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14 本当の怪人

「わたしはこの城に住まう怪人。今宵、そなたらを地獄の入口へ案内しよう」

 シャンデリアの上で、フードを被った男が声高らかに名乗る。城の舞踏会に出席している者たちは、逃げまどい混乱を極める。その中で一人、呆然と怪人を見上げるのは、この物語の主人公である小国の姫君だ。

 舞台ステージを食い入るように見つめるサーヤの横顔をトワはそっと盗み見る。


「トワ、わたくしは、何をすればいいのかしら?」

 この劇場に来る間の馬車の中で、サーヤはトワにそう聞いてきた。ケイの名代としてサーヤに同行するトワは同じ馬車に乗ることを許されたのだ。

「普通に観劇すればいいと思いますよ」

 そうトワは答えたが、サーヤは緊張した面持ちで頬に手を添える。

「いえ、あの話の流れなら、わたくしは殿下の交渉相手にふさわしいか試されているのだわ」

 頭にチョウチョは飛んでいるが、バカではないらしい。

 事前にトワはケイからいくつかの指示を受けている。トワはケイの臣下ではないから、嫌ならやらなくていいという注釈付きでだ。トワはやると答えた。トワの知るケイは、子どもみたいに好奇心旺盛な天然だが、皇太子という立場でのケイは為政者としての顔を持っている。それを知るいい機会だと思った。それを知ることが必要だと思った。

「お姫さんも気の毒やな」

 トワの呟きに、ケイはニヤリと笑ってこう返した。

「せいぜい役に立ってもらう」

 トワにはやるかどうかを尋ねるのに、サーヤには選択権を与えるつもりは毛頭ないのだ。


 舞台上では、姫君が怪人と心を通わせ、怪人にとってはわずかな幸福の時が訪れる。

「さあ、姫君、今宵は素晴らしい月夜です。月明かりのダンスと洒落込みましょう」

 怪人の台詞に、ああ、これだったのかとトワは思う。トワが舞踏会でケイに言わせた台詞だ。初めてこの舞台を見るトワがこの台詞を知っていたのは、むろん城の女中たちが話していたからだ。

 トワが城の女中たちの噂話で聞いた物語の設定はこうだ。とある小国の姫君は、国を守るために、異国の金持ちの父親以上に年の離れた貴族に嫁ぐことを決められていた。その結婚相手を招いて、城で舞踏会が開かれる。そこに現れたのが、かねてより姫がひそかに友情を育んでいた城の亡霊ファントムである。怪人は姫の結婚を阻止すべく、舞踏会を混乱と恐怖に陥れる。

 怪人は姫をずっと恋い慕っており、この混乱に乗じて姫を手に入れようとする。ところが、舞踏会で姫は他国の王子と運命的な出会いを果たし、恋に落ちる。

 最終的に、姫は王子と結ばれ、怪人は失意の中でこの世を去る。


 国の事情で結婚相手を決められてしまう主人公の姫君を、どんな思いでサーヤが観ているかはトワにはわからない。彼女もまさに、国に振り回される小国の姫君なのだ。

 ただ、物語の荘厳で壮麗な音楽と舞台には惹き込まれたようで、一幕が終わると、サーヤはうっとりと息を漏らした。この貴賓席ロイヤルボックスはケイの侍従が用意したもので、ケイの名代であるトワとは別に、彼も同行している。

「サーヤさま、いかがですか?」

「ええ、とっても素敵です」

「それはようございました」

 貴賓席には、サーヤとトワ、侍従と数名の護衛騎士だけが入っている。トワは注意深く様子を探りながら、サーヤと侍従の会話を聞いている。

 そして、隣のサーヤの身体から力が抜けるのを感じる。この香りは眠り薬だな、とポケットに手を伸ばしながらトワも目を閉じる。このあとの二幕で、王子と怪人との対決、怪人、姫君、王子の三重唱、そして怪人と姫君の二重唱といったクライマックスを経て、女中たちが絶賛していた、怪人の別れの独唱アリアがあるというのに。



 次にトワが両目を開けたのは、劇場の貴賓席ではなかった。石造りの簡素な部屋に寝転がされているサーヤの姿が見える。自分も同じように横たわって後ろ手に縛られている。

 侍従に自分の覚醒を知らせるべきだろうかと考えて、まだ早いかと思い直す。周辺の音に耳を澄ませながら、トワはタイミングを待つ。待っている間に、袖口に隠し持っていた、針程度の大きさで小さな刃のついた刃物で腕を拘束する縄を傷つける。もちろん、自分の背後には壁しかないことを確認したうえでのことだ。

「目が覚めましたか、姫君?」

 その声にトワも起きたばかりのように目を開ける。

「あなたは…! どうしてこんなことを? わたくしを攫ってなんになるというの?」

 辺りを見回して状況を理解したらしいサーヤは、姫君らしい凛とした表情で、しかし心底困惑しているような声で言った。

「あなたさまのような力を持たぬお嬢さまは、殿下の妃にふさわしくないとお伝えしようと思いまして」

「そんなことは承知しています!」

 少しすねたようにサーヤは言い返す。


 これではまるで、結婚の妨害をしようとする怪人ではないか。

 物語とは、少し配役が違うけれど。


 お茶会自体は事前に決まっていたことだが、あの場で周囲を遠ざけ、そのうえでケイが笑顔を見せながらサーヤに触れたことは、計算のうちだったのだろう。一旦は断念した行為を誘発するために。

「妃候補と自分の信頼していた従者が、二人して一晩帰ってこなかったら、殿下はどう思うでしょうかね?」

 そこでトワは、自分も攫われる対象だったのだと知った。そして、道中それほど乱暴な扱いを受けなかった理由にも合点がいった。サーヤの存在が邪魔で、消してしまおうというのなら、殺してしまっても良かったはずである。そうしなかったのは、従者との不貞を疑わせるためなのだ。

「それは…ご心配なさるでしょうね」

 サーヤは頭にチョウチョが飛んではいるが、以下省略。相手がどうとでも解釈できる返し方をした。

 実際には、ケイはサーヤが男と一晩過ごしたところで何も言わないだろう。彼女にそんな度胸がないことは知っているわけだし。賓客がいなくなること自体は困るので探すとは思うが。

 そもそも、その大事な賓客を囮にすることも厭わない男なのだ。


 ただ、ちゃんと道は残しておく。

 

 トワとサーヤがいる部屋は、どこかの廃城か塔の一室のような殺風景な場所だった。ドアには見てわかるほど厳重に鍵が掛けられ、見張りの兵士がいる。他に外界と繋がっているのは、明かり取りの天窓が高い天井にあるだけだ。

 その窓の向こうに映った翼の影に、トワは手の縄をほどいて身を起こす。まさか、とは思ったが、次の瞬間、その窓が勢いよく開いて、ケイが飛び込んできた。窓から床までの距離はかなりある。トワは咄嗟にケイの軌道の下に入る。

「…う…っ!」

 空から降って来たケイの下敷きになってトワは呻く。

「トワ、大丈夫か!?」

 慌てて身を起こすケイに、トワは思わず大声を上げる。

「大丈夫なわけあるか、ボケ! 危ないやろ!」

 足を縛られていなくてよかった。おかげで間に合った。あと、窓を蹴破ってこなくてよかった。ガラスが割れたら大惨事である。

「説教は後で聞く」

 小さく耳元で言ったケイは剣を抜き、その勢いで喉元に突きつけた。

「公女を離せ、この痴れ者」

 短剣を握りしめてサーヤを抱えている男のくびに、ケイの剣先が食い込む。

「殿下……」

 物騒な恰好ながら、呆然と呟くのは、サーヤとトワに同行していた侍従で、最初にトワがこの国に来た時に案内をしてくれたケイの侍従だった。

 なお、舞踏会の給仕をトワに頼み、舞踏会の時にサーヤを誘導していた侍従と、同一人物である。

 怪人役の俳優に話を聞いた時から、その特徴が彼に合致していたから、そうなのだろうと覚悟はしていたし、そのうえで仕組んだことだが、よくケイは平然としていられると思う。

若干どこかの怪人を連想させますが、お気になさらず。

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