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10 舞踏会の夜

「お疲れさまやったねぇ」

 舞踏会の主催者ホストに食事の暇などはない。事前に何か食べていたとしても、あの怪人騒ぎの後処理で、舞踏会がお開きになったあともケイは仕事をしていたから空腹だろう。そう思って、トワは少しお腹にたまるようにと、温めた牛乳にたっぷりのはちみつを入れたものを用意した。

 一口飲んだケイは、人心地ついたようで、小さく息を吐き出した。

「うまいな」

 隣に座るトワに微笑みかける。「んふふ。よかったねぇ」とトワも笑顔を返す。

 なぜ隣に座っているかと言えば、仕事に一区切りつけたケイは、自室に戻って風呂から上がったところなのだが、そこにはちみつ入りミルクを持ってきたトワに、「おまえも食べてる暇などなかっただろう」と一緒に飲むことを提案したのだ。わざわざソファの場所をずれて右隣に席を用意してくれたので、ありがたくご相伴にあずかることにした。

 ちなみに、侍従が皇太子の隣に座ったら不敬で完全アウトだろうが、トワは臣下ではないし、ここは寝室(プライベート空間)で、ケイが許しているからセーフだろう。

 舞踏会での怪人騒ぎは、もちろん余興ではない。ケイがトワに教えてくれていた内容に余興などはなかったから、あの時、トワにもすぐに何かしらのトラブルだとわかった。

 シャンデリアは、現場保存のために火をつけずに元の位置まで釣り上げて、月明かりで舞踏会は乗り切った。舞踏会後に下まで降ろして調べたところ、途中で一斉に灯が消えるように細工されていた。

 怪人は人形などではなく、フードを被った若い男だった。すぐさま取り調べたいが、意識が戻らないので、事情聴取はまだできていない。

 そんなわけで、今現在は何も解決していない。はっきりしているのは、誰かが何かの目的で仕組んだということだけだ。

「一体何がしたかったんやろ?」

 ミルクをすすりながら、トワは呟いた。怪人はすぐにケイが失神させてしまったから、あの続きが用意されていたのかはわからない。

「さあな。会場内を調べてみたが、ろうそく以外に仕掛けは見つからなかった。単に混乱させるのが目的か、俺の評判を落とすのが目的か」

 主催した舞踏会に不手際があれば、それは直接ケイの評価に関わる。女中の噂どおりに皇帝がケイの世継ぎとしての資質を測っていたのだとしたら、ケイに不利になる。

「おまえの機転に救われたな。あれを余興とは」

 ふ、と笑うケイに、あの時のような空気はない。いつもの優しい笑顔だ。

 あの時は、必死だった。ケイを止めなければ、と。そうしなければ、ケイはあの男を殺してしまうと思った。光のない黒い瞳がひどく怖かった。

「怪人が出てくるお芝居が流行ってるって聞いたから、そういうことにしようと思って」

「よく知っていたな、そんなもの」

「それはお城の女中さんたちを褒めてやって」

 女中たちの噂話を聞いていたから、咄嗟にそんな嘘を思いついたのだ。彼女たちの情報はばかにできない。そして、女中が観劇に行けるような給金を払っていることも、観劇に行く暇があるような勤務形態であることも、コウ国の国力の高さを表していた。

「城の女中たちと仲がいいのか」

 急にケイがすねたような口調になる。

「それは、顔を合わせていれば話くらいするようになるよ」

 何が不興を買ったのかとトワは訝しがる。

「……おまえがどこの誰なのかは知らないが、───今は俺のものだ」

 頬杖をついて不機嫌そうに目を伏せるケイの長い睫毛が影を作る。

「…そ、れは、どういう…?」

 時々、ケイはトワの心臓を縮み上がらせるほどドキリとすることを言う。

 頬杖をついたまま、目だけが動いてケイの視線がトワに注がれる。この人は、いつでもまっすぐ、こちらの心臓を射抜こうとするから、いたたまれなくなる。


 そこへ、遠慮がちに応接間のドアをノックする音が聞こえた。寝室からドアを隔てた応接間にもう侍従はいない。応接間は廊下に面していて、ケイの自室の玄関口にあたる。そのドアを叩くのは、廊下に立っている護衛騎士だろうか。

 こんな時間に誰だとは思うが、助かったという思いもあり、トワは席を立って応対に出る。

「何かあったんですか?」

 応接間のドアを開けて顔を出す。

「公子さまの妹君がお見えですが、どうなさいますか」

 護衛の騎士が戸惑ったように回答を求める。こんな時間に女性が男の部屋を訪れるなど、特別な関係でもない限り非常識だ。そうは言っても、相手が相手だ。トワはいったん部屋を出て、公子の妹に対する。

「殿下はお疲れでいらっしゃいます。何か急を要するご用件でも?」

「どうしても、直接ケイ殿下にお話ししたいことがございまして、不躾とは存じますが、こうしてまかり越しました」

 夜着ではないが、出歩くには少し簡素なドレスの公女が礼をして告げた。少し待つように言って、トワはケイに来訪者を伝えて対応を尋ねる。

「…入れてやれ」

 面倒くさそうにケイは言い、寝室を出た。

「トワ、ドアは開けておけ」

 密室に男女が二人きり(この場合、従者であるトワと公女の侍女は数に入らない)では、想像力が働くというものであろう。そのあたりをケイは心得ている。その割には、トワに対する言動は周りの印象を考慮していない気がするが。

 トワは公女とその侍女を応接間に招き入れ、ドアに花瓶を置いていた猫足の台を挟んで閉まらないようにした。ドアのすぐ横には護衛騎士が立っている。

 サーヤに席を勧め、ケイはソファにくつろぐ。姫君に応対するにはしどけない姿である。トワは寝室からガウンを持ってきてケイの肩にかける。意図を察したケイがガウンに袖を通す。

「それで、こんな時間にわざわざお越しいただくとは、どんな用件で?」

 足を組んだケイがサーヤのほうを向く。ケイが座る三人掛けソファに対して、公女はL字の短辺部分にあたる一人掛けソファに座っているから、斜めに見ている状態である。ケイのソファの後ろにはトワが、サーヤの後ろには侍女が立っている。

「…あの、わたくし、今日のケイ殿下に感動いたしましたの。ほんとうに素敵で、あの、余興もとても興奮しましたわ」

「そうですか」

 平坦な声でケイは返す。

「わたくし、お芝居を観るのが好きで、よく観るのですけど、コウ国の都では、今、怪人のお芝居が流行っていると聞いて、観てみたいと思っていましたの。それで、まさか舞踏会であんな形で見られるなんて、びっくりして。ケイ殿下は、もしかして、わたくしが怪人のお芝居を観たいと思っていたのをご存知だったのですか?」

「いえ、まったく」

 そもそも、ケイ自身は怪人の芝居が流行っていることも知らない。

「あっ、えっと、あの、その、もし、よければ、なのですけど」

 サーヤは、視線をあちこちに泳がせながら、意味のないジェスチャーを交えて、焦ったように言葉を紡ぐ。

「あの、一緒に、流行りのお芝居を観に行きたいと…」

「案内させますから、どうぞ楽しんできてください」

 ケイは言外に断って、先ほどから饒舌な割に意味のない話を続けるサーヤを、ソファの背もたれに肘をついて手の甲でこめかみを支える体勢になって見やる。

「もうよろしいですか?」

「あっ、ああ、えっと、あの…っ!」

 困ったようにサーヤは眉尻を下げて引き留めようとする。よく見れば、少し涙目だ。

「兄君から誘惑でもして来いとけしかけられましたか?」

 ケイは口の端に酷薄そうな笑みを浮かべる。

「あっ、兄はそんなことは言いません!」

 では兄ではない誰か、例えば父親とかに言われて来たのかな、とトワは眠い目をこすりながら考えた。

「夜更けに男の部屋など訪れるものではありません」

 ケイは公女の侍女に視線をくれ、眼力がんりきだけで「連れて帰れ」と告げる。侍女がサーヤを促すと、サーヤは涙目で侍女を見上げた。

「お引き取りください。うちの従者がもうおねむなので」

 さっさと席を立ったケイは、ソファを回って後ろに立っていたトワのところにやって来た。

「トワ、おいで」

 そしてトワの手を引いて寝室に戻る。

「えっ!?」

 焦るトワを無視して寝室のドアを閉め、ケイはドアにもたれかかって応接間の様子を伺っている。応接間のドアが閉まる音でサーヤが出ていったことを確認した。

「ぷぅわ。やっと帰った」

 大きなあくびをしてケイはドアから離れる。

「え? なんで?」

 繋がれたままの手を持ち上げてトワは首を傾げる。

「ああ。これで結婚の話はしてこないだろう」

 ぱっと手を離して、ケイはいたずらに成功した子どものような笑顔を見せた。

「僕また巻き添え食うやん」

 ぷんすこ怒るトワに、ケイは「許せ」と笑う。

「緊張して手が震えていただろう。決心がつかなくて、どうでもいい話を続けていた」

 サーヤが緊張しているのはトワにもわかった。饒舌なのもそのせいだと思った。だが、震えているのまではわからなかった。

「据え膳食わない男に、色仕掛けは無意味だからな」

 ケイは、彼女が体を張る必要がないように、わざと追い返したのか。

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