戦場でのケイは、鬼気迫るものがある。その強さとは裏腹に、表情に感情が出ないところが恐ろしい。

 今回も、あの塔で侍従と対峙した後なら、ケイのささくれだった気持ちと反対に無表情を貫いていてもおかしくなかった。それなのに、塔の階段を降りるケイは、終始トワを気遣っていて、塔を見上げて話す二人の様子は、まるで世間話をしているようで、トワに向けるケイの優しい表情に、ロンの部隊の隊員たちは驚いていた。

 長年の友人として、ロンはケイのいろんな表情を見てきたという自負がある。そのロンでも、驚くほどの出来事だった。

 軍にいるときに、あの顔はしてほしくない。切実に。気の迷いを起こす奴が絶対出てくるから。


「──トワ、おまえは、裏切るなよ」


 目を上げたトワと、ロンの真剣なまなざしが交差した。トワは何も言わず、ただ小さく微笑んだ。

 それから、「あ」と思い出したように声を発した。

「そういえば、殿下の婚約者だったヤナさまが皇后陛下になられた事情ってなんです?」

 侍従もロンも、“ケイの婚約者だったヤナが皇后になった”ということに関しては周知のことのように言うから、隠していることではないのだろう。

「…ああ、それは、俺たちが戦場に行っている間に決まっていたことだから、俺も詳しくは知らないんだが、ヤナの父親の画策だろうな」

 それはまだ近隣諸国とコウ国が頻繁に戦をしていた頃のこと。その当時の皇后であるケイの母親が病に倒れて亡くなった。母の喪も明けきらぬうちに、ケイは戦場に行かざるを得なくなり、国を離れた。そして、ケイが戦場から帰って来ると、婚約者だったはずのヤナが皇后になることが決まっていた。

「その当時は近隣との関係も不安定で、ケイが戦場に出ることも多かったから、まだ結婚なんて状況でもなかったし。そもそもケイが死んだらヤナを婚約者にした意味ないしな」

 娘を王子に差し出す一番の理由は、自分の血を引く人間を皇帝にするためだ。いずれ皇帝となる皇太子の妻に娘がなり、その子どもが皇帝になれば、皇帝の外祖父として権力を得られる。つまり、子をなす前に皇太子が死んでしまっては意味がない。それなら、皇后を失った存命の皇帝に娘を差し出したほうが早いということだ。

「でもそんな、息子の婚約者を妻にするなんて…」

「国内の情勢を安定させるためにも皇后は必要で、でも皇后にふさわしい身分の女なんてすぐに見つかるわけないし、それじゃあヤナが適任だろうってことになったらしい。少なからず、ヤナの親父さんの力は働いてるだろうがな」

 ヤナは、もともと皇后になるべくして育てられた娘である。その嫁ぎ先が現皇帝になろうが、次期皇帝だろうが、父親にとっては大差なかったのだろう。

「殿下は、自分の婚約者を父親に取られて何も言わなかったんですか?」

「…まあ、言いたいことはあったろうが、あいつはそういうとこ、淡泊っていうか。黙って我慢しちゃうというか」

 当時、皇太子の婚約者から皇后へ鞍替えしたヤナへのバッシングも勿論あったが、どちらかというと、「婚約者に裏切られた哀れな王子」とか「婚約者を父親に盗られた可哀そうな王子」というほうが噂の主流であった気がする。ヤナのほうは父親が力でねじ伏せ、ケイのほうは本人が放置したから助長されたのだろうとロンは思っている。

「損な性分なんだよなぁ」

 噂を放置したのは、ヤナへのバッシングを鎮火させる目的があったのではないかとロンは踏んでいる。人間関係を諦めているくせに、そういうところで優しいから損な役回りばかり引き受ける。

 結局、ケイはロンに少し愚痴をこぼしただけで、正式には何も抗議をしなかった。

「で、ヤナはヤナで、そんな態度のケイに、自分のことなどどうでもよかったんだと拗ねてな。だからほら、あいつらギクシャクしてるだろ」

「……いろいろ腑に落ちました」

 今までのあれやこれやが、ああ、これが原因だったのかとなんとなく理解できた。

「ありがとうございました。では、僕は戻ります」

「ああ」

 一礼してドアを出ていくトワを、ロンは見送った。この時、彼の戻る先が、ケイの元だと疑わなかった自分に気づき、ロンは驚いた。

 不思議な男だ。まるで、ずっと前からそうしていたかのように、ケイの隣に収まってしまった。皇太子の“隣”というのも奇妙な表現だ。普通は、その隣に立つ者はいないはずで、せいぜい妻がそうした言い方をされるくらいなのに。従者であるトワが、皇太子に並び立つはずもないのに、どうしてかトワのポジションは、ケイの“隣”に感じるのだ。

「…なんつーか、それを望んでるような気がするんだよなぁ…」

 ロンは頭を掻きながら、そんな小さな呟きをこぼした。

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