11 バラ園
パチン、と音を立てて鋏が茎を切る。
「不穏の芽は、早めに摘まねばなるまい」
箱庭のように世界を見てきたあの人にとっては、盆栽を剪定するような、そんな程度の言葉なのかもしれない。その在りようを否定するつもりはないが、それに自分が慣れるとも思わなかった。
思い出した言葉を振り払うように、トワはもう一本バラの花を取って鋏を入れる。切り取った花を傷つけないように注意を払って、既に切り取った花と合わせて脇に抱える。
「あんたは優しい子やから、つらい思いをするだけや」
御簾の向こうの姉の心配そうな顔が浮かぶ。寄る辺ない気持ちでいた幼いトワを、いつでも心配し慈しんでくれた姉に、トワは全幅の信頼を置いていた。
だから、姉の言葉に、異を唱えることはできなかった。
「側にいる時間が長くなれば、情が移ってしまうやろ?」
だけど、なんの疑いもなく、人ひとりの命を奪えるほど、トワは染まっていない。いっそ、疑うこともせずに従ってしまえば、楽なのかもしれないけれど。
あの時見た、色のない瞳が、片鱗なのかもしれないと怯える。一方で、トワに向ける目はいつでも優しくて、屈託のない笑顔に予言の言葉はそぐわない。
──もう、ずっと、たぶん出会った瞬間から、迷っている。
「トワ」
名前を呼ばれて、トワは手を止めた。声の主を確認すると、鋏を降ろして一歩下がり、頭を下げる。
「お茶会の準備かしら?」
今日のお茶会の情報が彼女にも入っているのかと思いつつ、深く頭を下げて肯定する。
豪奢なドレスに身を包む美しい女性に、付き従っている侍女が日傘を差しかけている。近くに第二王子の姿はないようだ。皇后陛下に声を掛けられるという栄誉をよそに、トワは若干の気まずさを持って対面した。
端からケイの側を離れるという選択肢はなかったが、彼女の誘いを断ったのは事実だ。
「教育係の件、あの人から断られたわ」
あの人。と心の中で復唱する。この場合の用法は、親しい人間を第三者に対して話すときの色合いが強い。
「何かおっしゃいなさいな。これでは、わたくしの独り言ではないの」
それを発言の許可と受け取ってトワは答える。
「申し訳ありません。皇太子殿下のお側を離れることはできません」
頭を下げるトワを皇后は見つめる。花の束を脇に抱えて、それが似合う美しい男だ。ケイも花の似合う男だが、ケイが花を渡すのが似合うとしたら、こちらは受け取るのが似合う。
ケイが渡した花束をトワが受け取ってふんわりと微笑む場面を想像して、皇后は眉を顰める。
脳裏で再生されるのは、無感情なケイの声だ。
「私の従者を王子の教育係にご所望とは、なんの嫌がらせですか?」
珍しく皇后のもとを訪れたかと思ったら、挨拶もなしにケイは切り出した。
「嫌がらせだなんて、随分ね。ただ、あの従者を見込んで声を掛けただけよ」
「そうですか。ですが、お断りします」
きっぱりと言い切るケイの顔に感情は窺えない。
「それは、あなたの一存で?」
トワは自分の所有権はケイにあるから、話はケイを通せと遠まわしに言ってきた。トワをどうするかはケイに権利があるとでも言うかのように。
「いえ、合意の上です」
それなのに、ケイは、トワの意思を尊重したうえで、わざわざ自らが出向いて断りに来たのだ。誰かに伝言させることも文書で回答することもできたというのに。
直接自分に会いに来たという事実に、何か意図があるのではないかと思うものの、ケイからは期待する感情は感じられない。用はそれだけだというように、さっさと立ち去ろうとする。
薄情なほど潔いその背中に、思わず皇后は声を掛ける。
「ケイ…っ」
切羽詰まったような自分の声に驚いて口を両手でふさぐ皇后を、ケイが振り返った。
「──あいつは渡せない」
自分を見つめる黒い瞳の奥に、自分への想いを見出せない自分が悔しかった。
無意識に、下唇を噛みしめる。
「あの…皇后陛下?」
こちらを窺うように低い姿勢からトワが見上げていた。
うるんだ大きな瞳は、どこかあの赤いドラゴンに似たピュアさと高貴さを持って、上目遣いになると可愛らしい顔立ちが際立つ。こんな男が、あの人の執着を一身に得ているのかと思うと、腹が立つ。
「…まったく二人して、わたくしをなんだと思っているの」
皇后の目が、どこか悔しそうにトワを睨みつける。トワにそんな感情を向けられる覚えはないから、これはケイに対する感情なのだろう、とトワは想像する。
「…あの人は、時々残酷なほど冷酷よ。必要とあらば、簡単に手放すわ」
それだけ言うと、皇后はトワに背を向けて歩き出した。慌てたように侍女が日傘を持って後を追っていった。
摘み取った花を持って茶会の準備に向かうと、茶会の会場である庭先には既にテーブルと椅子が置かれ、侍従や女中がセッティングをしていた。
テーブルに白いクロスを掛けていた女中がトワを見つけて近づいた。見知った顔の彼女は、トワの持つ花に目を細める。
「サーヤさまがお好きそうな可愛い色のバラね」
さすがは噂の早い女中たちである。
「ピンクのバラがお好きだと聞いたから用意したんだ」
庭のバラ園に咲いているピンクのバラをサーヤが気に入ったということは、侍従たちの耳にも入っていた。バラの摘み取り許可はケイを経由して庭師に得ており、庭師と顔見知りのトワが摘み取りに行ったのだった。
茶会の出席者が好きな花を飾るという発想は、ケイにはない。ではなぜサーヤの好みが反映されたかといえば、この茶会の提案者はナム公国の公子の妹サーヤなのだ。彼女が、私的な茶会を設けたいと申し入れ、ケイが許可したものだ。もちろん、他国の王宮では彼女が主催者にはなりえないから、誰が発案しようとも、準備はコウ国側ですることになる。
昨日の今日で、こんな提案をしてくるサーヤもサーヤだが、ケイが了承したのも不思議と言えば不思議だ。多忙なケイが、昨日の怪人騒ぎの解決もしていない状態で、そんな公女のわがままのような提案を受け入れるとは思っていなかった侍従たちは驚いていた。
「やっぱり、ケイ殿下はサーヤさまをお妃さまにとお考えなのかしら」
「やっぱりって?」
女中の気になる発言に、トワは花を生けながら尋ねる。
「あら、女中たちの間では、もっぱらの噂よ。ナム公子さまがいらしたのは、先の戦争の援軍のお礼に、妹姫を殿下に差し出すためだって」
「うーん、どうかなぁ。そんな感じはしないけど…」
トワは言葉を濁しつつ否定した。ナム公国の意図は、それに近いところを感じるが、ケイの側が受け入れなければ成立しない。
昨日の様子では、ケイはサーヤとの結婚に乗り気ではなさそうだが、ナム公子不在の私的な茶会を開くとなれば、二人が親交を深めるためとも捉えられる。ただ、私的とは言いつつも、この茶会のことを皇后も知っていたとなると、ナム公子が官僚たちと一緒に都近郊の視察に行っている間の、サーヤの相手が必要という程度のものなのかもしれない。
「トワ、何か知っているの⁉」
女中が飛びつきそうな勢いで身を乗り出してきたので、「あまり話していると怒られるよ」とトワはかわそうとした。
そこへ、侍従の一人がやってきて「トワ、殿下がお呼びです」と告げた。




