16 かくしごと
王宮に帰るとケイは、「おまえは俺に説教があるだろう」とトワだけを伴って自室に入った。今日はサーヤたちの捜索に時間を費やしているから仕事はまだ残っているはずで、まっすぐ自室に戻るのは珍しいと思ったが、何も言わずにトワは従う。
眠っている姫を寝室のベッドに寝かせてきたトワを待っていたように、
「はい、じゃあ、トワさん、説教をどうぞ」
と、応接間のソファにどかりと座ってケイはそんなことを言う。
ケイの様子がいつもと違うことは感じ取れるのに、どうやって甘やかしてやったらいいのかわからない。下手に慰めても、ケイはそれを受け入れないだろう。
「じゃあ、言うけど、姫に掴まって天窓から登場するとか、無茶が過ぎるわ。だいたい、一人で乗り込むなんて絶対ダメや。ケイは強いかもしらんけど、相手が何人いるかわからんやろ。今回はたまたま少なかったからよかっただけや。むちゃくちゃすんなや」
だから、結局はいつもどおりに接するしかない。
「そもそも、サーヤさまを囮にするなんて問題大アリや。なんかあったら国際問題やろ」
むろん、何かあったとしても、それをもみ消してねじ伏せるほどの国力の差がコウ国とナム公国にはある。仮に今回サーヤが死んだとて、ケイには事故死として処理できるだけの権力がある。
「すまん」
一応、という感じで謝るケイに、トワはため息を吐く。
「あのお姫さんのこと、けっこう気に入ってるやろ」
だから彼女に何かあれば、表面上はどうあれ、ケイは責任を感じてしまうだろう。そういう意図で言ったのに、ケイから返ってきたのは、思いも寄らないものだった。
「妬いてるのか?」
「なんでそうなるん?」
咄嗟にそう言い返したが、にやにやしながらケイはトワを見上げる。そして、目の前に立っていたトワの腕を掴み、ソファに引き寄せる。腕を引いてトワをソファに座らせると、ケイが立ち上がる。
「おまえにやきもちを焼かれるのは気分がいいな」
右膝をトワの脚の横のソファの座面に乗せ、左手をトワの肩の横のソファの背もたれに置いたケイが見下ろす。トワはケイとソファに囲われる体勢になっている。
「で、説教は終わりってことでいいか?」
「え、うん…」
状況が飲み込めないまま、なんとなく返事をする。
「じゃあ、トワ、服を脱げ」
「はあ? なんで?」
急な展開にトワは素っ頓狂な声を上げる。
トワをソファの背もたれに押し付けて、ケイはトワのシャツに手を掛ける。トワは懸命に抵抗するが、ケイの力にかなうわけもない。見る見るうちにトワのシャツは乱れていく。
「ちょっ…、ケイ、やめ…っ」
「おとなしくしろ。暴れると痛いぞ」
思わず足をばたつかせたトワはテーブルを蹴ってしまい、大きな音がなる。何事かあったのかと、素早いノックのあと護衛騎士がドアを開けた。反射的にケイとトワはドアを見やる。一瞬、トワはドアの隙間の騎士と目が合ったが、黙ってドアを閉められた。
…見られた。閉められた。
「ちょっと! 今! 確実に誤解されたっ!」
ドアを指差してトワはわめいた。だいたい、なんで今日に限って寝室じゃなくて応接間のソファでなんやかんや始めたのか(たぶん寝室は姫が寝ているから。)とトワは抗議するが、ケイは顔色一つ変えない。
「うるさい。素直に言うことを聞かないおまえが悪い」
ええ!? 俺のせい!?
何事もなかったかのように作業は再開されて、無遠慮にケイの手がトワのシャツの隙間から侵入してくる。
「……っ!」
触られたくない箇所に手が伸びて、トワは身を硬くする。
「ほらな」
めくられたシャツの腹のあたりにケイの顔があるから、直接ケイの声が腹に響くようでいたたまれない。
「なんだこの怪我は?」
ケイの目の前に曝されたトワの左わき腹には、大きな痣があった。
「…なんで気づいたん?」
塔を出る時も、帰りの馬車でも、王宮に着いてからも、気づかれないように細心の注意を払っていたのに。
「歩くときに左側を庇ってるみたいだったからな」
…よく見ている。
「誰にやられた?」
真剣なまなざしで詰め寄るケイに、トワはデジャヴを感じる。
どこかで見たことあると思ったら、これ、オカンやん。子どもが怪我して帰って来た時のオカンみたいな。
「おまえは、今は俺のものだ。勝手に傷をつけるな」
「ええ、むちゃくちゃ言うやん」
「言え。誰にやられた?」
すごむほどの威圧感で迫ってくるから、思わず胸を押し返した。
「ていうか、おまえや、おまえ! 空から降ってくるからや!」
天窓から飛び降りてきたケイを受け止めようと下敷きになった時の打ち身である。
「あのときの…。すまん」
状況を思い出したのか、ケイがバツの悪そうな顔をする。今度は本当に反省している謝り方だった。
「……っ、ケイ」
か細い声がトワの口からこぼれる。こわばる体の熱を逃がす先を求めて、思わずケイの肩口の服を掴む。
「痛い? 少し我慢しろ。じきによくなる」
心配そうにケイがトワを見上げる。
「…じゃなくて、もっと強くていい…」
「うん? 優しくするよ?」
もう、なんで時々言葉遣い可愛くなんねん。ていうか、今それ…
「……っ!」
ケイの手がトワの肌を滑り、腰をなぞる。
顔を真っ赤にして息を詰めて耐えていたトワだったが、とうとう我慢できずに声を上げた。
「…~~~~っこしょばい!」
同時にケイの手を遠ざけようと足を振り上げる。
「薬塗るんやったら、もっとガーッとやってザーッとやらんかい!」
蹴り上げたトワの足を片手で受け止めて、ケイは「あっはっは」と声を上げて笑う。ケイがこんなに大きな口を開けて笑うのを初めて見た。
ケイが笑ってくれて、安心した。
「だいたい、軟膏なら自分で塗れる!」
打ち身によく効く薬があるとケイが軟膏を持って来てトワに塗り始めたのだが、触れる手つきが優しすぎて、トワはずっとくすぐったいのを堪えていなければならなかった。
「背中は自分じゃ無理だろう。それに、これは触診も兼ねてるからな」
ケイは戦場に出るので、多少は医学の心得があるのだろう。ちなみに、内出血は、左脇腹から腰に掛けて、かなり広範囲である。
「打ち身以外はないみたいだ。悪かったな」
トワから手を離して、ケイは軟膏を塗っていた手を拭く。後半の謝罪は、トワを下敷きにしたことに対してらしい。
「よく頑張った」
それから、ふわりと笑ってケイはトワの頭を撫でた。
幼い弟にするみたいなそれに、気恥ずかしいようなむず痒いような心持ちがして、トワはふいと視線を逸らす。
「皇太子殿下に怪我の手当てをしてもらうなんて、畏れ多いわ」
言ってから、しまった、と思った。
「トワ、おまえは、俺の臣下ではない」
繰り返し、ケイはそう言ってきたではないか。
「おまえは俺に気兼ねする必要はないし、気後れする必要もない。おまえは、俺を叱り飛ばしていいし、俺を蹴飛ばしてもいいし、こき使ってもいいんだ」
…なんか、すげえこと許可されたんですけど。
ちらりとケイを見遣ると、きらめく黒い瞳がじっとこちらを見ていた。それは、小動物を愛でるような。あるいは、母親を見つめる子どものような無垢さで。
怖いくらいの信頼を、ケイはいつでもトワに向けている。
「…ケイ、僕をそんなに信用したらあかん」
思わず、その視線から逃れたくて、そんなことを言った。
「なんで?」
「なんでって…、僕はどこの誰かもわかれへんわけやし…」
本当の理由なんて答えられるはずがない。答えれば、ケイの側にはいられなくなる。
「…ケイは、どうしてそんなに僕を大事にしてくれるの?」
どこの誰とも知れない怪しさまんてんのトワのことを、ケイは最初から不思議なくらい丁重に扱っている。
「おまえと出会ったのは、運命だと思ったから」
不意打ちの王子様発言に、トワは顔を両手で覆って、ずるずると力なくソファに倒れ込む。
「トワ?」
顔を覗き込んで来ようとするケイの視線から逃れるために背を向ける。こんな顔、見られたくない。きっと真っ赤になっている。
「もう、いやや、この王子…」
涙が溢れてきて、なんとか堪える。
ケイから注がれるのは、いつでも純粋な興味と愛情。それがわからないほど、トワは鈍くない。
だからこそ、トワはケイに後ろめたくて、同じように返せない。
二人が出会ったのは、必然なのだ。
トワがケイに、会いに来たのだから。




