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12 怪人の正体

 休憩時間のお茶を淹れる以外でトワがケイの執務室を訪れるのは珍しい。以前に姫が寄り道をした際に顔を出したことはあるが、基本的にはあまり行かない。本当は、ケイの側にいるには、仕事のときも側にいたほうがよいのかもしれないが、なんとなく遠慮があって近づかないようにしていた。

 ケイのほうでも、トワを執務室に呼ぶことはほとんどない。となれば、今日呼ばれたのは、何か理由があるのだ。

 執務室のドアをノックして、補佐官の返事を待って入室する。

「殿下、お呼びでしょうか」

「ああ、トワ、来たか」

 書類から顔を上げたケイの表情が、ふ、と緩む。その優しいまなざしに、少しだけ胃の奥がキリリと痛む。

「ちょっと付き合え」

 ケイは執務机を立ってドアに歩いてくる。補佐官が止めないところを見ると、仕事なのだろう。最近は、執務室にお茶を持ってきても、慣れたのか補佐官に睨まれなくなった。その代わり、今日はケイの執務机の前に立っていた二人の男に睨まれた。

「あの、あの方々は、いいんですか?」

 一応気を遣ってケイに尋ねるが、もう帰るところだから構わないと素っ気ない。男たちの様子からすると、そんな感じではないのだが、ケイは相手にする気はなさそうだ。

 執務室を出て歩くケイにトワは従う。城を出て別棟べつむねに向かっているようである。トワの記憶では、確かこの方角の先には獄舎ごくしゃがあったはずだ。

「どこへ行くんですか?」

「例の怪人の意識が戻ったそうだ」

 それで怪人が入れられている獄舎に向かっているのだと理解はしたが、取り調べに同行しろと言うことだろうか。

「僕が一緒に行っていいんですか?」

「ああ。衛兵が取り調べをしているが、埒が明かないらしい」

 そもそも皇太子自らが取り調べをする必要があるのかと思ったが、そういうことなら、ケイは自分が出ていく気がする。

「おまえも同席してくれ。あの時、おまえが一番冷静だっただろう」

 あの時は、必死だったから、冷静だったかと言われれば、そうでもないのだが、怪人の存在自体は気になるので捜査には協力するつもりだ。

「わかりました」



 獄舎の入口では本来は手続きが必要だが、ケイは顔パスであり、その供であるトワもそのまま通された。

「皇太子殿下自らが取り調べか? ご苦労なこった」

 中にいた同年代くらいの背の高い男が揶揄するように言ってケイに笑顔を向けた。

「ロン、なぜおまえがここにいる?」

 ケイは男を見上げてそう尋ねたが、厳しい空気はなく、むしろ気安いからこそぶっきらぼうに聞こえるという感じだった。

「舞踏会に怪人が現れたって聞いたから、おもしろそうだと思って」

 楽しんでいる様子を隠すこともなく男は言う。

「将軍が野次馬などするな。暇人か」

 返す言葉は厳しいが、顔は笑っているので、ケイはこの男とは親しいのだろう。記憶の中から該当しそうな人物を検索して、確か、コウ国軍の将軍に、ロンという名があったなとトワは思い当たる。将軍なら、将として軍を率いるケイとも既知だろう。

「まあ、固いこと言うなよ」

 男はケイの肩に腕を回して肩を組む。男の背が高いので、まるでケイの肩を肘置きにしているみたいだ。ケイにこれほど親しく接してくる人物をトワは初めて見た。

 男を観察していたトワと、男の視線がぶつかる。

「新入りか。可愛い顔してんな。噂の今一番お気に入りの従者か」

「まるで度々お気に入りを変えるみたいな言い回しはやめろ」

 ツッコむとこ、そこ!? あと、ちょいちょい言葉遣い可愛いのなんなん?

くだんの騒ぎ、この従者の仕業とは考えなかったのか。まず疑うは新入りだろ」

 獄舎こんなところにまで連れて来ているから、ロンはケイがトワを疑っていないと推測したのだろう。

「一応、考慮には入れた。だが、こいつは、誤魔化すのはうまいが、あの手合いの小細工はしないと判断した」

 あ、ちゃんと疑ったんや。突然現れて王子の従者になったトウ国出身の男など、怪しさまんてんなのは自覚している。けれど、ケイに一瞬でも疑われたという事実に、胸のあたりに感じるチクリとしたものはなんだろう。疑われて当然だし、後ろ暗いこともある。なのに、自分に無防備に背中をさらすケイの中に、自分への疑念があるなど、なぜか考えたことがなかった。

 ──俺は、ケイに疑われたくないんや。裏切りたくない。

 キリキリと胃の奥が痛い。無意識に胃のあたりに手を当てる。


「つらい思いをするだけや」

 姉の声が蘇る。

 ──情など、とうに移っている。


「トワ、行くぞ。ロン、サボるなよ」

 ケイはロンに釘を刺して怪人が収容されている牢屋に向かう。トワはケイに従って後に着いていく。

「悪かったな。ロンは悪い奴ではないが、少しデリカシーがない。将軍としては優秀な男だ」

 代わりに謝ってフォローするケイに、ロンとは仲がいいのだと思った。

「いえ、疑わしいのは本当なので」

「トワ?」

 ケイが心配そうに振り返ってトワの顔を覗き込むから、思わずトワは顔を伏せて目を逸らしてしまった。今ケイに目を射抜かれたら、平静を保てる気がしない。

 胃が、鉛を飲み込んだみたいに重い。

「だから、本当に知らないんですって。俺は舞台だって聞いてましたからね。怪人のお芝居をしたら謝礼をくれるって」

 前方からそんな声が聞こえて、トワは顔を上げた。ケイも声のほうに意識を移している。牢屋の前に立つ兵士と中の囚人が話している。取り調べというよりも世間話のような口調なのが例の怪人だろうか。随分と危機感がない。

 牢番の兵士に案内されてきたケイに気づいて、牢の前にいた兵士はさっと横によけて頭を下げる。ケイは牢の前に立って男を見下ろす。自然と、牢の中に座っていた男は牢越しにケイを見上げる形になった。

「ひっ…!」

 思わず男は喉がひきつるような小さな悲鳴を上げた。

 さっきまでトワに向けていた目とは同一人物とは思えない眼光と威圧感に、周りの兵士に漂う空気もピリッと張りつめる。

「王宮の舞踏会での舞台か。楽しそうだな」

 低い声が薄い笑いとともに美しい唇からこぼされて、なんとも言えない恐怖をあおる。

「そんな愉快な提案をしてきたのは、どこのどいつだ?」

「…お、お城の、遣いだという男が、劇場に来て…それで……」

 怪人の男は小綺麗な顔を真っ青にしてカタカタと震えている。昨夜自分を瞬殺しそうになった相手だと気づいているのかわからないが、嘘や誤魔化しが効かない相手だと本能的に感じ取っているようだ。委縮して声が小さくなる男を見て、トワは鬼刑事と優しい刑事戦法やな、と一歩前に出て、男の少し横にしゃがみ込む。

「ちょっと見た目怖いけど、取って食ったりしないから大丈夫」

 昨日殺しかけたことは黙っておく。

「ところで、君はどちらさん?」

 訊き慣れないトウ国訛りで話しかけられて、男はトワのほうを向く。こうすることで、男の視線はケイから逸れる。

「…怪人の芝居をしている劇場の劇団員です」

「俳優さん? それでシュッとした顔してるんやねぇ」

 トワはふわりと笑って見せ、男の緊張を解く。

「お城の遣いの人は、どうして君のところに来たって言うてた?」

「…ええと、お城の舞踏会で怪人の演出をすることを皇太子殿下がご所望だから、その怪人役をやってほしいって。俺は劇場では、怪人のアクション部分の吹き替えをやっているんで」

 怪人役は劇団の看板俳優が演じているが、アクション部分はまだ若い団員が吹き替えで演じていると男は説明した。

「シャンデリアの上に登場したでしょう? あれ、びっくりしたなぁ。どうやってあんなところに登ったん?」

「実際にシャンデリアに乗ったのは、ぶっつけ本番ですけど、事前に登場するタイミングやルートは指示されていたので」

 こうなると、完全なる内部犯だ。

「頼まれてたのはどんなこと? 登場したあとは、どうなる予定だった?」

「灯りが消えたら登場して、芝居の怪人の登場シーンを演じるように言われていました。そのうち、会場のどこかで大きな音がするはずだから、そうしたらその騒ぎの間に退場するようにと」

「騒ぎの内容は聞いている?」

「いえ、教えてもらってません」

 真の目的は、怪人騒ぎではなく、それに乗じて起こす予定だったほうか。

「俺、言われたとおりにやっただけなんです。捕まるなんて思ってなくて。だから、あの、俺、…処刑されるんでしょうか?」

 男はすがるようにトワを見る。

「…それは、たぶん、君の協力次第や」

 トワには男の生殺与奪権はないから、ちらりとケイを見上げる。ケイが「続けろ」と目線で頷く。

「お城の遣いはどんな人やった? 覚えてる範囲で話してくれる?」

 優しい笑顔と柔らかな相槌で話を聞くトワに、怪人役の男は、なるべく詳細に昨夜までの出来事を話した。それはもちろん、トワの後ろで腕を組んで立っている、自分の生殺与奪を握るであろう人物に、生を与えてもらうために。

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