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17 寝室

 ドアの外で声がして、ただならぬ気配にトワは体を起こす。声の主は女性と男性だ。ケイのほうでも、事態を察知してドアに顔を向ける。

「お待ちください、皇后陛下!」

 護衛騎士の制止を無視してドアが開き、皇后が現れる。急いで来たのか、息が上がり、髪も少し乱れているようだ。

「ケイっ…!」

 何かを訴えるようにケイの名を呼びながら入ってきた皇后は、ソファの上にいるトワとケイに、驚いたように目を見開く。なにしろトワはシャツ一枚しか羽織っていないし、さっきまで寝転がっていたから髪も乱れている。トワの足側にケイが浅く腰かけているだけというのも、皇太子と従者の図としては大変おかしい。

「…何を、しているの?」

 その声音に非難の色を感じ取ってトワは思わずビクリとする。

「何か御用ですか」

 シャツの前がはだけているトワを隠すように、ケイはトワを背に庇う位置に立つ。

「ケイ、あなた、こんな時に…っ」

「怪我の手当てをしていただけです」

 遮るようにそう言って、ケイはトワを振り向く。

「寝室に行ってろ」

 そう言われたら、トワは従うしかないので、頷いてソファから降りる。皇后に肌が見えないようにシャツの身ごろを掻き合わせて皇后に黙礼し、寝室に引っ込む。

「寝室って…。ケイ、あなた、まさか本当にトワと…?」

「皇后ともあろう者が噂を鵜呑みにするな。俺が男色でないことは、おまえが一番よく知っているだろう」

 寝室のドアを隔てても、トワには二人の声が聞こえてくる。

 今まではよそよそしいほど丁寧だった皇后に対するケイの口調が、随分と砕けている。皇后のケイに対する態度といい、二人は以前から親しかったのだろうと推測できた。ただ、それを他人行儀にする理由があるのだ。

「そうね、わたしと婚約していたときも、何度も寝室に女中をはべらせていたものね!」

「突っ掛かる言い方をするな。あれは忍び込まれただけだ」

「そんなこと言って、据え膳が来たら美味しくいただいてたんじゃないの?」

「いただいてねぇ! あちこちに子種をばらまいてたら面倒なことになるだろ」

 ええと、情報量が多すぎて処理が追いつかない。

 ドア越しにトワは頭を抱える。その様子を見て、起きていたらしい姫が心配そうに足元にやってきた。トワは姫を抱き上げる。

「子種って…、女に対して口にするもんじゃないわよ。あなたのそういう、デリカシーのないところ、ほんと嫌だ!」

「なんなんだ、おまえは? ただ俺に文句言いに来たのか。それとも昔のことを蒸し返しに来たのか」

「違うわよ。だけど、あなた、昔侍従に命を狙われてから、寝室に人を入れるのを嫌ってたじゃない」

 朝はケイを起こすために侍従が複数人で入室していたが、現在はトワが一人で起こしている。昼間はケイの不在時に掃除係の女中が入る。ただし、過去にやらかした女中がいるため侍従の監視付きだ。夜はトワ以外は入れない。

 つまり、ケイがいてもいなくても、自由に寝室に入れるのはトワ一人だけということになる。トワが一人で寝室に入ることをケイが許した時、侍従たちは内心驚いたものだ。

「なのに、あんな、得体の知れない人を入れるなんて」

「そいつを王子の教育係にしようとしたくせにか」

 ケイの皮肉に皇后は口ごもる。あれはトワがどうこうというよりは、ケイに対する当てつけのようなものなのだろう。

「と、とにかく、あなたはトワに対して特別扱いが過ぎるわ」

「特別扱い?」

「無自覚なの? 怖っ」

 言いながら、ヤナの頭に浮かんだのは、庭の散策の際に目撃した光景だった。


 ──無自覚に、あんな顔をするなんて。

 しゃがんでドラゴンを遊ばせるトワを見守るケイの顔は、見たことがないくらい穏やかで、甘やかだった。


 過去には、ケイはヤナにだって優しくしてくれたが、あんな顔、見たことがない。

「そんなだから、変な噂が出回るのよ」

「ヤナ、いい加減怒るぞ」

 そう言いながらも、怒りよりも呆れを含んでいる。

「皇后が元婚約者の部屋を訪れるなんて危険を冒して、そんなことを言いに来たのか」

 兄が聞き分けのない妹に言い含めるような、そんな口調だ。

「あいつのことで来たんだろう?」

 わかっているよ、と言うような優しい声だった。

「…そうよ。あの子がこんな大それたことするはずないもの。あなただって小さい頃から知ってるでしょ。わたしが王宮に来るときにはたいてい一緒に来ていたから」

 ヤナがケイの元を慌てて訪れた理由。それは、今回の事件の首謀者として捕えられた侍従に他ならなかった。

「ああ。おまえの家の傍系の息子で、おまえの従者をしていたんだったな」

「あの頃からあの子はあなたに憧れていたんだから、きっと何か理由があるのよ。でなきゃ、こんな事件を起こすなんてしないわ。あんなことして、あなたのためにならないことが、わからない子じゃないもの」

 ヤナは懸命に言い募る。意外と饒舌なんだなとトワはドア越しに聞いていた。

「きっと父が」

「ヤナ」

 名前を呼んでケイがその先を遮る。

「それ以上は言うな。おまえの言葉は、おまえが思っているよりも力を持つ」

 ヤナが口を引き結ぶ。

「幼い頃から可愛がっていたから、庇いたくなるのはわかる。だが、犯した罪の分は罰を受けてもらわねばならない」

「あの子も、あの時の侍従みたいに殺すの?」

「あれは俺を殺そうとしただろう。今回はそこまでの罪は犯していない。トワに感謝するんだな。俺を庇って、怪我までしたんだぞ」

 ケイの言葉は嘘ではないが正確ではない。トワが怪我をしたのは降ってくるケイを受け止めるためであって、侍従からケイを庇うためではない。

 ただ、トワが侍従を止めたお陰で、結果的に、侍従はケイの命を狙ったという罪には問われないことになったのは事実だ。

「…悪かったわよ」

 ヤナは真相までは知らないだろうが、ケイの発言がトワに対するヤナの認識を諫めていることは伝わったのだろう。

「でも、トワが何者か知れないのは本当のことでしょう」

 ヤナが寝室にいるトワに自分の声が聞こえていることを認識しているかどうかは、トワにはわからない。だが、おそらく、聞こえてもいいと思って言っている。これは、ケイに対して自分が心配していることの表明であり、トワに対する牽制なのだ。

「トワが何者かは、俺にとっては重要ではない」

 それなのに、返すケイの声はきっぱりとしている。

「皇太子ともあろう者が、素性の知れない者を近くに置くのはどうかと思うわよ」

「おまえも…」

 そいつのことを王子の教育係にしようとしていただろうと言ってしまうと、ずっと同じ話をループしてしまいそうなので、ケイは途中でやめた。

「おまえの心配もわかるが、トワは俺に害をなさない」

「どうしてそう言い切れるのよ」

「トワは何をしても可愛い」

「…………はあ? ばっかじゃないの⁉ あなたのそういうところ、ほんっとに嫌だ!」

 呆れと怒りをかき混ぜて丸めて投げつけるように言って、ヤナは皇后にしては少々乱暴にドアを閉めて部屋を出ていった。

 聞いていただけのトワでさえ、どうかと思う発言だ。心配したのにあんな返答をされれば、ヤナが怒るのも当然だろう。

 さて、ヤナが去った今、トワは寝室を出ていくべきか、出ていかないべきか。それが問題だ。


 その前に、ケイの気配が近づいて来る。どうしていいかわからないトワは、思わず寝室のソファに寝たふりをした。皇太子が皇后と話をしている間に皇太子の部屋でうたた寝する従者など、本来許されるものではないが、トワがそうしてもケイには怒られない自信があった。あんな台詞を真顔で吐く王子様である。

 寝室のドアを開けてケイが入ってくる。

「トワ? 寝ちゃったのか」

 ソファに横たわるトワを覗き込む気配がする。背もたれのほうを向いているので顔は見られないはずだ。

「疲れたかな」

 トワの腕の中からケイを見上げた姫にケイが話しかける。トワは姫を抱えたままだったのだ。

 さらにケイの気配が近づいてトワはドキリとする。鼻腔をかすめる懐かしい匂い。背中と膝の裏に感触があったと思ったら、ふわりと体が浮いた。


 ……これは、お姫様抱っこ状態……⁉


 恥ずかしいことこの上ないが、寝ている設定なので拒否もできない。体の緊張を悟られないように力を抜く。少しの間の浮遊感を経て、今度はそっと降ろされた。背中の感触と距離からして、これはベッド。どこの世界に、自分のベッドに、仮とはいえ、従者を寝かせる王子がいるというのだろう。

 シャラリと音がして、トワのペンダントがこぼれた。シャツのボタンは留め直してはいたが、寝かされた時のバランスで出てきてしまったのだろう。さっきは半裸だったわけで、既にケイには見られているのだが、なんとなく、このペンダントをしているのを見られるのは緊張する。

 ケイの指がトワの首に触れる。そのままするりとペンダントのチェーンをすくいあげて、ケイの手にペンダントトップが収まる。ロケットには、桜の花びらと鹿の角をかたどった文様が刻まれている。

 それを見つめるケイの黒い瞳は、伏せられた睫毛の影で表情が読めない。もっとも、トワは目を閉じているので、元より見えないのだが。

 やがて、ケイはペンダントをトワのシャツの中に戻し、ご丁寧に掛け布団まで掛けて、出ていってしまった。

 足音が遠ざかり、ケイが廊下に出ていくのを確認してから、トワは目を開けた。

 ケイの香りがする柔らかなベッドに包まれて、トワは迷子の子どものように目を潤ませて頭を抱えた。心配した姫が頬をすり寄せる。

「…姫、僕、どないしよ…」

 姫を抱きしめることで、トワはこのまま安心感に包まれて眠ってしまいそうになる自分を律した。

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